第22話
ぐにゃりと回る視界。浮遊感と嘔吐感に襲われて思わず目を閉じ、膝をつく。
…再び目を開けた時、森の景観は完全にその姿を消し…湖と小山の側に存在する小さな集落がそこにあった。
怪異側の技術である不可思議を大量に敷き詰めたらしい石造りの街並み。蛍のように無造作に浮かぶ光の玉達に、本来上空にあるべきオーロラまでもが触れる位置にある。目を開けた時、彼はその集落の入り口に立っていた。
本題はそこではない。先程から視界に映る何人もの住民達……それらは全員女であり、しかも”可愛い”。
わざわざ特筆すべきことに”可愛い”を入れるぐらいには…異質な光景だった。
たしか…美しい女に化けて人間を食べる、みたいな怪異の話を聞いた覚えがある。これは…まさにそういう状況なのだろうか。
自分の眼前、何処からともなく雪のような光が降り注ぎ、1人の少女が具現する。
「…こんちわ」
「――!」
スラリとした小さな体躯に寝癖のついた長い銀髪。緑色の瞳の少女はとても…なんというか……眠そうだった。
その容姿に思わず、彼は心臓を抑えた。
「…?ついてきて。長に会わせるから」
メンドくさそうに先を歩き始める少女。
さながら今生まれたかのような出現の仕方だったが、少女は特に何の感慨もなさそうに、慣れた様子で目的地へと歩みを進める。
ついて行くべきか、それとも逃げるべきか。
明らかに、怪しい。この集落自体が怪異の仕業であることは間違いないだろう。
後ろ姿にも息を飲む。
迷った挙句…追いてかれないうちに彼もその後を追った。
「む?お客さんかの?」
今起きた、というように小さな一軒家の前で伸びをする、銀髪の少女よりも4、5歳は幼いであろう少女。金髪の長い髪は地面に着いてしまいそうですらある程で、飾らないがどこか威厳のある紅の装束は年不相応だ。
「うん。連れてくよ?」
「うむ。よろしく頼んだぞ。妾はもう一眠りする」
再び歩き始めた少女。その後を追う前にもう一度なんとなく、振り返った。
「む?…クフフっ。お客人。期待しておるぞ」
「?」
視線に気付き、そうニヤリと口角を吊り上げて笑みを浮かべる少女。意味は汲み取れ無かったが…その不釣り合いな表情が、妙に印象に残った。
集落の中でも段差数段分だけ高くなっている大きな家に連れて行かれる。その間にも数人、可愛らしい少女達とすれ違い、挨拶を交わした。
「なぁ」
「?」
「…あんたらは怪異なのか?」
「そだよ」
家の中に入る直前、銀髪の少女が玄関の扉に手を掛けたタイミングで質問を投げかけ、それを止める。
何も躊躇うことなくそう答えた少女は彼を振り返り、半分しか開いていない目で彼を見つめ、扉に触れる手を離し、真っ直ぐと見つめる。
「…帰る?」
首を傾げ、上目遣い。三歩分距離はあるが、その、不安ともどうでもいいとも取れそうな弱々しい目力に心臓を大きく捕まれ、彼は一歩後退り、胸を強く抑えた。
「ッーー……いいや、大丈夫だ。……行こう」
「ん。りょーかい」
彼の異常を気にした様子も無く再び扉に振り返り、少女は今度こそ、その扉を開いた。
…違和感、疑問点。いくつもあるが…目の前に餌を釣られて、そのまま逃げられる程、彼は欲の無い人間では無かった。
ただし…彼の目は、誘い手の思惑とは異なり獲物を狩る狼のソレではなく、今にも死にそうな”人間”のソレだった。
家の作りは普通の木造建築であり、清貧な小貴族…いや、滑り出し好調な商人亭、という感じ。調度品などは多くは無いがそれなりにあり、掃除も行き届いているようだ。
入ってすぐ左の扉を開け、一室へ。その部屋は教室1つ分以上のスペースだったがひどく簡素であり、カーテンと窓がある以外には、扉から離れた部屋の中央に、長机と椅子、そして1人の少女がいるだけだった。
「んじゃ、後は長に聞いて」
それだけ言うと銀髪の少女は去ってしまう。一瞥することもなく、何処となく義務的なのは、考えるまでも無く義務だからだろう。
部屋の扉が閉まる音を最後に、しばし静寂が訪れる。何を言うべきか、いまいち纏まりがつかず、しかし会話をしない、というわけにもいかず…ついに彼が意を決して口を開こうとしたところで、目を閉じた黒髪の少女が目を覚ます。
