第4話
目覚めた場所は、今度も知らない天井だったが…その独特の鼻につく匂いのせいで、すぐにここが何処なのか見当がついた。
白、白、白。特別白いその部屋。病的なまでに他の色が存在しない無機質な場所は…地下病室のそれだろう。なぜ地下なのか、何故ここまで白いのか、詳しくは知らないが、病気の感染を防ぐためだとか、異物を判りやすくするためだとか、そんな理由を何処かで聞いたが真偽は定かではない。
気配を感じ、横に目をやると…椅子に座ったまま穏やかな寝息を立てる少女がいた。
…こいつは、一体なんなんだ。
彼にとって彼女は、首を絞められたことがあるだけの、碌に会話もしたことの無い他人だ。だが、横に眠る彼女にとって彼は…他人とは違う位置に立っているのだろうか。
思い右手を持ち上げ、空に掲げ、力を込める。
あの時見た夢をまだ覚えている。夢の中とはいえ、天に咲く光に手が届いたのだ。あの感触をまだ、覚えている。
自分にもできることはある。剣士として、大成できなくとも…その道は、前人未到の闇の先へと続いてたとしても。
扉の開く音で思わずそちらを振り向く。…背の低い扉に頭をぶつけそうになったその男は、彼をこの病室に追い込んだ1人。そしてその胸元に巻かれた包帯は彼が与えたもの。
「…お、気がついたのか。早いな」
「…2週間、ぐらい…ですか?俺が寝てたの」
「ああ、正解。…すまない。やり過ぎてしまって」
頭を下げられるが、寧ろ、感謝すべきなことであるという事実こそ、彼の中にはあった。
「いえ…ありがとうございました。全力で相手をしていただいて」
「…そう言ってもらえると助かるが…一度、お前を殺してしまったのも事実だ。…すまなかった」
胸に穴を開けられた時点で止まっていれば、恐らくここまでの事態にはなっていなかった。だから、寧ろ謝るべきは彼の方なのだ。
「あの時、止まっていればここまでにはならなかった筈で…だから寧ろ、こっちこそ。申し訳なかったです」
お互いに頭を下げる始末は、どちらもが同じタイミングで顔を上げたことでつけられた。これ以上、その件について話すこともない。お互いに申し訳ないと思っている。お互いに満足のいく殺し合いができた。…なら、これ以上は無粋だろう。
「…1つ、聞きたいのですが」
「なんだ?」
「…あの剣は、何なんですか?」
一瞬その目つきが鋭くなったのを彼は見逃さなかった。ただしそれは本当に一瞬で、秋堅はすぐに小さめな溜息をつきつつも言葉を紡ぐ。
「隠してるわけじゃないが…あれは謂わば、切り札だ」
「切り札?」
「ああ。神秘を極めた者のみが手にする、秘剣。これを手にする段階にまで進んだ者は、剣を握らずとも神秘を使える」
「…まじか」
「俺の知る限り、秘剣は各属性の長しか持っていない。今後あいつらと戦う予定があるなら、そこらへんも頭に入れて戦うといい」
「…ありがとうございます」
「気にすることはないさ。解ってるとは思うが、口外は止してくれ。言わば俺達の最後の砦だからな」
「解ってます」
涼しい、というよりは少し肌寒い風が部屋に流れ込む。未だに眠ったままの彼女の寝息が、2人の男の間に通る。
「…こいつは、何なんだ?」
「何なんだ、とは随分だが…ただの、剣よりも拳を好む、神身一体に特化した神秘使いだ」
神身一体については知っている。散々味わわされた、地の神秘特有の鎧によるガードだ。
「…そういうことじゃなくて。…なんかこう、変な奴じゃないか?」
「う、うん?…そうだな、人一倍正義感の強い、この町の人気者だ。訓練よりも実戦派で、民間から寄せられるような雑用、討伐どちらの依頼も好んでこなす奴だ。大剣も飾りみたいなもんで、基本は神秘を纏って打撃、のスタイル」
…中々に面白い奴だ、ということは解った。が…最も知りたかったことについては知り得なかった。何と言えばいいか…その正義感の在り処が彼は気になっているのだが…本人から理解するしかないのだろう。
「…あー、そういえば名前、聞いてなかったな」
唐突な話題転換だったが、そう言われればそうだった。わざとらしい咳払いの後に続いた言葉だったが、彼は気にも留めない。
「ああ…k」
本名を出そうとして、思いとどまった。…いいのか?いや、そもそも…もっとあの村から離れなければ。…そもそもあの村での自分の役割はどうする?
