第36話
目を覚ます。と、彼の腹を枕にして座りながら眠っているクォーリアがいた。
…髪の色は白いまま。そして今も、”理性が少ない”状態を認識していた。
蟀谷を人差し指と中指で軽く押し、頭の中を整理する。
やるべきことが何で、やりたいことが何か、はっきりと、“理解”している。
左手は自由に。胸に右手を置き、吸って、吐いて、吸って、吐いて。生きるための動作を。
クォーリアの抱き心地に頼らなくとも自然に零れた涙は、氷と化していた心臓が溶解したからか。
髪の色は左前髪もみあげ以外が元の橙色に戻り、目の色も右目は元の蒼へ、左目は紅になっていた。
どっと疲れを覚えたのは、スイッチを切り替えたことによる疲れではなく、単に、死ぬために忘れていた疲れを生きるために思い出したからなのだろう。
「ふぅ…」
「んぅっ…?れい…?」
目元を擦りながら顔を上げて目を覚ますクォーリア。可笑しな体制で寝ていた癖に、特に体に違和感は無いらしい。
寝ぼけ眼で見つめてくるクォーリアはのんびり、のんびりと目を覚ましていき…そして、昨日までとは違う彼に気が付いた。
「…おはよう、澪」
未だ眠いのか、それとも母性の為せるものなのか、穏やかに目を細めて笑うクォーリアに…
「ああ…おはよう、クォーリア」
少し照れた表情で、胸の穴を塞ぐ手を除けた彼がそう微笑みを返した。
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クォーリアとの生活については一度割愛し、時はあの日から4か月後。
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あの暴走状態のことを、『灰身滅智』と呼ぶことにした。師匠に聞いたことのある、昔あった宗教用語らしいが、武芸者にも当てはめられる、1つの境地の形の名前だ。
身体を灰と化し、智まで滅することで悟りを得るとか。暴走し、寿命を削り、静かな心に沈んでいたあの状態に、これ以上ふさわしい言葉はあるまい。
半端に灰身滅智を残したのには理由がある。
…認知症、あるいは記憶障害。それとも”ボケ”か。それの対策のためだ。
あの力は有限だ。そして、一度スイッチを入れてしまったが最後、借りた分の力を負債として返さなければならなくなる。夕空と初対面の時と、それから暫くの強大な力で、彼は一生分の”無茶”を使い切っていたのだ。…厳密には違うが、少なくとも彼はそう解釈している。
それなのに再度の酷使。ならばその買った力は、何かを売り払わなければならないはずだ。
それを防ぐ為の、半端な状態。これはただの…問題の先送りに過ぎない。借金を返す為に、他の所から借金をしているようなものなのだ。
「…これじゃ、彼女の願いとまるで正反対だな」
永く、長く、ずっと一緒にいて欲しい…という、少女の願い。それとは相反して、彼は…間違いなく、短くしか活きられない。
「…どうしたものか。…それとも、いっそ不老不死にでもなってしまえば、負債を帳消しにできるか…?」
不老不死…その存在は、伝説上のものだと思っていたが…先日、彼女にそれは否定された。
――――――――――
「不老不死?」
「ああ。…クーがどれだけ長命なのか分からんが、暫くは全然大丈夫そうなんだろ?」
「うむ。500ほど生きてきたが、別に体にガタは来ておらぬ。…まぁ、そもそもの老いる、という感覚がわからんからなんとも言えんが」
人の場合、30、40にもなれば体が「全盛期ではない」と訴えているのを聞くはずだ。つまり、彼女は後1000年は生きる可能性がある。
「前言ってた、理想の触媒。アレと同じようにできるんじゃないかと思って」
「ふぅむ…。使い手のいない神秘と、神秘の無い”存在”なら…とは思うが、お主は違う。すでに存在しているお主では、うまくいくはずがない」
「でも、試したことがあるわけじゃないんだろ?」
「無論じゃ。死んでしまう以外の未来が見えんことを試せるわけなかろう」
…先日倒した神秘剣使いの親玉は、神秘を自身の体に取り込むことで、秘剣を手に入れようとしていた。結果は、数分だけ使えたが体がもたずに死亡。…あんなことがあったのに、それでもその可能性を尋ねてくる彼に、クォーリアは溜息をついた。
「そもそも…お主が不死になることは反対じゃ」
「なんでまた。このままじゃ、俺は…1年も保たないぞ」
