第34話

 それからーー


 王都に戻った彼はクォーリアと共に騎士協会へと向かっていた。


「澪、穏便にな」


「ああ」


 ――――――――――――――――


「ちぃっ…おのれ…!」


 崩れ落ちた騎士団長。すぐさま何処かへと運ばれていき、その場に残るは彼と少女。


「満足、したかの?」


「…そうだな」


 そうかそうか、と歩み寄って手を差し出す。


 …ほぼ、八つ当たりのようなものだ。

 宿で身支度を整えるや否や、契約の延長…なんて謳い文句で道場破りを行った。

 結果、全勝。彼はもはや『人間』をやめていた。


「妾の里に来い。近くの森には怪異もウヨウヨおる。仕事には事欠かないし、衣食住まで提供しよう。…どうかの?」


「…お前がついてきたのは、外の世界を調べるためじゃなかったのか?」


「中止じゃ。やはり妾自らが出るのは研究に遅延を招く。王家と衛士には話は通しておる。神秘剣の連中も任せよう」


「…そうか」


「ほれ、帰るぞ」


 純白の小さな手を取ろうと、血濡れた手を伸ばす。彼女の笑顔は少し影を帯びていたが…きっと、些細な事だろう。


「待って」


 修練場に姿を現した正義の味方。先日に引き続いての惨状に思わず怯むが、すぐに彼を睨みつけ、それからクォーリアと目が合った。


「…言っておくが、宣言した上での試合だ。正義かと言われれば違うかもしれないが、裁かれる謂れも無い」


「解ってる。…クォーリア、この人をどうするつもり?」


 射抜くような瞳に本能が震える。だが、彼女は少女であっても幼くはない。


「妾の里で匿う。此奴は無敵じゃ。そして、最早怪異と変わらん。が、妾の里なら此奴が暴れることはあるまい」


 嘘だ。彼を怒らせればどうなるか、なんて解らない。他の人にとっては理想の人も、彼にとっては極上の悪かもしれない。これから先、10年も、20年も、その危険性を無視して生きることは無理だ。


 手を伸ばし、掴んだのは赤黒い手。リスクの大きさは理解していて、また、リターンの小ささも勿論解っている。だが、それでも…少女にとって彼は、”まだ”見捨てるに値しない。


「…1週間後に、いつもの宿屋に来て。それでも元に戻っていなかったら、私がなんとかする」


「…?」


「……」


 それだけ言ってその場を去った夕空。


『なんとかする』の意味も分からぬまま、2人はその場から姿を消した。


 ―――――――――――――――――

 …彼女は彼と出会ってから、何度か時間を巻き戻していた。といっても、それは、彼と一切関係ない人々を救うため、だ。

 彼が手を出した者、彼と関係が深い者に関しては、現在救うこともなく放置している。

 …そんなことをしても、結局最後に時間を巻き戻す時にまた救わなくてはならない。そんなことはわかっているが、誰かを生かした結果の不都合など、色々な要素を加味して、今のスタンスが完成した。