無いようなものだ。ただの門番。しかも神秘も使えない。
なら消えても問題はない。
だが…変装ぐらいはしたほうがいいのだろうか?いや、いいか。自分を追ってくる人などいない。そも追ってきたとして、切り伏せればいい。
「北本 澪…です」
「おう。よろしくな、北本。俺は秋堅あきがた、一応、こいつらのボスをしている」
手首をクイっと使い、彼女を親指で差し、静かな病室には似合わない笑顔を向けた。
「…お前は今後、どうするんだ?」
これまた唐突だったが、至極当然の質問かもしれない。流れの侍もどき。実力は確か。しかし、先は無い。逃げてきた、とでも言うような軽装。
…どうするんだろう。
できることはもうない。勉強に対する情熱などない。戦いに身を投じる資格はない。もうこの刀を捨てて、鍬でも持って畑に向かって振り回すべきなのだろう。
嫌だった。
それだけだ。
まだ剣を握りたかった。この剣だけは、手放してはいけない。
「…わかりません」
きっと、飽きるまで1人旅を続けて、怪異の遺物を売り払ったり狩りをしたりしつつ過ごすんだろう。不安定の上、未練たらたらな非神秘使いの様は世間体的にもよろしくないだろう。…が、そんなことは目も耳も閉じてしまえば気にならない。
でてきたのはそんな言葉だけで。
しかしそれを聞いてニカリ、と秋堅は笑った。
「北本澪。衛士協会はお前を30日の間、実戦用好敵手として雇いたい。…どうだ?」
真っ直ぐに見つめるその目の意味が解らなかった。
その誘いの意味が解らなかった。
脳がその提案を理解できず、途端にショートしたかのように頭がぐるぐると回ったいるかのような酔った錯覚に襲われる。
「『衛士』は街の警備をよく受け持つ。街には怪異の他にも、野盗みたいな殺傷武器を持った人間が現れる。そいつらと戦うのが衛士の主な使命だ。そいつらに対しての覚悟、というのが持ててない奴が、神秘使いの中でも衛士は特に多い。お前には、その覚悟を育むのを手助けしてもらいたい」
そう説明されて、ようやく言っていることが理解できた。
「…自分たちでやればいいんじゃ?」
「いいや。不殺宣言をできない奴相手じゃないと駄目なんだ。どこかで安心するから。内部の知り合いだとそれはより濃くなる。ついでに言えばこっちは不殺宣言を使おう。…どうだ?」
…申し出の信憑性、向こうにとっての利益については解った。ただ、自分の腕前では役者不足だという気もするが…。
団長はそれから少し近づき、彼にこっそりと“それを聞いた。”
「因みに、人を殺したことは?」
「…無いです」
「そうか」
それは本当の事だ。ただ、不殺宣言不可というその性質を買われたのだから、今の場面はもしかしたら無言の方が良かったのではないか…なんて考えてしまうが。
「…申し出感謝します。喜んでお受けします」
契約の成立、ひとまずの信頼関係の確保。そこには、彼以上に喜ぶ秋堅の姿があった。
腕を切らずに武器を奪う…今後の課題はそこだろう。
まだ今は一歩先だけだが、見える道が姿を現した。どこに続くのか、どこまで続くのかは解らないが…今はそっと、先程までよりも穏やかな気持ちで目を閉じた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「街の施設を確認しといてくれ」
「了解です」
何食わぬ顔で衛士協会の扉を開け、外へ出る。
あの面接から数日後、不可思議の薬草の力もあり怪我は完治。後遺症もなし。今は丁度、秋堅によって衛士達に今後30日の間好敵手としての役割を与えた、という紹介が終わった後。明日から契約履行の為、今日は街の施設の確認だ。本来は最初にやるべきことなのだが…まぁ、そういうときもある。
そっと息を吐くと、その気は無かったのに溜息が漏れた。
…よくわからないことになった。が、これは剣士を続ける気があるなら願っても無いチャンスだ。
…いや?続けるのか?一生?神秘もないのに?…これは、ただのロスタイムなのではないか?