「…解っておる。ただ。ただな…、妾が死んだ後、お主はどうなる?妾と同じだけ…いや、妾以上に永い時を、独りで過ごすのか?…それがどれだけ辛いか解っていて…妾がお主にそれを求めるとでも?」
なんとも言えない…怒っているようでその実哀しそうな顔で彼の目をじっと見るクォーリア。
「……別案を考えるよ」
――――――――――
「そも、不老不死の死体をどうやって持ってくる。死なぬから不老不死なのじゃぞ」
「…不老不死の怪異に心当たりがないわけでもないが」
など色々言われて…結局彼は、神秘の変換、長命の怪異の性質を奪う、という…神秘剣の主と変わらぬ考えで旅をしていた。
――――――――――――――――――――
「…こんにちは」
「……こんにちは」
小さな家の二階。陽の光が差し込む、本に埋もれた部屋。少し埃っぽい。光を反射する、背中まで伸びた茶色い髪。ベッドの上からこちらを、にこりと微笑んだ少女は…一言で表せば”優しそう”だと感じた。
「依頼を見て、来てくれたんですよね?」
「…ああ。じゃあ…あんたが?」
「はい」
読み掛けだった本を閉じ、一度ゆっくり、眠るように目を閉じると
「どうか、私を殺してください」
――――――――――
「
凶悪な怪異が出現。人に化けた怪異。支給対処されたし
」
簡潔な依頼書を見てこの村に来たが…辺りには、この少女以外の気配は無かった。
「…あんたが怪異なのか?」
「はい。怪異です。…他の方達は悪戯だと思って帰ってしまわれたのですが…」
「…なんていうか…自分で死ぬことはできないのか?」
ひどいことを言っている自覚はあるのだが、そもそも、私は怪異です、殺してください、などと言われてもどうすればいいのか解らない。
「…しました。けど…すぐに傷が治るんです」
キュッと目を瞑り、怯えた声でそう白状した少女。
「…どういう怪異なんだ、そもそも」
改めて少女を見てみる。…ハッキリ言って、ただの人間。だが…それでも話を聞くのは、身近にクォーリアの存在があったからだ。
「…それが、あの…申し訳ないんですが…よく、解らないんです」
「……はぁ?」
いよいよだな、と喉まで来ていたが堪え、訝しむように少女を見る。
「…記憶が無いんです。ふと、急に意識が無くなって…次に気がついた時には、村のみんなを殺していました」
この家の中は普通の、綺麗に整っているが…彼女の周りの他の家は所々に穴や傷があったり、倒壊したまま放置された家までもあった。
まるで嵐か、大きな獣に襲われたかのように。
「ただ…1年ほど前に同じ依頼を出してこの村を訪れてくれたお侍様が言うには…不死じゃないか、と」
「…なるほど」
師匠だろうか。…こんな形で、探していた不死が見つかるとは思わなかったが…。
不死で、灰身滅知を使える…剣士でも神秘使いでもない、ただの少女。
制御が効かないのか?だとしても、今まで…この歳になるまで、つい最近まで人間としてやれていたのに、急にそんなことになるなんて。
「何か、その…そうなるタイミングとかは分からないのか?初めてそうなった時の原因とか、分からないのか」
「………わかりません」
少し考えてから静かに首を振った少女。ゆっくりとベッドから降り…部屋の扉の前に立ったままの彼の手を取った。
「…どうか、信じてください。私がまた、目覚める前に…早く、殺して欲しいんです」
切実に彼を見上げて懇願する少女。「…よしわかった」と殺せれば良かったのだが…そこまで、彼は吹っ切れていない。
「……実は、俺の知り合いに、あんたみたいな怪異がいるんだ。不可思議とか神秘の研究もしてるやつで……だから」
と、聞くや否や、悲しげな顔色は吹き飛び、大人しそうな顔に似合わず目を輝かせ始めた。
「ほ、ほんとうですか…!?」
連れてってください!お願いします!と先程まで「殺してくれ」と頼んでいたとは思えない少女の様に、彼は何とも言い難い表情で苦笑いを返した。
―――――――――――――――――
準備します!と荷造りを始めた少女。なんとなく家の外に出て待機しているも、手持ち無沙汰で…彼はなんとなく、隣の家の壁を見上げた。
「…これを、あの子が、ね…」
彼の頭一つ分はあるであろう大きな穴と、大剣を振り回さなければできないような爪痕。
少しして少女が出てきた。
「おまたせしましたっ!行きましょう!」
小さなバッグひとつと、護身用の短剣を携えた少女が出てくる。
「…どうしたもんか」
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