第2話
「放っておけなかった」
「だって、辛そうだった。それだけじゃないの。助けてほしい。助けたい。誰か自分を呼んでほしい。そう聞こえたの」
「それだけで…私が手を伸ばすのに、充分な理由なんだ」
誰にも選ばれなかった者。
真っ直ぐに瞳を見れなかったところ。
手を払うたびに申し訳なさそうな顔になっていったところ。
自ら助けを求められない不器用さ。
やれと言われて従う素直さ。
考えが通じる伝心感。
嘘をつけない誠実さ。
手を差し伸べた人を傷つけられない根底。
衛士協会総本部に連れていかれた彼は一日寝たきりになった後、ようやく目を覚ます。
…見慣れない天井。やわらかいベッド。目覚めると同時に状況を理解した彼は、すっかり無くなった眠気と掛け布団を剥がし、目元を擦り、立ち上がった。
硬そうな白い壁。木製の机、扉、タンスが1つずつ。窓から照らされる陽の光が、今はまだ朝なのだということを教えてくれる。
「お、起きたか」
向かいのベッドで寝ていたらしい男が彼が起きるのと同時に体を上げる。
「…ここは」
「衛士協会総本部。運ばれてきたことは…覚えてるよな」
「…はい。…なるほど、理解しました」
彼はゆっくりと立ち上がると、軽く体を動かし体の調子を確認。…どうやら、問題なく動けそうだ。
「彼女曰く、何か辛いことでもあったんじゃないか、とのことだったが。…話す気はあるか?」
男も立ち上がり、真っすぐに彼の瞳を見つめる。
…彼女にはそんなに深刻そうに見えただろう。…だとすれば申し訳ないことをした。
「別に大したことはない、よくあることです。…修行したが神秘を得られなかった。それで自棄になって逃げだしたってだけです」
そう。たいしたことはない。一日か、二日か…不貞寝すればきっと傷は塞がる。跡は残り、突き刺さった棘も抜けないままかもしれないが、死ぬことはない。死ぬまで痛いだけで。それだって、日に日に痛みは減っていくのだろう。
「…まぁ、俺も立場的にそういう奴を何人も見てきてる。それを、それだけ?なんて言いはしない」
筋骨隆々のこの男がただの一般人ではないことは、目覚めてすぐに分かっていた。
「ところで傷は、もう平気か?」
「はい。問題なく動けます。…ありがとうございました。ベッド、お借りしてしまって」
「構わん構わん。ただの仮眠室だしな。…それより、ひとつ。頼みたいことがあってな」
「?」
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「…不殺の誓いはいらないんだな?」
「…はい」
「…では、行くぞ」
衛士協会にある修練場。外野にはむさ苦しい男だらけ。土作りの地面はしかし頑丈で、強く踏ん張ろうと盛り上がることはなさそうだ。
…頼み、というのは建前だった。あの女が見初めた非神秘使いに興味がある、と言われ、そのまま試合を申し込まれた。
地面を脈動させる。さながら海の波のように。足場が不規則に乱れ、立っているだけでもキツイはずだ。
一瞬にして青年の足元を物理的に文字通り下げ、さながら落とし穴に落ちたかのように仕向ける。
そのまま下へ。下へ。それだけで、神秘を持たない人間は敗北する。
落ちるよりも速く上がってくるだけの力があれば話は別だが。
咄嗟に刀を抜刀、落とし穴の壁に突き刺し、半ば強引に登る。
穴から手が見えた瞬間に、衛士長の大剣による一撃がそれ目掛けて振り下ろされる。
が、青年はあっけなく刀を壁から抜き取り、壁を蹴り、狭い穴の逆の壁をもう一度蹴ると刀を杖代わりにして素早く立ち上がる。
ふたたび足場が消える感覚…しかし落ちるよりも速く長に向けて跳び込む。
待っていたかのような思いっきり全力の横薙ぎの構え。しかし、彼に残された手段はもう1つしかなかった。
完全に刃のど真ん中に捉えた。
長は全力を持って薙ぎ払う。
ここで吹き飛ばされれば、その時点で終わりだ。
至高の速度による抜刀。剣を脇の横に置き盾代わりに。そして鞘をそのリーチぎりぎりで、大剣の柄と持ち手の間、Tじの「部分の90度にねじ込んだ。
「ッ、ァアアアアアア!!」
へばりついた泥のように、或いは取れないささくれのように、大剣についた付随物はその一撃を受け流し、離れなかった。
鞘を握る手に力を込め、体をより長の方へ。関節を極めようとして、この距離だ。膝蹴りが飛ぶ。
両手は塞がり、しかし足で防ぐ選択肢は無い。
膝蹴りのタイミングに合わせ、僅かに体を後ろに。それは両手の位置を手放さなくてもすむ、本当に数センチだけ。
モロに膝蹴りを受けるが、威力はそれなりに減退され、彼は怯む間も無く、腕を伸ばし鞘の代わりに「に差し込み、鞘をグルリと回し顔面に向けてねじ込むことを試みつつ、右足を股下に滑り込ませ、転倒までも狙う。
顔面に岩の鎧。足元は根っこでも生えているかのように意地でも動かない。
「ッーー!」
嫌な予感、というよりも、試合前に事前に決めていた自身への制限『5秒以上同じ体勢…硬直状態にならない』に沿って鞘を手放しその場から長を中心に90度横へ回り込む。
