1 届かない
『───ては、──ら─商品──!』
冷たい床に投げ出されて1時間は経っただろうか。
抵抗するのも疲れ、座り続けた床は少しだけ温かい気がする。
それでも寒い事には変わらない。
膝を丸めて、耐える。
どうせ耐えても良い事にはならないけれど。
「おら、立てや。お前だ」
私の髪を掴み、乱暴に立ち上がらせると壇上へと出された。
同時に、無遠慮な視線が集まるのが分かる。
既に生きる気力もない。
もう、どうでもいい。
私を買ったのは黒い髪の青年だった。
つまり私の主はこの人だ。けれど、「御主人様」と呼んだらすごく嫌そうな顔をしていた。
どうやら、その呼び方が嫌いらしい。
呼び方に困った私がなんと呼べば良いのかを聞くと、「ユウキ」と呼んでくれと言われた。
「分かりました、ユウキ様」と言うと、微妙な顔をしながら様は要らないと言われる。
主を呼び捨ては流石に私が困るのですが。
買われてから数週間が経った。
私の役目は家事全般で、御主人様は部屋に籠られては魔法を創っているのだそう。
本人が仰っていた。
何の魔法かは分からないけど、食事をお持ちする際に見たその横顔に余裕は一切無かった。
魔法を生業のする人は皆そうなのだろうか。
私には分からなかった。
それから更に数週間経って、初めて御主人様は笑顔を見せた。
魔法が完成したのでしょうか?
思っても口には出さない。余計な事は喋らない方が良い。今までもそうしてきたから。
それから御主人様は時折変な事をする様になった。
花を私に贈ったり、道化師の仮装をして踊ってみたり、外でお食事に誘って頂いたり。
される理由が見当たらないまま4日程もするが、未だに辞める気配は無い。
何故このような事をされるのかお聞きしたいけれど、余計な事は考えない。
私の生き方だ。
とある日、御主人様にどうして自分がこんな事をするのか聞きたくないのかと質問されました。
突然の事に少しだけ動揺をするが、平静を装う。
けれど、御主人様には手に取るように分かっていた様で、図星だとくすりと笑われてしまう。
曰く、私の笑う顔を見た事が無いからだと。
けれど、私には笑う理由が無い。
その旨を伝えると、少し悲しそうな顔をされて、考え込んでしまった。
やはり私が口を開くのは余計な事だ。一層気を付けようと思う。
次の日、御主人様から白紙の日記を貰った。
これに、その日思った事を書いて欲しいとの事だった。その日の朝食、仕事内容、なんでもいいからと。
理由を尋ねたかったが、それは余計な事だと口を噤んで居たのが分かってしまったようだった。
それでも、御主人様は理由を仰らなかった。
明日から月も変わるので書いてみようと思う。
金月一日目
朝食はパンとベーコン
洗濯、掃除、料理、買い出し
昼食は柑橘類
御主人様は昼食を摂られなかった
夕食は芋のスープとパンとサラダ
おわり
金月二日目
昨日と同じ
特に無し
金月三日目
昨日と同じ
特に無し
金月四日目
御主人様に日記は書いているかどうか聞かれた
書いているが、四日でさっそく様子を聞くのは少し不思議だった
それが顔に出ていたのか、三日坊主という言葉が僕の所にはあると言っていた
あまり聞き慣れない言葉だったけど、私が無知なだけだろう
金月五日目
特に無し
金月六日目
特に無し
金月七日目
御主人様が少し遠くの街に行かれると言っていた
私も付いていく必要があるのかと思ったけどそんな事は無かったようだ
私一人でお留守番だと言っていた
金月八日目
朝早くに御主人様は出掛けていった
今日から一週間一人
やる事は特に変わらない
少し家が広い気がした
金月十日目
九日目忘れてた
特に無し
少しだけ
金月十一日目
今日もやる事は変わらない
だけど少し身体が重い気がする
