第39話
振り下ろされた大剣を細身の刀で受け止める。ギリギリと悲鳴を上げる刀の声は、1秒も待たずに鎮まる。
地盤沈下の気配を感知し、後ろに跳ぶ。
と、跳んだ先にも気配があり、更に前方には逃すまいと追ってきた大剣の刀身。
「っぅ!」
反射的に左手で短剣を抜き、神秘を用いて上へ飛ぶ。
「クー!儀式の準備を!」
「じゃ、じゃが…!早くとも30分は掛かる!」
「耐えてみせる!他の”理想”を逃がすのも頼む!」
先程彼らを襲った土の雨。その悉くを避けながら、手早く支持を済ませる。
「お主が死んだら意味がないじゃろう!」
「俺が巻き戻したくなっちまったらその時点で負けなんだよ!!!」
その叫びにハッとするクォーリア。…そう、彼が死んだら勿論敗北だが、クォーリアが死んでも、ネアが死んでも…負けになってしまう。彼が幸せである条件が未来永劫に失われてしまうから。
他の理想達も…彼は4ヶ月もの間里にいたのだ。それなりに仲良くなっている。それも、皆に愛される里の長の想い人だ。理想達はとても良くしてくれた。
…こいつはそういうこともやる奴だ。
彼の知る夕空逢とは真逆の印象を、その少女に持っていた。
「君に神秘剣まで持たれちゃったら、いよいよ弱点無しだねー」
言いながらも余裕綽々と地面を隆起させ、彼の後を追う。距離を取ろうと移動する彼に、次々と、まるで自動で足場ができているみたいに走って追い掛ける夕空。
注意が離れたのを確認すると…クォーリアは屋敷に向けて駆け出した。
――――――――――――――――――――
「んな実力持ってんなら、隠さず使えや…!」
「…君風に言うなら、役者の私と作家の私がいるってことだよっ!」
行く手を阻むように立ち塞がる土の壁。大剣で切り落として進もうとするが、切ったそばから壁は再生していく。
そうこうしている間にも着々と距離は詰まっていき…
「避けれるかなっ!?」
圧死…2つの迫り来る壁に潰されるという、中々無い死に方。
背後の地面と正面、夕空の目の前にも出現した壁が、1秒もない内に彼を閉じ込めた。
上まで完全に塞がれ、壁は徐々に、彼の自由を奪っていく。
切ったそばから生えてくるから壁を脱出することは不可能。
風で加速しても再生には間に合わない。火なんて使いようがない。
…相手の土台で戦うことほど、愚かな戦い方も無いとは思うが…それしか思いつかなかった。
―――――――――――――――
2つの壁が、1つになる。そして、感触の無さに彼女は?を浮かべ…思考を回す。
…未だかつてないことだ。神秘の気配も無く、消えた。この攻撃を避けられた方法は、ありえない密度の風で壁の再生力を上回るか、そもそも捕まらないか、とんでもない水圧で吹き飛ばすか、地面の支配権を奪うか、だった。
どれにも当てはまらない、回避方法。視界の中に、火も水も風も、どの神秘の気配も感じない。ただ、ばら撒いた地神秘がそこら中にあるだけ。
「ッーー!」
視界の外、自分の真下から迫り来る大剣を、ギリギリバックステップで避ける。続けて放たれた右ストレートを両手の手甲で防ぐが、勢いは殺しきれず…5メートル程飛ばされ、なんとか足でブレーキを踏んだ。
「ちぃっ…」
「つぅ…、地面を掘って移動したの?」
ジンジンと痛む腕を振り、一滴流れた冷や汗に気付いて、神妙な面持ちを見せる。
「いいや。お前が神秘をばら撒いてたから、その中に紛れて神秘を使っただけだ」
「…地面の中を神秘で移動かぁ。…虫がいなければ、移動手段としてもありかもね」
「虫嫌いなのか?」
「別に。ただ、役者の私はあんまり得意じゃないから」
…新たに知る、夕空逢という人間の一面。
…ただ、それを知ったところで…この戦いが中断されることも無ければ、その新たな知識が活かされることも無いのだろう。