 …故に、今回も巻き戻さない。…はずだった。

 今回、彼は…あまりにも、彼女にとって有益な人々を殺しすぎた。

 流石の彼女も、死者蘇生はできない。

 …彼女は、彼のあの変貌を見て、1つの結論に至りつつあった。

 …彼は”災厄”なのではないか、と。

 彼女の天敵に育てられ、あまつさえ騎士団長にまで勝ち、見知らぬ怪異に導かれようとしている。

 十数年…いや、巻き戻した時間も含めれば百年は優に超える彼女の人生の中で、かつてない”時計の針”だ。

“時計の針”は、何かを成し遂げる人のことだ。彼女のこれまでの経験がそう認めている。

 世界を変えるような出来事から、小さな村の1つの事件、一個人の個人的な問題まで…”何か”を成し遂げる人だ。

 …もし、この人の成し遂げることが『神秘使いを超える非神秘使いが誕生する』だったなら…彼女の手につけられなくなってしまう。

 それは看過できない。絶対に認められない。

 だから、1週間の期限をつけることにした。

 もし、元に戻るようならそれでよし。殺して巻き戻し、あの悲劇の場で傷の手当てを行い、全員救う。

 もし、元に戻らないようなら殺し、エンディングを迎えさせる。つまり、最初まで巻き戻し、全て彼女の思惑通りに動くように”時計の針”を操作する。


 …今すぐ殺すべき、そんな気もするが…何故か彼女は、そうする気になれなかった。


「…?」


 何故なのか?長い、長い人生の中で味わったことのないその感情を…彼女はまだ知らなかった。


 ――――――――――――――――


 理性、とは…生きる為に不可欠なモノ。物体としてそこにあるわけではないのだ。取り戻すことは普通に考えて、可能だ。

 だが…彼は生きようとしているのではなく、満足いくように死のうとしているのだ。

 あらゆる者を薙ぎ倒すレベルの徹底した理性の剥奪。それをどう覆せばいい。


 可笑しな話だが…理性を取り戻すには”理性”が必要なのだ。


「―――!」


 ピコン、と豆電球の光る音。


「生きたい、と、そう思わせれば良いのか…!」


 単純だがそれ故の最適解を見つけ、クォーリアは椅子から立ち上がり部屋から飛び出した。


 ―――――――――――――――――


「…はぁ」


 結論から言って、ダメだった。

 何したい?と聞いても、頭を撫でさせろだとか抱き締めさせてとか此処に居てくれとか、それだけ。笑顔は見れてもそれで理性を取り戻すには至らない。


「…というか、これ以上手を出さないんじゃな…」


 もっと、キス以上のことをされるのでは…と警戒していたのだが、そうはならなかった。


『むぅ〜?…じゃあ、どうすればいいんじゃ…?』


 ふと窓の外に目をやると…いつものようにベンチで丸まって眠る少女の姿があった。


 ―――――――――――――――――


「久しぶり」


「…ああ」


 薄暗い部屋の中で寝っ転がって虚空を眺めていた彼の元に現れた”理想”。理想が目の前に現れたなら…理性のない人間が何をやるかなど、解りきっているだろう。


 部屋の前でこっそりと聞き耳を立てるクォーリア。しかし、彼女の思い描いていた展開とは真逆を行った。


 上体を上げ、真っ直ぐに向く。視線が交わり、その瞬間…胸を通り抜ける風に、思わず右手で胸を庇った。


「…めんどくさいから手短に言う。今すぐその目をやめて」


「……無理。簡単に戻せるようならそもそも、今までも簡単に切り替えられた筈だ」


「……そう、かな?」


「そうだろ?」


「…案外、できそうだけどね」


「……」


 単純な話、殺すために理性を捨てたのなら、殺すために理性を取り戻す状況になればいい。

 だが、殺すために理性が必要か?と考えられる者はすでに理性を持っている筈なのだ。

 つまり…不可能。


「……少し、歩きに行かない?」


 ―――――――――――――――――


 連れて行かれたのは…しかし、何の変哲も無い、里から少し離れたちょっとした高さのある丘。時刻はちょうど夕方ぐらい。


 前を歩く銀髪の少女。後ろを往く白髪頭の少年。少女がその場に腰を下ろすのを見て、彼も続く。


「……」


「……」


 紅い、世界。『同じ赤でも、この前の地獄とは真逆だな』と自虐的に心の中で呟く。


「…どうして、こうなっちゃったんだろうな」


 暖かな夕陽が、仄かな熱が、彼を包む。


「自分が望んだことだ。欲しがっていた力だ。けれど…」


「…?」


「…いざこの力を手に入れても、やりたいことが思い浮かばない。…前までは、神秘剣が使いたいとか、あいつに勝ちたいとか、師匠に喜んで欲しいとか…思っていたのに、今は……なんでそんなことを考えていたのか、思い出せない」


 理性とは、生きるとは…すなわち願いだ。ああしたい、こうしたいというのは、生きていなければ成立しない。

 理性を捨てて、生きようとしなくなり、ただ、死ぬために生きている。


 そんな壊れた存在は『▷たたかう』しか選べない。


 仮に元に戻ったとして、その時こそ、いよいよ居場所がないだろう。やりたいことが見つかる代わりにやる為の力を失うか、やりたいことを失う代わりに使い道のない力を手に入れるか。


「…元に戻りたいの?」


「いいや。…俺が選んだ道だ。例え明日に死ぬことになっても……後悔はするかもしれないけど、それでも、『ま、いっか』ってなると思うよ」


 かつてと同じように笑ってみせる。表情も、目も、全てが昔のまま。

 ただ …命の色、とでも言うべきだろうか。身に纏う気配が違うのだ。


「…そっか」


 自分と話しているようなその会話。イマジナリーフレンド。理性が夕空の姿を持って現れたように。


 だから今、やりたいことも決まっていた。


「〜〜〜」


 心地よいリズムが、静かな丘に流れていく。


 置いていかれないように、それに続いて彼も唄う。


「〜〜〜」


 自然と右手がビートを刻む。下手くそでも、歌いたいように歌えられれば…それはきっと誰かに届く。


 聞いて。聞かせて。その声を。

 閉じて。閉じて。私の目。

 知らないで。知らないで。知ろうとなんてしないで。

 目を閉じて。それでも見えるものをーー。

 目を閉じて。その時見えたものをーー。


 それだけを信じて。


 耳を塞いだ。目を閉じた。ならもう怖くなんてないよ。

 ああ…愛してる。愛してる。見えない君を、愛している。

 この体、この心、全てがそれを、認めるよ。

 嬉しくて。嬉しくて。ようやく会えた。その事が。


 初めまして?いや、久しぶり。


 幼児退行、過去退去。最近どう?普通かな?

 大丈夫。時間はきっと、沢山あるから。

 これからもっと、話そうね。

 』


 夕陽が沈み、月が照らし始めるまで…2人は歌い続けた。

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