第7話 これが噂の例のあれ
「あっ、おかえりなさい! クドウさんとお連れの剣士様」
宿屋に戻ってきた俺達に宿屋の受付の少女が笑顔で出迎えてくれた。宿の予約をした時のあの少女である。
冒険者協会での登録を済ませた俺たちは他に用もないので宿屋に戻っていた。
さすがに外も暗くなってきたので、冒険は明日からにすることにしたのだ。
「連れの剣士はアールって言うんだ」
そういえば俺の名前は散々アルジールが連呼していたため知っているのだろうが、アルジールの名は教えてなかったなと俺は少女にアルジールの名を伝える。
「アールさん……ですね! 私はミンカと言います! 何かありましたらなんでも仰ってくださいね!」
アルジールにあんな訳の分からない妄言を吐かれたというのに良い娘である。ミンカというらしい。名前からして優しそうである。
「そうか、では——」
「言わなくていいぞ」
「……まだ何も言っておりませんが?」
今度は殴らないでおいてやった。どうせまた訳の分からない妄言を吐くつもりだったに違いない。
毎度毎度殴ってはミンカが心配しそうだったので配慮しただけで殴られたアルジールの心配など皆無だ。
「それにしても……ホントに冒険者だったんですね」
ミンカが俺たちの首にかけられたF級のプレートを見てそう言った。
「まだ貴族だと思ってたの?」
「はい、アールさんの剣幕が凄かったので……」
まだ俺の事を貴族だとまだ疑っていたらしい。
「さっき、冒険者登録したんだ。どう? かっこいいでしょ?」
俺は笑いながらそう言う。
F級など登録さえ済ませば誰でもなれる階級だが、それでもミンカは「はい! カッコいいです!」と笑顔で返してくれた。
「そうそう、ご飯まだなんだ。ここで食べて行っていいかな?」
「はい! もちろんです! ご案内しますね!」
ミンカに案内されて俺たちは酒場兼食事処である席へと座る。
「では、すぐに母が注文に聞きに来ると思いますので私はここで」
「あれ? ミンカちゃんが注文取ってくれるんじゃないの?」
「あ、えっと、私は一応、あっちの受付がありますので……。こっちが忙しいときは手伝ったりもするんですけど」
宿屋の受付はこの時間が忙しい。
酒場に関してもそうだろうが、そちらは夕食時にバイトなどを雇ってカバーしているのだろう。
それでも忙しいときにはこちらに駆り出されるのだろうが、この時間帯に宿屋の受付が長時間もぬけの殻という事態は避けたいということか。
「そういうことなら、お母さんを待つよ」
「はい、すいません。すぐに来ると思いますので」
ぺこぺこと頭を下げながらミンカは宿の受付へと戻っていく。
うん。ホントいい娘。
俺はミンカが戻っていくのを残念に思いつつ、注文を取りに来るのを待つ。
「それにしても、意外と繁盛しているようですね」
アルジールはそんなことを言う。失礼な奴である。
だが、確かにかなり繁盛しているのだろう。席は満席で、客の笑い声が飛び交っていい雰囲気だ。
アルジールはこの宿に決める時かなり否定的だったが、俺たちはアタリを引いたのだろう。
少しだけ待つと30代後半くらいの女性が注文を取りにやってきた。
ミンカにとても良く似ている。
恐らくこの人がミンカの母親なのだろう。結構な美人さんである。
「おまちどうさま! ご注文は何にします?」
「こちらに来るのは初めてなのでおススメをもらえますか?」
人間界に来るのは初めてではないが、魔界から離れたこの土地の事はあまり詳しくない。
流石に常識的な物価くらいは分かるので「2人で銅貨60枚くらいで」と付け加える。
「へぇ、結構稼いでるんだね? 見た所F級冒険者のようだけど」
結構都会基準の値段を言ってしまったらしく、ミンカの母親は興味深そうに俺の事を見た。
「いや、そういうわけでもないんだけど、今日、冒険者になったばかりなんだ。初日って事で豪勢に行こうと思ってね」
そんな感じで俺は誤魔化す。
「それはめでたいね! まぁこれからも贔屓に頼むよ!」
そういって、ミンカの母親は厨房へと戻って行った。
「失礼な女ですね。クドウ様にあんな口を叩くとは」
「そうか、あんなもんだろ? 俺たちはまだF級冒険者だしな」
そう、俺たちはまだF級冒険者なのだ。
まぁそんな階級とはすぐにおさらばだろうがね。
それにあぁいう女性は相手が勇者様だろうと態度は変えないだろう。
悪い意味で言ったわけではない。相手が誰だろうと気軽に話せるのは良い事だ。
それにミンカの母親を見ていると遥か昔の魔王をやる前に人間だった時の事を思い出す。
「お前もいちいちそんな事で腹を立てるな。こっちがめんどくさいわ」
「そういうわけには参りません。クドウ様に無礼を働く輩は許してはおけません」
こいつもなかなかめんどくさいやつだな。
「とにかくあの人は無礼じゃない。お前は何もするな」
「クドウ様がそう仰るのであれば従います」
まぁ最終的には俺の言う事を聞くので問題はないか。
最悪また殴って止めればいい。
俺とアルジールがそんなやり取りをしている時、店内から男の大きな怒鳴り声が上がった。
「てめぇ! もういっぺん言ってみやがれ!」
俺が怒鳴り声を上げた男を見ると、男は女の胸倉を掴んでいた。
「その醜いツラで私に近づくんじゃない。このカスが」
女は胸倉を掴まれながら、恐らく一字一句同じ言葉を繰り返した。
それを見て俺は思った。
(これが噂に聞く主人公が悪漢から美女を助けるイベントか!)
聞いてた話とは少しばかり違うが、そんな事を主人公である俺は気にしないのだ。
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