第15話 看病。
天蓋つきのキングサイズのベッドの上で、ルアンは苦しそうに息をしている。ベッドに腰掛けたクアロは、氷水に浸けた小さなタオルを絞ると額に置いた。半日経つが、まだ熱は下がらない。
「んっ……クアロ……?」
「……寝てなさい、ルー」
冷たさで目を開いたルアンに、クアロは静かに言う。
「ゲホッ、仕事は?」
「大丈夫よ、今日はゼアスさんが引き受けてくれたわ。それに、アンタの罰執行のおかげで……ボスが帰るまで、脱獄はないわね」
クアロの代わりに、ゼアスチャンが門番を勤めて片付けをした。
ルアンの鬼畜な罰を受けた脱獄犯の悲鳴で、他の囚人達にも恐怖が植え付けられたのだ。監獄は静まり返った。当分、脱獄は起きない。
クアロも恐ろしいと思った。流石は、畏怖の念を抱かせるレアン・ダーレオクの娘。血を濃く受け継ぎすぎている。
心底、将来が心配になった。部下を全員ひれ伏せて見下しながら笑う未来のルアンが浮かび、クアロは顔をひきつらせる。
――なんとしても、マシな性格に直さなくちゃ。
熱があるにも関わらず、笑いながらギアで気絶させる練習をしたルアンを思い出すと、自信をなくす。
――それにしても、倒れるまで耐えるなんて。
クアロは、辛そうに目を閉じたルアンの髪を撫でる。ラアンの言う通り、ルアンは限界まで耐えていた。
「……なんで、耐えたのよ? そんなに拷問したかったの?」
「ぶぁーか……風邪くらい、どーてことねーし」
「……」
か細い声で、ルアンは強がる。
――倒れたくせに。
クアロは呆れるが、言わない。今は口論しない方がいいだろう。
「前にも、限界まで耐えて倒れたんでしょ? 医者が愚痴ってたわよ」
ルアンを診察した医者は、眼鏡をかけた年配の髭をたくわえた男。
「またですか……。倒れる前に、呼んでくださいとあれほど……」と愚痴を溢していた。
「またあのくそじじぃを呼んだのかよ……」
「街一番の医者を呼ぶなんて、当然でしょう」
「ハン、ぼったくりもいいとこだ。あんなくそ医者、大嫌いだっ、ゲホゲホ!」
医者に診てもらうことは、お金がかかる。医者を呼べる金があることを喜ぶべきだ。
しかしルアンは嫌悪感を表して、罵ろうとしたが、咳き込んで止めた。
「ルー、風邪を甘く見るんじゃない。子どもは下手したら死んじゃうわよ?」
他のタオルで汗を拭ってやり、クアロは言っておく。ルアンが瞼を開き、翡翠の瞳でクアロを見上げた。
「……もう、限界なんて……どうしても、言えない……」
小さく呟いたルアンは、また瞼を閉じる。
「……でも、ルー」
クアロは、言いかけて止めた。
ギアの練習の時、ルアンは諦めが早い。怠いと言って、サボることもある。だらしない子だと呆れていた。
しかし、思い返してみれば、ギアの練習をサボった日に、紙に紋様を書いた姿を見たことがある。
いつもベッドの下にしまっていたはずだと、クアロはそっと腰を上げて、下を覗く。淡いピンクのトランクがあり、それを音を立てないように引っ張り出してから、中を見た。
紋様が書かれた紙が、詰まっている。紋様の横には、その特性が書かれていた。クアロが今まで教えた紋様が、全てそこにあった。
――嘘、この子……私に隠れて、努力してたの?