しかしこのままではグルグルと回るだけ。いずれタイミングを読まれ、神秘による一撃が下る。しかし離れればそれこそ神秘の餌食になる。ならば、どうする?…そんなこと、悩まない。
刀を盾としたまま、しかし一瞬でさらに接近。盾は剣の根元まで辿り着き、盾としての役目を終える。
胸に向けて一直線に、剣を突き刺す。
肉を貫く、あの感覚。押すような、飲み込まれるような、気持ち悪い感覚が、来ない。
届いたのは、パキン。という、情けない鉄の折れた声。
…一点集中。不意の一撃。しかしそれも、神秘の鎧によって防がれた。
「…っ、まだぁっ!」
飛び散った破片が顔を切る。が、運の良いことに目元には来なかった。
長も一瞬意識が逸れただろう。背を向けつつ全体重を込めて肘を長の右手の肘へ。
「ヅァッ…!」
それでも男は剣を手放さなかったが、確かに一瞬、力が緩んだ。
左手で大剣の握られていない部分の持ち手を掴むと彼は折れた刀を鎧と鎧の隙間になっている、くの字の尖っている方から肘にねじり込み、ついにその大剣を奪取した。
「…ハァ…ッ……ァ…」
「ぐっ…っ…中々、やるな。…本当に神秘を持っていないのが、驚きなぐらいだ」
「…褒めて、るのか…?それは…」
互いに息を何とか落ち着かせながらも、隙を一切見せずに会話が続く。
…剣を奪われてしまえば、神秘は使えない。…この時点で、勝敗は喫している。…そのくせに、何故か…嫌な予感が拭えない。
「これでも一応、頂点を張らせて貰ってるんだ。…勝たせてもらうぞ」
剣は持っていない。だというのに、男は地面を一度踏みつけると、試合場の周辺を壁が包み、天井まで伸び、彼らの姿を他の者に見せることを防ぐ。
…死ぬ。
男がその右手を前にかざすと、何処からともなく無から剣状の岩の塊が出現し…その持ち手を男が掴むと、その真の姿を見せる。
瞬きなど、していなかった。
ただ、その剣を見た瞬間に…剣士としての、何れ辿り着く世界を垣間見た。
防ぐ間も無く距離が詰められ、大剣を体の中心に突き刺されていた。
「……お前なら、と思ったが…残念だ」
剣は抜かれ、血が吹き出る。途端に壁は瓦解し、辺りを囲んだ衛士の驚愕が2人を包む。
避けられなかった。何か、特別なものがあったわけでもない。ただ、不思議な、何か。避けなければ、死ぬ。避けても、死ぬ。そんな確信が…彼を動けなくした。
「ッーーー!」
口を押さえ青ざめる少女。どうやら試合をずっと見ていたらしい。一瞬の内に死を彼の内に捉えてしまい…そして、信頼していた団長のその断絶に、一瞬、意識を手放しかける。
「―――――――」
鉄と地面がぶつかった音。手放した大剣の上にも血が落ちる。前に倒れかけ…しかし堪える。
「…しねない。死ね、ない…。」「しねない。しねない。しんでない。まけてない」
ガタガタと体が震え、血の海が彼から広がる。膝を屈し、前屈みに落ちそうになる体を、ほぼ意味はないが、空いた穴を塞ぐように両手を以って支える。
医者も、衛士も、何人も控えているのに。彼らもまた、その男の死に様を見て動けなくなっていた。
「づぅ…っ…まだ…俺は…!」
右手を穴から離し、あろうことか再び、血の海に沈んでいた大剣を掴み取り、地面に突き刺しふらふらと立ち上がった。
「何もできてないのに…死ねるかぁああああああああッ!!!!!」
決死の閃撃。大剣を下からぶん投げる。
不意の一撃だったが、男はそれを白刃取りの要領で、真っ直ぐに飛んできたそれを両手で挟み込んだ。
「ッアアアアアアアアアアア!!!」
その勢いが完全に消え去るまでの僅かな間、彼は全力疾走し、取られた剣の持ち手を再び掴むと、今ある全ての力を酷使し、剣を男の胸に差し入れようと試みる。
「ッ…恐ろしい、奴め…!」
血は止まらない。ただ、それなのに…少しずつ、少しずつ剣は男へと進んでいく。
彼が死へと一歩近づくと、その度に力は増し…拮抗は崩れ、ついに、男の胸から僅か一滴、血が流れ落ちた。
殺せる。このまま行けば…!最強の4人のうちの一人を、俺が…!神秘なんか無くたって…俺は…剣術士に…!
進む。進む。勝利へ。
辿り着く。もうすぐ、終わる。この、短く、味も何も無い旅は…終わる。
胸に灯った決意の炎が、一段と強く燃え盛る。
失った物ばかりのこの一生が、ようやく一つの形と成る。
熱を力に。炎をもっと。燃料は自分の全て。
大剣がまた一歩進む。その度に“燃料”が削り取られ、体が軽く、死が近くなっていく。
…炎が。炎が…薪が足りずに消えようとしている。
構うものか。進め。進め。ここで止まって何になる。何もない俺が続くだけだ。
肉を割き、ついに男の体を大剣が貫いた。体の繊維が千切れる音、血の滴る僅かな声。男の小さな悲鳴。全てが、彼の生きていた成果だ。
握りしめ、突き刺した大剣を滴る血が、ついに止まる。
炎は消え、その体には、最早煙すら立たない。
少女の頬に涙が伝う。
「――ぁ…あ、ぁ……」
「…死んだか」
鼓動は止み、呼吸は無く、閉じた瞳はもう開くこともない。
北本 澪は最期に死を識り、その生を終えた。
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