「…ようこそ、旅の方。この里の長の、レンと申します」
ぺこりと頭を下げた黒髪ショートの少女。凛とした雰囲気ながらにどこか纏わり付くような”嫌悪感”も感じる。
「…どうも。…この集落は…?貴方は怪異なんですか…?」
「ここは隠れ里ナナシ。人と怪異の間に立つ里。選ばれた者だけがこの里を訪れることが許される」
「…」
「私は…怪異と人の間に生まれた存在。時折人を呼んで、依頼を出す」
「依頼?」
整理のつかぬまま勝手に話は進んでいき…早くもパンクしそうになる頭を掻いて、彼は続きを待った。
「…この里にいる少女達は、私の“作った”不可思議”です」
「………は?」
言われた言葉に息が止まる。素っ頓狂な間抜け声が出て、理解しようという頭と、理解するなという本能が殺し合いを始めていた。
「と、言っても…確かに感情と命を持っています。幻影というわけでもなく…願いの具現。私の命を分け与えて生まれた、そこに確かにいる“存在”」
「……”願い”の具現。…成る程、だから…」
「依頼というのは…少女を貴方の旅に連れて行ってほしいのです」
「…目的は?連れて行くだけでいいのか?」
「私たちは、怪異の言葉を理解できます。知性のある怪異、或いは不可思議を持つ怪異と出会い、知識を共有したいのです」
怪しい取引。だが、ここで拒んで何になるというのだ。生命を生み出せるような、規模の違いすぎる怪異…拒んだ瞬間殺されるかもしれない。
それに、今現在、話を聞いている限りでは…彼にとって不都合なことは一切無い。タダより高い物は無いと言うが…。
「…護衛か。…この依頼を受けてる人間はどれぐらいいるんだ?」
「…最後に人間に護衛を依頼したのは100年以上前ですね。…護衛として適正な人間が訪れることは、中々無いので。…作り出せる生命の量にも限りはありますから」
「…まぁ、そうだろうが。…調査とやらは100年間進んでないのでは」
「いえ。経験を積んだ不可思議の少女は、神秘擬きを扱って戦えるようになるので」
…成る程。
神秘擬きとは…一言で表すなら、怪異が使う神秘だ。怪異なのだから剣を持つはずもない。剣を持たずに神秘が使える。つまりこいつは怪異だ……なんて思われる可能性も考えたが、そもそも、喋ることのできる人型の怪異の存在は、あまり知られていない。…というより、彼も今知った所だ。
「…俺をここまで案内して来たあの娘は」
「今さっき生まれたばかりの、新たな来訪者の願いの具現」
それはつまり…。
「彼女は貴方の理想…でしょう?」
…その言葉に、押し黙ってしまう。認めているようなものだ。
黒髪の少女は悲痛な表情に何かを察したようで言葉を続けるが、その心配は全くただの勘違いであることは後で知る。
「…里にいる他の少女達は、私が昔実験的に作った不可思議の少女ですが、性能的に衰えはありません。…もし望むなら、先ほどの少女以外でも勿論構いません。…勿論、私でも」
そのセリフの後長机をコンコン、と拳の裏でノックすると、部屋の扉が開かれ…20人ほどの少女が部屋の中へ。各々が、照れたようだったり、不機嫌だったり、酔ったようだったり、濁った眼だったり、元気溌剌だったり、眠そうだったり…。
その全ての少女が美少女であり…一番手前に立つ銀髪の少女程ではないが、現実ではありえないレベルの"可愛い"が、その空間を占めていた。
「……っ………」
胸の痛みが募る。いっそただの人形だった方が気が楽だったかもしれない。
…この依頼を断る理由は無い。純正な人間じゃないことなど、彼にとってそこまで問題ではない。ただ、一つ。大きな問題がある。しかしその問題が仮になかったとして、誰を選ぶかと言うと…。
胸のつかえが取れない。今この時は、大きな転換点の一つだろう。掴み取る未来を、自由に選べる…というのは、あまり経験してこなかった。
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