第17話
「まだかしら…」
自室にて窓枠に腕を、枕がわりにして城下を眺める少女――いや、王女。誕生日仕様の白基調の大変歩き辛そうなドレスの少女は、高鳴る胸を抑え、今か今かとその時を待っていた。
以前、偶然にも街で耳にした歌。それの歌い手をようやく城へと呼べたのだ。目の前で、もっと近くで聞きたい。できるなら話してみたい…!今日の分の勉強その他の義務を果たした彼女は、会ったら何を話そう、選んだお菓子が口にあってくれるといいけど…など、1時間後の生歌に向けて心を躍らせていた。
「…あと1時間もあるのよね」
いつもの、何もない日々…とは言い難い、王女生誕祭の初日。誕生日だというのに、随分と長い間ほったらかしをくらっている。
というのもしょうがない。父も母も忙しい身だ。加えて隣町で何かあったらしく、騎士団長と数人の騎士が出払っているらしい。街の警備は?祭りだよ?とも思うが…なんでも、特異な怪異が現れたらしい。怪異というのは殆どが何かしらの動物、もしくは物体をモチーフに何かしら改造が加えられたものが大多数で、知能はそれほど持ち合わせていないのだが…どうにもその怪異は「剣」を使うらしい。何人もの騎士がやられ、ついに団長の出番、という訳らしい。
「…ふぅ」
何気なく空を見上げる。祭りだというのに雲が天井に敷き詰められており、今にも雨が降りそう。
…そう思っていた矢先に。突如として空から一粒の黒い雨が降る。続けて1つ、2つ…それどころではない。もっと、もっと…それはまさに黒い雨だった。
異様な事態に意識は跳び起き、一歩窓から下がると…ちょうど黒い雨が目の前を掠めた。
「ひっ…」
「姫様!」
部屋の前を警備していた騎士が部屋へ。
同時に窓から幾重もの雨…ではなく、カラスが、部屋へ。
「伏せて!」
カラスの大群に迫られ尻餅どころではなく地面に仰向けに転んだ王女。その頭上を炎の波が這い、カラス達を一網打尽に包み込む。
「こちらです!」
炎の波が止み、騎士は倒れる姫の手を取り立ち上がらせる。が、
「…っ!」
もう一度カラスの軍勢が窓から迫る。部屋にある窓は1つだけではない。4つある窓、その全てをぶち破ってカラスが侵入してきた。城内のそこかしこからも人間の悲鳴と怪異の鳴き声が聞こえてきて…突然の目前に迫った死に、少女は震えて動けない。
「下がって!」
騎士は少女を引っ張ると、部屋の外へと突き飛ばす。手が離れた瞬間に、その部屋全体を炎が覆った。
「きゃっ!……え?」
僅かに打ち付けたか細い腕。痛みで小さな悲鳴を上げつつ騎士の方を見ようとして、燃え上がった部屋を見た。
…炎使いだから。自分の炎で燃え死んだりしない。なんて、そんなわけない。
早すぎる自己犠牲の判断に、脳の処理が追いつかない。
「姫様!ご無事ですか!」
廊下に出た先でまた騎士に手を伸ばされ、それを取る。またどこからか飛んで来たカラスが現れ、彼女を守るために犠牲となる。
そうして城を駆け回り…炎と血と屍の合間を縫って…辿り着いたのは、父と母が外来人と会う時に使われる玉座の間。
…道中で血に伏した両親を見た。
もうこの国はダメなのだと、否が応でも理解した。…それなのに、彼女はまだ生きている。
短時間の間に、自分を守る為に代わる代わる死んでいく騎士達。1発の弾丸を防ぐ為に1人が盾となる…それを十数回も繰り返せば、頭がおかしくなっても仕方ない。
「…もう、もういいのです!私のことはいいから、あなたは…!」
広い応接間、しかしついに玉座の手前まで怪異は迫り、少女は枯れた声でしかし懸命に声を張り、騎士へ言葉を投げる。
「私達は…騎士とは、こういうものなのです。自分の命と引き換えに誰かを守れるのなら、それを誇りとできる者なのです」
「敵の狙いが何なのか…私にはわかりません。ですが、きっと…貴女が生きていること、それは奴らの思惑とは異なるはず…」
「…」
「…どうか、生きてください」
その声を最後まで聞き、玉座の後ろに丸まって座り込む王女。王座の前には炎の壁が。これで漸く、騎士は周りを気にせず存分に戦える。
騎士は怪異の群れへと飛び込んだ。
…炎の壁が溶けて消える。怪異の羽ばたきはもう聞こえない。なんとか体を鼓舞し、立ち上がる。
――最初に『地獄』という言葉を作った人間は、これと同じような光景を目にしたのだろうか。
玉座の間の扉が開く。1人の男が抜き身の刀でその中へ、警戒しつつ入ってきた。
オレンジ髪の黒い刀の男。目つきは悪く、街で見かけても声を掛けようとは思わない風貌。
しかし…。
「…誰か生きてるのか?」
一歩、また一歩と迫り、男はついに、血塗れの白銀ドレスの少女を見つける。
怯えた目…というよりは、何か、失ったような目。
「…」
また、また。また…手を差し伸べられた。
この人も、私のために死ぬのだろうか。手を取ろうとして、しかし思わず引いてしまう。
「…生憎、俺はそんなに強くなくてな」
掴まれなかった手を引き、彼は余ったその手で頭を掻いた。
「手を引かなくても逃げられるならその方が助かる。…自分のついで程度にしか守ってやれない。それでもついてくるか?ここにいてもいい。騎士を見つけられればお前のことを伝えておくぐらいはする」
着物の青年とその時初めて目が合った。
礼節という概念を知らないのではないか、というレベルで突き放す言動の侍。
今まで生きてきた中でも味わったことのない態度の剣士を見てーーこの時少女はようやく、あの気高き人達が全て死んだことを識った。
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