あとちょっと胸がきゅっとする
なんだろう
金月十三日目
起きたら御主人様が私の顔を覗き込んでいた
少しだけびっくりした
どうやら私は体調を崩していたそうだ
十二日目のお昼からあまり記憶が無かった
御主人様が早く帰ることになっていなかったら、私はどうなっていたのだろうか
感謝を伝えると、優しい笑顔を見せてくれた
この後、少しだけ甘えてしまったのも体調が良くないせいだ
──────
───
─
草月十八日目
晴れ
御主人様は相変わらずお部屋で魔法を創っていた
前と違って魔法創っている時の横顔は苦しそうでは無かった
でも少し考え込むことが多くなったと思う
時折、私を見ては、前と比べて笑顔を見せてくれるようになったねと言ってくれる
言われてから気が付いた
あと、前の日記を見るとあまり日記に書き込んでないのがわかった
今はもう寝る前に書くのが習慣になっているけれど、前は違うからだと思う
でも、余計な事だと逃げる事が無くなったのは自分でも気が付けた
御主人様のお陰だ
草月二十三日目
曇り
御主人様の魔法を見ていて、私も手伝える事が無いかと聞いた
最初は大丈夫だと仰っていたけれど、粘り強く言うと魔法を教えてくれると仰った
明日から教えて頂けるそうだ
少しでも役にたちたい
頑張る
桜月十一日目
魔法を習い始めてから二週間程だけれど、大体の魔法は教えていただいた
御主人様は凄い人だった
様々な魔法を操り効率良く魔力を使うその姿は頼もしさがあった
どうしてそんなにたくさんの魔法を扱えるのに魔法を創るのかを聞いたら、悲しそうな笑顔を向けながら帰りたいからと言っていた
どういう事なのかはあまり聞けそうになかった
桜月十八日目
買い出しに出ると街がざわざわしていた
どうしたのかといつものお店の方に聞くと、どうやら勇者様が帰ってくるとのこと
見た事は無いけれど、たまに街の人が話しているのは聞く
曰く、魔王を倒す為に召喚されたと
曰く、金髪の美しい男性だと
かっこいいのだろうか。
前に見た人が口々にかっこよかったと言うけれど、きっと御主人様が一番だと思う
桜月二十日目
勇者様がきた
最初は黒髪で、御主人様の兄弟かと思ったけど、違うと仰っていた
どうやら、金髪の姿は勇者様が魔力を解放している時になってしまうらしい
前に御主人様に教えてもらった魔力形質が髪に出るという事なのだろうか
よく分からない人だった
あとやっぱり御主人様が一番だった
葉月六日目
魔力を用いた薬品作成が気になっていたら、御主人様が教えてくれた
適切な魔力の流し方、適切な魔力の量が素材によって変わるのは大変だけど楽しい
生憎、基礎の薬程度しか出来ないと御主人様は仰っていた
私が頑張って覚えたら褒めていただけるのだろうか?
もっとやる気がでた
葉月十日目
家事を終えて、買い出しのついでに調合レシピを探してみる
発展レシピというものがあったので買ってみた
圧倒的に難しい。作るにはまだ早かった
御主人様は最近よく溜息をつく
葉月十九日目
御主人様が倒れた
体調に気付けなかった私のせいだ
ごめんなさい
葉月二十一日目
御主人様が苦しそうにうなされている
時折うなされながらも人の名前らしきものを呟く
大事な人だろうか
葉月二十二日目
夜中に目を覚ました御主人様は、私の事を誰かと間違えて呼んだ
暫くして御自分の状態を把握されたのか、小さくごめんと呟くと膝を抱えて静かに涙を流されていた
いつもの面影はなく、吹けば消えてしまうほどに弱々しかった
その姿が見たくなくて、私に悩みを話して欲しいと伝えると、ありがとうとだけ帰ってくる
その日、御主人様は部屋から出る事は無かった
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