第6話 その男の娘。
ルアン・ダーレオクは、拉致されたことがある。
母親が家を出て、三ヶ月ほど経ったあとのことだ。
まだ女の子らしく髪は長く、リボンでツインテールにされていた頃。
兄ラアンと弟ロアンとは、滅多に顔すら合わせない。それほど一人行動をしていた。一冊の本を両手に持って、街の中を歩き回る。陽が暮れる前に家に戻った。
そんなルアンは無防備過ぎて、安易に拉致されてしまった。
レアン・ダーレオクは、恨みを買っている。犯罪者を捕まえて監禁していることを、よく思っていない者がいた。犯罪者の仲間、または犯罪者の身内だ。
犯罪者だということを棚に上げ、身内は解放させるために、レアンの弱味になる子どもを捕まえて、要求を飲ませるつもりだった。
ルアンの命と引き換えに、解放を……。
しかし、彼らは子どもだからと油断していた。
たった5歳の少女には何もできないと、思い込んでいた。
5歳プラスαのルアンは、ただ廃墟の部屋に閉じ込められただけ。手足も縛られず、部屋にぽつりと一人。だから、ルアンは平然と窓から抜け出して、家に帰った。
何事もなかったかのように、ラアンとロアンと夕食をとった。そこにレアンがダイニングルームに駆け込んできた。呼吸が乱していても、仁王立ちしてルアンを見下ろす。
それでルアンは、レアンが拉致を知ったと理解した。犯人達がルアンが逃げたことも知らずに、要求をしてしまったのだろう。
「……何故、泣かない……?」
レアンは乱れた呼吸を圧し殺すように、そう尋ねた。ルアンはその意味がわからず、首を傾げる。
ダイニングルームは沈黙した。
「ルアン、今後は一人で外出するな」
やがて、レアンは告げた。
見下ろしてきた同じ翡翠の瞳は、まだ何か言いたげだった。
その瞳に怒りはない。まるで失望しているようで、哀れむようで、妙に感じていた。
そのあとから、事情を知ったラアンがルアンとロアンを守るために面倒を見ることになった。
思い返せば、ルアンは自分でも不気味だったと思う。
拉致されたにも関わらず、何事もなかったかのように平然と食卓についていた子ども。
母親に捨てられても、弟が隣で泣きじゃくっても、泣かなかった子ども。
不気味だったのかもしれない、不快だったのかもしれない、不可解だったのかもしれない。不明すぎて、嫌になったのかもしれない。
だからラアンにもロアンにも嫌われている。子どもらしくないから。
そりゃそうだ。
前世の続きで、生まれ変わったのだからだ。
無邪気に笑えるものか。恐怖で泣けるものか。悲しみで泣けるものか。恐怖を感じるものか。悲しみを感じるものか。
涙が出るほどの悲しみなど感じるものか。涙なら、もう前世で流し飽きた。
「……はぁ」
込み上がるムカつきを放出するように、ルアンは深く息を吐く。
二度目の拉致は、少し厄介だ。手は布で縛られた。今回の犯人は、油断していない。逃がさないつもりだろう。
前回は一階だったから、窓から出れた。しかし、今回は二階の部屋だ。扉の向こうには見張りが話している声が聞こえた。
またレアンに何かしら要求するだろう。そうなると、クアロが間違いなく責められる。
ギアが使える戦闘要員だから、クアロがラアンの代わりにルアンの子守りに選ばれた。離れてしまい、ルアンの拉致を許してしまったクアロは、責められる。
だが、ルアンは思う。
クアロはルアンの危険を知らなかったのだ。あらかじめ話さなかったレアンにも、そしてルアンに非がある。
万が一、レアンが手を上げようとしたら庇おう。
クアロがルアンが狙われる立場だと理解していたのなら、あんな風に笑わなかった。外へ連れ出したりはしなかっただろう。
知らなかったから、クアロはルアンに笑いかけた。
なんにせよ、クアロの子守りもおしまいだろう。レアンは髪を燃やしたラアンも子守りから外した。
自警組織のガリアンは、レアンが絶対ルール。怒りの度合いでクアロの処罰が決まるだろう。
以前のように戻って、とぼけてしまおうかとも思ったが、拉致された時は薬で眠らされてどれほど時間が経ったのかわからない。
もう騒ぎなっているかもしれない。
レアンが不機嫌な顔付きになるのが安易に想像できた。
普通の家庭ならば、こんな不幸は起きないだろう。外を出歩く心配なんて、少ない。誰かに危害を加えられる可能性が高い家庭なんて、幸せなわけがない。
どうせ、幸せにはなれない。そういう性なのだろう。
ルアンはただ、諦めている。不運を嘆くことには、疲れた。