冷静になってもう一度考え直してみた時。そして、先ほど衛士達に紹介されたときに感じた雰囲気で…彼は再び、目を覚まそうとしていた。
「おーい!北本さんっ!」
駆け寄って来るその声に、思わず心臓が大きく跳ねる。
「ふぅ…よかったね!貴方ならみんな大歓迎だよ!」
必死に振り返ろうとして…しかし、体は固まったように動かない。
何か、言わなければ。
声を出そうとして…先程まで問題なかったはずの喉が、急に機能を停止した。
「あ!私のこと…覚えてる?」
前に回り込んだ彼女は疑問符を浮かべつつ彼の顔を覗き込むように首を傾けた。
覚えているとも。当たり前だ。先程紹介されたとき、1人だけ明らかに、目を輝かせていた少女。いいや、それ以前にも何度だって…。
「ッ……」
目と目は合わない。
少女が見たのは、無表情、恐怖、緊張。
青年は理解した。
話してはいけない。
きっと彼女は正しく生きて正しく死ぬ。
ほぼ初対面で何を言ってるんだ?
わかるとも。
あの目が偽りだったとしたら、最早自分に光はないのだから。
自分の手でそれを覆うようなことはしてはいけない。自然に距離を取って、離れろ。
いずれ死ぬ時に、もう一度あの光を思い出すために。
手を、手を。
手を首へ。
その衝動を堪え、少年はコクリと頷いた。
「…うん、そっか。…じゃあ!改めて自己紹介!」
笑顔は何度でも咲く。優しく諭すようなその声音が、彼の動悸を落ち着かせる。
少女は彼の手を取った。衝動で震えた彼の両手を、小さな両手で覆い、抑え、包む。
「夕空ゆうぞら逢あい!よろしくね!街、案内させて!」
そのまま、手を引かれるままに…太陽の照り付ける方へと歩き出した。
誰にでもきっと、こうやって手を差し伸べて…そしていつも人を救ってきたのだろう。
そのうちの1人、というだけ。なら、救われればいい。できない?なら、そう見えるようにだけ振舞えばいい。
なのにそれすらもできやしない。
叶うなら、それ以上彼女と関わりたくなかった。
その生き方はずっと上手くいくはずがない。こんな汚い世界で、今までやってこれただけ運が良かった。
それが堕ち逝く様を見たくない。
「ここが鍛冶屋でこっちが住宅街で~~」
『どうでもいい。』
「あっちには屋台が並んでて、果物とか、野菜の他にもアクセサリーとか!」
『どうでもいい。』
唱えるたびに落ち着く呪文。心を殺して…いいや、心を包帯でぐるぐる巻きにして。そうしてようやく、彼は冷静さを取り戻す。
「あっ、そうだ!」
少女は何か思い出したように、丁度通り過ぎようとした路地へ。そこを直進すること数秒。うきうきとした表情の彼女を、無言でぼんやりと眺める男。二人は路地を抜け…子供たちの集い場…ぶらんこ、滑り台、よくわからない城的な何か、が建った広場…公園に出た。
『…?』
何故ここ?という顔を読み取られたのか、少女は得意げな表情になり、彼を握る手を少し強め、優しく引っ張った。
公園内で遊ぶ少女達は夕空をみるやいなや駆け寄ってきた。
「あいおねぇちゃん!今日は遊べる?今おままごとやってたの!」
男の子供たちは街の外まで遊びに行っているのか、家の仕事を手伝っているのか…、目に見える範囲には女児しかおらず、なんとなく肩身が狭い。
少女たちに詰め寄られ、逢は咲いた花のような笑顔を見せるが…現状を思い出したのか、苦笑いになってしまう。
「あー…今日は」
繋いだ手、元から少ししか入れていなかった力を彼がゼロにすると、夕空がちらりと彼を見た。
頷いて返す。
ゆっくりと手は離れ、逢は少女達に改めて笑顔を向ける。