大剣にヒビが入る。…どうやら、神秘を酷使し過ぎたようだ。そもそも、普段から神秘大剣にはよく世話になっていた。
…神秘剣には、使用料制限のようなものがある。
対して神秘使いもまた、神秘が無限に使えるわけではない。いつか、ガタが来るはずだ。
…持久戦は得策ではない。何故って、寿命が残り僅かだからだ。…本当に。本当に残り僅かなのだ。
大剣を投げ捨て、片手剣を構える。
「…そもそもなんだが…なんで、地面に突き刺さないで地面を隆起させられるんだ」
「…」
そう、地面に剣を突き刺さなくてもそんなことができるなら…地面隆起はとてつもなく強い。何故って、話してる最中の相手を、急に落とし穴に落とすことができるからだ。…対非神秘に対しては、これほど有効な手立てはない。
そんなことができるのは…。
「もちろん、秘剣があるから」
何の感慨も無く、胸に手を当て、桜色に輝く大剣を取り出した夕空。
「まぁ、わざわざ取り出して戦っても、弱点が増えるだけなんだけどね」
柄から手を離すと、粒子と化して消える…桜色の剣。
大剣と言うには少し刀身の狭いソレ。…彼の趣味は極細の太刀だが……その色が、散る桜のように消えていったその剣が…美しいと、そう想ってしまった。
「…あれ?どしたの、澪」
短剣をしまい、目を閉じる。
灰身滅智が解かれる。
…戦意の失せた彼に、今が好機と神秘を発動するような真似を、彼女はしない。
暗い世界。胸の奥。…4ヶ月前、救ってくれたのはクォーリアだったが…それよりもっと以前。今の自分のスタート地点で、手を引いて立ち上がらせてくれたのは…目の前にいる夕空逢に変わりない。
あの時は『首輪』だなんて例えたが…アレは本当は、暖かく包んでくれる夕焼け色のマフラーだったんだ。
…寧ろ、首輪に縛られているのは……彼女の方ではないか。
「…謝らなきゃいけないことがある」
閉じていた瞼を開く。…目の前に立っているのは、間違いなく…あの日から変わらないままの…ヒーロー『夕空逢』だった。
――――――――――――――――――――
目つきが変わった。…いや、それだけじゃない。明確に、何かが変わったのだと、目の前の青年の在り方がそう認識させた。
「謝りたいこと?…なんだろ、私から君に謝るべきことはいくつか覚えがあるけど」
勝手に殺しまくったこととか、本性を隠してたこととか、実力を隠して戦ってたこととか…数えればキリがない。
彼からの「な、なにこわい」を引き出すつもりだったが…彼は黙ったままだ。
…聞いてはいけない。そんな予感。
自分の直感はよく当たると、そう自負していたから…反射的にそんなボケになってないボケをしてみたが…同時に、聞くべきだ、という予感もあって…彼女はジッと、彼の言葉を待ってしまった。
「…役者のお前と、作家のお前がいる。それは、違うって…そう思った」
穏やかに流れる風に、寒気を覚える。
背筋が凍り、今すぐ彼の口を塞げと、本能が訴えている。
「…悪逆非道だ、人形劇だ、そう思っていたけど…俺がお前の立場なら、少なくとも数回は時間を巻き戻すし、それ前提に生きていただろう」
胸に手を当て、確信を持ってそう告げる男。溢れ出さんとする気持ちを抑え、今一度目を閉じ…改めて、正面から…独りきりの少女と向き合った。
「お前は『夕空逢』だ。俺が好きだった、憧れたお前のままだった」
…思いの丈を言い切った、優しい瞳。奥底に決意が宿ったその目には…ただ、1人の少女だけが映っていた。
「…澪は、巻き戻しを肯定するんだね?」
「違う。俺は”お前”を肯定する。…役者だ作家だ、世界の支配者だ…なんてのは、全部”お前”だ。…俺を何度も殺したのも、知っていて見過ごした、助けられたのに助けなかった、助けなくてもいい人を定義した、全部が全部”お前”だって、そう認めた」