この人生は、罰なのだと改めて思う。縛られ、閉じ込められ、罰し続けられている。現状のように。
「……ふぅ」
息を吐いて、縛られた腕を動かす。なんとか抜けるように回したり捻ったりしながら、部屋を確認した。
生活感はない。汚れが少ないところを見ると、空いたばかりの屋敷だろうと推測した。
犯人の中には、聴覚の優れた兎人もいる。こっそり抜け出すことは難しい。子どもの足で追手は振り切れないだろう。
脱出方法を考えていると、縛る布から腕を引き抜けた。擦ったせいで真っ赤になったが、これで両手は自由だ。
すると話し声が近付いてきた。布の結び目をほどき、縛られたように見せ掛けて手首に巻いて膝の上に置く。
ブラウンの重たい扉が開かれて、茶髪の女性が入ってきた。長い髪を三つ編みにして、ドレスのスカートにはスリットを入れていて下にズボンを履いている。動きやすい格好をしていた。
「この子が……アイツの息子か。娘と同じ、大人しくても油断しないでよ。今回は絶対に逃がさないで」
扉の外で見張りをしている男性に茶髪の女性は釘をさす。
今回も娘なんだけど。
どうやら前回ルアンを拉致した犯人達だったようだ。娘で失敗したから、息子で再挑戦。
「長男がやっと離れた……これが最後の機会よ」
女性は、ルアンを見据えながら言った。
ロアンの方には、右腕のラアンがつきっきりだ。ルアンと同じ目に遭わないように、ラアンはガリアンの館に仕事に行く時も連れていった。
男装になりロアンと見分けがつかなくなったルアンを、ロアンと間違えて見張っていたのだろう。クアロが離れる時を待っていた。
そんな最後の機会を踏み潰すのは、また私なのだけどね。
ルアンは性格が悪いと自負している。それを聞いて、今回も失敗させてやろうと決めた。
「……どうしてこんなことをするの?」
女性に話し掛けてみる。すると、彼女はカツカツとブーツを鳴らしながら歩み寄った。
「お前の父親は、私のいとこを牢獄に閉じ込めたんだよ」
「……悪いことしたからでしょ?」
「お前の父親にそんな権限はない!」
ルアンの言葉に怒りを露にして、床に転がっていた四角の缶を蹴り飛ばした。部屋の隅に、缶は転がり落ちる。
「お前の父親に罰する権限はないんだ! 王気取りで閉じ込めて、罰して、処刑までした! お前の父親は人殺しだ! 罰することが出来るのは王だけだ! お前の父親はこそ、王の前に出されて処罰されるべきだ!」
子ども相手に罵倒するほど、怒りが溜まっているらしい。
王が法。警察機関などが存在しないこの世界では犯罪者を罰するためには王の前に差し出す。王が処罰を下す。
城の周りならば騎士が確保するが、離れているならば騎士も動かない。城の近辺だけが守られている。
それに不満を持つ者がいるから、自警団が作られた。身を守ることは、王から許されている。自警団の存在も、ガリアンの存在も、王は認めているのだ。
ルアンは動じない。レアンの睨みの方が迫力は上だ。
「……この街は、彼の王国だ」
レアンが支配する街だ。レアンは王であり、支配者である。気取りではない。
ルアンの言葉を聞き、女性が眉間に深くシワを寄せた。
「処刑はしていない、無闇に殺さない。狂暴な犯罪者から他人や自分を守るためにやむを得ず、だ」
ルアンは、二日前にクアロから聞いた。そんな話を子どもにすることを躊躇していたが、誤解しないようにとはっきり告げた。
ガリアンの仕事に誇りを持っているからだ。
犯罪者を取り押さえる時、警告に反して襲い掛かるならば、やむを得ない場合もある。自分の身を守るためでもあり、他の誰かの身を守るため。
「確かにレアンは横暴な王さ。国王はここにいないし、手も届かない。レアンは王の代わりに犯罪者から街の人々を守っている」
「お、お前っ……!」
雄弁に話すルアンを、不気味がって女性は青ざめながら見る。
「レアンに惚れている男が言ってた」
立ち上がって、ルアンは布を外した。
「悪に近くとも街の住人を守る正義。世界一かっこいい男」
ニヤリと笑みをつり上げて告げる。
「あたしは、その男の娘だ」
まるでそれを合図にしたように、爆音を耳にした。
ルアンは指から光を放ち、紋様を描く。
「なっ……!」
女性は幼い子どもがギアを使おうとしたことに驚いたが、止めようと飛びかかった。
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