サボりたいと言いながら、ルアンは一人で学んでいた。クアロが子守りをしている目の前でも、隠れていた。
「コラ。勝手に見てんじゃねぇボケ」
「いたっ!」
ルアンにバレてしまい、小さな拳がクアロの脇腹に叩き込まれた。
「ごめん……。アンタ、努力家なのね」
「殺すぞ」
枕を投げ付けるルアンだが、その力は弱々しい。枕はポフンとクアロの腹に当たり、落ちた。別の枕に顔を押し付けて、ルアンは俯せになる。
それでクアロは納得した。
ルアンは努力を見せない。見栄を張り、弱さも見せようとしない。だから限界まで、耐えてしまう。
風邪で苦しくとも、ギアの加減のコツを掴む絶好の機会を逃さず、活かした。ガリアンに入るために、倒れるほど努力している。
――どうしてこうも、可愛くない性格になっちゃったのかしら。
少し素直になって、弱さを見せれば、可愛い少女だ。繊細で健気なのに、強さで押し隠している。
それはレアン・ダーレオクの娘だからか、それとも母親に置き去りにされてしまったせいか、または天性のものなのか。
もしかしたら、クアロがあまり理解していないルアンの前世のせいか。
「……そうだ。ボス宛に手紙書いたけど、アンタから伝えたいことはある? 多めにお金を払って急いで届けさせるけど、それでも戻ってくるまで3日はかかるから」
「は? 何のために手紙出すの?」
忘れかけた手紙をポケットから取り出すと、枕に半分顔を埋めたルアンが、ギロリと睨んだ。
「何って……子どもが風邪引いたんだから、父親に知らせるべきでしょ?」
「知らせてもどうにもなんねーだろ」
ルアンの苛立ちが、口調に表れている。
「ボスは急いで帰ってきてくれるでしょ? ルーだって、そばにいて」
ほしいでしょ。
クアロは言いかけたが、ルアンの手が手紙を叩き、ベッドの下へと飛ばす。
「そばにいても、すぐに治るわけないだろ。父親がいようが、母親がいようが、よくならねーのに、呼び戻す必要はないだろっ」
苦しそうに枕を握り締めたルアンは、また咳き込む。止まらなくなり、クアロは慌てて用意していた水をルアンに与える。
「レアンの邪魔をするな」
漸くおさまると、手紙を出すことを拒否した。
医者の話では、ルアンは三日は寝込むことになり、熱が下がっても二日は安静にするべきだという。
確かにレアンが帰ってきたところで魔法のように風邪が治るわけではないが、父親であるレアンに娘の体調不良を伝えるべきだ。
レアンも、帰ってきてから知らされたくないはずだ。
ルアンはそれを仕事の邪魔だと言う。自分のことだと言うのにだ。
これもまた、弱さを見せないためなのだろうか。
ぐったりとベッドに横たわるルアンは、リズムの早い寝息を立て始めた。クアロは起こさないように、部屋をあとにする。
飲み水を代えに来たメイドウと廊下で、ばったりと会った。
「メイドウ。これ、出してきて」
「ああ……レアン様宛ですか。……間に合うといいのですがね」
受け取ると、心配そうにメイドウは漏らす。ルアンが辛い時に、戻ってきてそばにいられることを願うが、難しいだろう。
メイドウは手紙を持って、ルアンの部屋に入った。
それを見てから、クアロは食べ損ねた昼食をとりに向かおうと歩き出す。しかし、廊下の曲がり角にロアンがいることに気付く。一瞬、ルアンだと思ったクアロはギョッとする。
「そこで何してるのよ、ロアン」
思えば、ロアンに話し掛けるのは初めてだ。いつもロアンは、ラアンの後ろに引っ付いていた。話す隙などない。
ロアンはビクリと震え上がった。おろおろするばかりで、なにも言わない。
――ルアンに似ているのは外見だけで、気が弱い子ね。
ルアンの印象が強すぎるせいで、ロアンの子どもらしさが、弱すぎると感じてしまう。