…解っているのに、誤魔化そうとして…結局トドメを刺された。
…二重人格みたいなもの。そう割り切らなくては、心から『夕空逢』としての自分と、『支配者』としての自分に区切りをつけられなかった。
だって、心温まるような言葉も、初めて味わった経験も…『支配者』として受け取った瞬間に、冷めてしまうから。『夕空逢』としての人生を、楽しめなくなってしまうから。
なのにそれを…真っ向から否定された。支配者は『夕空逢』、そう定義されてしまえば…逃げ道は無い。
「…君は、どうしてそんな目で私を見ているの?…君は今、1番言っちゃいけないことを言ったんだよ。私は夕空逢であって、正義の味方じゃない。君が言ったような悪行は、ヒーローのすることじゃない。だから、正義の味方としての私と、支配者としての自分を分けようとしているのに…!」
「誰かを救う為にやったことだ!手段は最低、過程も最低でも…お前の心根は…正義の色をしている!!!」
言われて、手をかざすと…秘剣がもう一度姿を現す。。
…修練の結果手に入れた力の結晶。…初めて秘剣が姿を現した時……思ったよりも、嬉しくなかった。
『逃げられない』と、心の何処かで思ってしまったのだ。
誰かを助けたい。救える限りを全て。
ただ…巻き戻しだけでは、同じ時間軸の中で救える人数に限度があった。
それなのに…ここまでの力さえも手に入ってしまったら…救おうと思った人を、全て救えてしまう。
勿論、救える人が増えたことは嬉しかった。だから、飛び跳ねて喜んだ。
けれど…いよいよもって、逃げ出すという選択肢が消えてしまったことに…心の何処かが欠けてしまった。
右手に輝く剣を見る。
…桜色に光る大剣。それは、心根を表す姿。…彼女が願った、英雄としての色。自作の神秘装束によく似合うソレは…少女が少女として”理想”へと至ったことの証明。
「…っ……どうすればよかったって言うの…?」
救うために救わないことを選んだり、自分の物差しで人の生死を決めたり……完全に悪人がやることだ。
それだけのことをしてきても…秘剣は、心根は変わらない。いくら、「私は『夕空逢』じゃない」と思ったところで…それを『夕空逢』は認めない。
一滴だけ、涙が溢れた。
3つの神秘剣…短剣も、片手剣も、刀も適当に投げ捨て…彼は愛刀の柄に手を置く。
「……諦めろとは言わない。…俺が、諦めさせてやる」
…それ以上多くを語らずに、そう決意を宿した目で告げる北本澪。
残された時間はごく僅か。…その全てを持って、雨雲を晴らす。
彼は再び、その身を灰に堕とした。
一撃でケリをつける。その宣言を受けて立たないようでは…ヒーローは名乗れない。
彼女は…左手の大剣を地面に置くと、右手の秘剣を両手で構えた。
「私は死ぬまで止まれない。君は死ぬまで認めない。…なら、結局…こうするしかない」
随分前から枯れてしまったと思っていた涙腺は…しかし、決着がつくまで…それ以溢れることはない。
「ヒーローは……大事な場面では、絶対に負けないんだ!!!」
同時に地面を蹴る。
両者の身体強化は、その身を音速にまで加速させた。
交錯する剣と剣。交わったのは一瞬だけだったけれど…その、最期の光景は…彼女のこれからの生涯に、深く刻み込まれた。
一瞬前までとは真逆の位置に立つ2人。
僅かに出た刀身を鞘の中に戻すと、小さな金属音が鳴った。
確かな手応えを感じ、残心の後、振り返る衛士。
…斜めに一閃。身体を真っ二つに切断され、地面に倒れこむ侍。
——決着はついた。
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