第3話

 …死の味を識る。

 甘くはない。しょっぱくもない。苦くもなければ、辛くもない。痛くもない。怖くもない。

 倦怠感と、焦燥感と、鉄分の混ざりに混ざった黒い味は…気持ちがいい。


 悔い?悔いは…無いといえば嘘になる。

 まだ…俺は、アレを見れていない。アレを知らない。

 あいつが…ちゃんと幸せになれるのか、見届けるまで…生きたいと思った。


 海の底に沈んでいく体をなんとか起こし、彼は空を見上げる。


 …遠く眩い天上の光に、手を伸ばした。


 ――――――――――――



 彼女は彼の異質さを形容する言葉を探していた。

 …何か、変。その為に、彼女の思う彼の像を纏めたりもした。

 その正体の1つが、死ぬまで止まれない、という壊れたブレーキだった。


 気がついた時には走り出していて…彼の体を倒し、その傷を彼女の神秘によって塞ぐ。すでに輸血の準備も整っており、飛び出した彼女にハッとして、医療班も行動を急ぐ。

 …ただ、1つ。問題があるとしたら……心臓が止まった、という究極的に致命的な問題だった。


 心臓マッサージ、胸骨圧迫。彼女の神秘の性質上、経験はないが得手だと思う。

 青い顔は死人のソレで、傷だらけの体は最早、痛覚を切ってでもいなければ普通涙が溢れるほど。

 一定のビートで、鼓動を呼び起こさんと手を伸ばす。

 彼の血塗れの体は彼女にされるがままで、目覚める気配はない。


 だというのに


「――起きて!起きてっ!!」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 彼は死んだ。しかし、彼女には解る。----は、止まっていない。

 心臓が停止しても、『死はまだ確定していない』。

 こんなケースは今までになかった。ーーをーした時、確かにーーーーは止まった。

 つまり…考えられるのは

 ・心臓が停止しても動けるような化け物。

 ・既に彼は”----”ではなくなった。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 初めて出会ったあの日から、彼のことを気に入っていた。非常に弱った心根は、彼女の”救いたい”という気持ちを強く灯していた。


 ーーーーに回数制限もデメリットも存在しない。もしここで救えなかったとしても即座にーーーせるし、ーーーす。


 ただし…今この時点、彼女の中では”ーーーすかどうか”は確定していない。

 それ故に、彼女は救うべき人を諦めない。


 神秘を込めた一撃が、彼の命を掴む。全力のストレートが彼の体を通して地面にまで伝わり…その衝撃が全身を巡り、彼の閉じた口が開き、血を吹き出す。





「……ぅ、あ?」


 咳き込み、血と水の逆流が。拳による体内部までの衝撃、風圧が、彼の意識と呼吸、鼓動を取り戻す。


 重病人にやることじゃないことは間違いないのだが、単純な話…「心臓さえ動かせれば彼なら耐えるだろう」といった直感が働いたのかもしれない。


 空ろな目。虚ろな呼吸。瀕死だが、鼓動はまた始まる。


「―――」


 見えた。視えたんだ。伸ばすべき手。触りたくなるような光。


 朦朧とする意識の中で、夢の続きを見る。

 手が伸びて、ついに光に届く。初めて触れた光は、柔らかくて、暖かくて…その心地に誘われ、もう一度夢へと自分を手放した。


 ――――――――――――


 目を覚ました彼。不意の奇跡に息を呑むと、ふと、赤い手が彼女の頬へとゆっくりと伸び…そっと、寝惚けたように触れた。

「―――ぇ?」

 間抜けな声は彼の耳に届かなかったが、その瞬間に彼女は、見たことのない程心の底から落ち着いた、穏やかな笑みを見つけてしまった。


 糸が切れたかのように再び気を失う彼。呆然と、触れられた頬の感触を確かめる彼女。そんな二人をよそに、医療班が彼を修練場から運び出した。


 ――――――――――――


「…成る程。…これほどの実力者なら、その傷も納得できるが…」

「…ころしたの?」

「殺した。すぐ生き返ったが」

 中央の王城にて、壁に立て掛けた横長の鏡を見上げる、円卓に座る四人の剣術士。至高に至りし四人。各属性の長。その中には勿論、彼の師、水月采葉も含まれている。

 1人は赤髪を上げた、185はあるであろう長身の鎧の騎士。

 1人は金髪、筋骨隆々、笑顔が印象的な、しかし今は鋭い目付きの衛士。

 1人は緑髪、小さな子供。感情の薄い、長い髪の業士。

 1人は蒼髪、スラリとした年齢不詳。真に”何も感じない者”、侍。


 昔に現れたとある怪異による”不可思議”。その鏡は使用者の記憶を映す、という代物。それによって4人は先の戦いを観戦していたのだ。

“不可思議”は怪異が世界に持ち込んだ遺物オーパーツ。


 この世界では文明の利器の多くが、神秘による不可思議で補われている。

 稀代の天才は未だ現れず、文明は停滞したまま。それを回避する手段が、今のところは、人間の敵である怪異の持つ物を奪うことになっている。


「…すいげつ」

「はい」

「…あの強さは、なに?」

 三人の視点が水月に集まる。

「知りません。2日前に彼の修行を切りましたが、その時にはあれ程の強さではありませんでした」


「…修行を切られたから、強くなった?」

「で、あろうな。…秋堅。北本を此方に送れ。俺が鍛えてやる」

「……」

「…まぁ、水月が止めないなら俺は構わないが…」

「彼は神秘に目覚めませんよ」

「そんなわけあるか。侍の適正じゃなかっただけだろう!」

「いえ、そうではなくて……」

 睨みつける赤髪の男の目を全く気にも留めず、水月は一度咳払いをすると

「…彼は剣が得意なのではなく、戦いが得意なんです」

 その答えに、円卓は静まり返った。


「…じゃあ、扱いはどうする?」

「彼の自由にさせるべきかと。暫くは怪異討伐で路銀を稼ぐつもりだと思います」

「…しかし、あの戦い方では、いつ死んでしまうか」

「うちの衛士を付けよう。1人で戦わせなければ滅多に死ぬことはないだろう」

 会議は進む。

「…北本澪」

 ふと、風の長がポツリと呟く。

「流石のお前でも、気になるのか」

 無意識の呟きで自身に目が集まり、少女は鬱々気に下を向きつつ言葉を続けた。

「…あの強さは、ぜつぼうからきてる」

「…もし、しあわせになったら…ふつうの神秘使いにすら、勝てない」

 悪寒が走る。別に、彼女の神秘によるものではないそれはしかし、三人にしっかりと伝わってしまった。

「…その通り、です。…そしてそれは、彼も解っているはずです」


 進んだ先に何も見えないと彼は言うが…この場にいる至上の剣術士4人には、破滅の未来が鮮明に見えていた。


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