「……ああ、ルアンが心配なの? でも風邪が移ったら大変だから、アンタは部屋に入っちゃだめよ」
「……」
ルアンの部屋を気にしていることに気付き、クアロは釘をさす。
途端に、ロアンは翡翠の瞳に涙を浮かべた。
「ちょ、ちょちょっ、ちょっと! 泣かないでよ」
こんなところを見られたら、ラアンにまた怒鳴り付けられる。先程まで、ルアンが風邪を引いた件を散々責められたのだ。
慌てて膝をついて、視線を合わせた。
「ルアンが心配なのね? でしょ?」
優しく問うと、泣くことをグッと堪えて、ロアンはコクコクと頷く。
「……ルアンとは……仲が悪いんじゃなかったの?」
ロアンがルアンと話しているところすら、クアロは見たことがない。
言うと、ロアンは大粒の涙を込み上げさせて、今にも溢しそうになった。
「ちょ、な、泣かないの! 男の子でしょ!」
「ぴ、ぴええっ!」
「な、泣かないの!」
ラアンが今にも駆け付けるのではないかと、ひやひやしながらクアロは、奇怪な泣き声を出すロアンを宥めようとする。
「ほ、ほんとはっ、る、ルアンと、なか、なかよく、したいけどっ……わかんないんだもんっ」
「え、あ、うん、そうなの……」
「ま、まえはっ、ふえっ、いっしょにっ……あそんでくれたもんっ」
「うんうん」
「ヒクッ、でも……ぼくのこと、きらいになったからっ……きらいになったからっ……ううっ、ぴええっ!」
たくさんの涙を溢して、大口を開くロアンは泣き止みそうにもない。泣き方もルアンとは違う。
頭を撫でて落ち着かせようとすると、ロアンは1度口を閉じた。
「……ルアンがしんぢゃったらどうしよぉおおっ!」
「し、死なないわよ、バカん!」
次に大声を出して言った言葉に、ギクリとしてしまいクアロはつい声を上げた。ロアンはビクリと震え、固まる。
「あ、いや……医者にも診てもらって、薬ももらったから、何日かしたら治るから。絶対に死なないわ」
また泣き声を上げるその前に、優しく優しく笑いかけて言う。
「ルアンは死なないわ。強いから」
言ってから、クアロは思い知る。結局、ルアンの繊細さを忘れて、強いと言ってしまった。
ルアンは強い。弱い姿など霞むほど、その強い姿が焼き付いてしまっている。
クアロだけではない。シヤンも、ルアンが女の子だと知っても、態度を変えずガリアンに入れたがっている。
そういう質なのか。意図的なのか。わからない。
「……ルアンはロアンを守って、アンタのフリをしたことがあるの、知ってた?」
ルアンが初めてシヤンと会った時、ロアンと間違われて喧嘩を売られた。しかし、誤解をとこうとはしなかった。
クアロが目を離した隙に拉致された時も、ルアンはロアンと間違われていると知りながらも、ロアンとして拐われた。
ルアンは言わないが、それはロアンを守るため。ロアンの身代わりを引き受けたのだ。
「お姉ちゃんは、アンタが好きなのよ」
きっと、そう。いい姉なのだ。嫌っていたら、守ったりしない。
うるっと、また涙を込み上がらせたが、ロアンは唇をギュッと閉じて、何度もコクンコクンと頷いた。そんなロアンの頭をポンポンと撫でてやった。
「おい」
後ろから、ラアンの声にかけられ、クアロは震え上がる。いつからいたのかわからない。ラアンは後ろに立って、クアロを見下ろしていた。
「ロアンを見てろよ」
散々怒鳴ったからなのか、それだけを言うと、ラアンはルアンの部屋に入っていく。
「……来て、ランチ食べるから」
ラアンはルアンの看病がしたいのだろう。
今だけ、子守りの対象を交換。クアロはロアンの涙で濡れた手を引いて、廊下を歩き出す。
――全く、不器用な家族ね。
愛情表現を上手く出来ない家族だと、クアロはしみじみ思った。
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