「よーしっ!久しぶりに遊ぼっか!」
少女たちに手を引かれ、彼女は公園の中央へ。
彼は空いたベンチに腰を下ろした。
…微妙に視線を感じていたが、おままごとが本格的に始まるとその視線は消えていた。
街の散策のはずだったが、どうしてこうなったのか。だが彼にとっては今こそ目的のソレだ。じっと見つめているのがバレないように、なんとなくぼーっとした様子を演じる。
少女の笑顔が眩しい。楽し気に話す彼女の顔を見ていると、それが嘘だとは思えない。
典型的なまでに明るい彼女。ただ、こういう性格の人間はやはり、どうあってもこの世界では上手くいかない。上手くいかない、というよりも何処かで折れるはずなのだ。
彼の予想が正しければ、保って後2、3年だろう。それを越えてもこのままの彼女が成り立つはずがない。その状態で彼と同じ状況の者と会っても、きっと手を差し伸べて、「元気出して」で終わりだろう。
どうか、期待しないように。
少女たちが意気揚々と笑い合いながら遊んでいる。どうやら彼女はお父さん役を請け負ったらしい。
子供たちに慕われる姿が輝かしいが、どうもその姿はおねぇちゃん、というよりもどちらかと言えばお友達、の感覚に近いようだ。
「ねぇ逢おねぇちゃん」
「うん?なに?」
「さっきの人だれ?」
「う、んー…衛士協会で少しの間働くことになったお侍さんだよ。街を案内してたの」
「へー、ってそうじゃなくって!なんで手握ってたの?」
「え!?…あー…えっと、そのぉ…」
「…」
「ち、ちがうよっ!そうじゃなくて…!」
距離もあって彼にはその会話は聞こえていないのだが、大事を取ってか耳打ちしてきた女児の質問に、ぶんぶんと首を大きく振って否定する。
わたわたと慌てふためく夕空。からかうような雰囲気ではなくすぐに、なぁんだ、と素直に少女たちが引き下がってくれたのは、彼女の人望によるものなのか、無知故なのか。
「あんまりかっこよくないもんね!」
1人の少女が一際大きな声でそう言った。
それだけ聞こえてきて彼は思わず吹き出しそうになったが、なんとか微動だにしないことに成功する。
「え、えぇえっと」
思わずベンチを振り返る。
目と目が合うが、彼は特に何もできず首を傾げてしまう。
「手握ってたのは、えっと…なんて言ったらいいのか…」
別に照れているわけじゃない。なんて言えばいいのか、彼女にはそれをうまく説明できる言葉がまだ無いが…子供というのは勝手なもので、気がつくとおままごとは再開しており彼女も慣れた様子で、一呼吸入れた後それに混じった。
おままごとが再開ししばらくすると、そんなよくわからない雰囲気はどこへやら。普通に楽しみ始めた少女達の元を彼は静かに後にした。
彼が居ないことに気が付いたのは、それから数分経ってからだ。
「あれ!?」
「あ、さっきのお侍さん、先に戻るって伝えてって言ってたよ。1人で戻れるからいいって」
途中参加の少女が告げたその言葉に、一瞬ホッとしかけたが、
彼なりの気遣いのつもりなのか、どうしよう、逡巡していた彼女の脳裏に、彼のあの緊張した表情が浮かぶ。
追おうとして、止めた。
追うべき時、追わざるべき時。その違いを、なんとなく理解した。
「あのね、確かにあの人は疲れた顔をしてるけど…明日の朝、たぶん稽古してると思うから見に行ってみて。きっと、かっこいいよ」
教えてくれた少女の頭を優しく撫でて、彼女はそう微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます