誰かの理想になれたなら

北口

第1話

 名もなきその世界には、所謂‘怪異‘と呼ばれる動物とは桁違いの戦闘力を持った存在がいる。大陸南の外れにある村に住む青年、自警団で門番兼怪異の間引きを生業としていた彼は、幼き頃から護身術として、太刀の扱い方を習っていた。

 構え方や基本的な戦い方、剣の振り方、抜刀の方法、剣を失った際の体術、間合いの取り方と敵の攻撃への対処法…などを修得し、ようやく『剣技』の修行に入ったのが一年前。


『剣技』とは、原理不明の‘神秘’を纏いし技のことだ。


「何をしている」

 彼が師事するのは水月すいげつ 采葉さいはという至高の剣士その人である。世界中を旅し、様々な怪異を討伐。果てには数十年前、国を一つ滅ぼした強大な怪異すら打ち倒し名を馳せた。同時に数少ない刀の鍛冶職人でもある。

「師匠……。いえ、なんでもないです」


 師匠宅兼道場。その試合場の中央で青年は己に与えられた刀を、揺らいだ心で見つめていた。


「…一ノ太刀すら、覚えられないのか」

 八つ存在する水月流剣技において、彼は半生をかけて一ノ太刀すらも覚えられなかった。故に今日、そのことについて話があると師匠に呼び出されていた。

 彼は数少ない刀の使い手の、それも免許皆伝の他の使い手でなく、オリジナル…原初の1人に師事できたことを誇りに思っていた。

北本きたもときたもと れい。察してはいると思うが、今日で剣技の修行に入って一年になる」

「……はい」

「私も、これを最後のお主との稽古にはしたくない。…今日の修行は私との一騎打ちだ。確実に一ノ太刀を物にしてみせろ」

「はい!」


 一から八まで。それぞれの技に、習得しなければならない順序なんてものはない。すべての技を試みた中で、最も自分に合うと直感し、師匠もまたそれが一番お前に合っていると言ったのが、一ノ太刀、流撃るげき

 それは――水月流の象徴とでも言うべき流れる水のような剣技。


 スルリと滑るように鞘から取り出された刀――彼はその刀身を片手にて斜めに構える。それから二度程その場を踏んでから――跳んだ。


「ッ――!」


 横へ一閃。師匠はそれを素手で簡単に斜め上へと軌道を逸らした。師匠の逃げ道を読み、右へと滑るように移動しつつ斜めに振り下ろす。またも躱されるそれをしかし止めることはしない。素早くも自然に体を捻り、回し蹴り。顔面狙いのそれは、軽く後ろに下がられるだけで空を切ってしまう。

「…そのような動きでは本当に‘流れる’なんてできはしない」

「は、ははは…!」

 自分の中でビートが刻まれていく。それに合わせて無意識でも動き続ける。それが流撃の正体だ。

 横、縦、斜め、回転しつつ、時には時間を遡るかのように動いて見せる。

 相手を逃さぬ海の波。渦潮かのように敵を包囲しつつ斬りつける。その技の使い手は、やがて本当に波に乗り始める。

(…形は悪くない。というよりも、ダンサーとして食っていけるぐらいには上手い。元々音楽に興味があったようだし。…それでも、神秘に近づけないなら……。)


 神妙な面持ちで何事か悩む師匠。その顔を見てしまうと…彼は踊るのをやめてしまう。


「…」

「…実戦と行こう」

「……解りました」

 無表情の師匠。水月 采葉はこういう人だ。年齢不詳、しかし少なくとも二世紀前には既に存命だったという。しかし見た目は澪より少し年下か、という程。長い白髪が良く似合う、身長150と少しの彼女はどこか人を落ち着かせるものを持っていた。

 太刀を納刀し、彼は乱れた髪を簡単に直す。一呼吸置くと、揺らぐ心はすぐに静と化す。

「裏山の神社から依頼が来ている。大型の怪異の咆哮が聞こえたから見てきてほしい、とのことだ」

「了解です」

 小さくも大きな師匠の背を追うように彼は歩き出した。


 彼の住む村から徒歩で一時間ほどでそこに辿り着いた。

 その神社の神主から情報を聞き、神社から更に歩き始める。


 道中、特に会話もない。


 この世界の主な武器は剣だ。というのも、神秘を扱えるのが剣に限られているからだ。その中にもいくつかの得物、流派がある。

 両手剣を扱う衛士。短剣、双剣を扱う業士、片手剣を扱う騎士。そして刀を扱う侍。


 森を歩くこと数分。数メートル先に大型の…さながら狼のような、それでいて熊のような……所謂人狼と呼ばれる2m程の巨体の怪異がいた。

 咄嗟に木の後ろに隠れる。


『…必ず、勝とう。でも、勝つだけじゃ駄目だ。この戦闘で、何かを掴み取るんだ』


 剣技とは、説明不可の神秘。その剣技に付けられた名を心の中で唱えることにより、神秘(存在するはずの無いもの)をより強固にすることができる。


 腰に携えた太刀を抜刀する。そして、跳ぶように地面を蹴った。


 半ば不意打ち気味だったが、目標の人狼は突然の敵襲にも落ち着いて距離を取った。


 想定外れた彼は先程まで人狼がいた位置で一度止まり相手の様子を探り、人狼は両手の爪を伸ばすと、同じく相手の出方を伺う。


「ゥ…!ガァアアアアアアアアアアアアア!!!」

「ッーー『三ノ太刀!前裟雨《さきさざめ》!』」


 咆哮と言霊のタイミングは、本当に同じだった。

 両手で持った太刀を顔の横へ。突きの構えで人狼の懐へと澪は飛び出す。同時に振り下ろされた人狼の爪だったが、それが届くよりも彼の突きが刺さるのが先だった。

 細身の刀が人狼の胃に穴を開けるが、痛みなどまるで無いかのように振り下ろされた爪は止まらない。

 が、彼はこのタイプの怪異の性質を既に熟知している。

 刺さった刀をそのまま上に九十度回し、腹の傷を広げつつ根本の刀身で右の爪を受け止める。次いで地面と平行へと刀を戻しつつ相手の巨体による包囲から一時逃げようとしたところで、左手の爪が彼の腹に既に迫っていた。

「ッーー!四…いや、流撃!!」

 口から言霊が漏れる。右の爪から太刀を滑らせ、左の爪へと防御対象を移行。同時に膝を折り屈むと、頭上スレスレを爪が過ぎていく。

 助走なしにスライディングで更に身を地面へと近づけつつ、なんとか腕の中から脱出。すぐに立ち上げると、人狼を振り返る。

 図体はでかい癖に…いや、でかいからこそか、超至近距離に既に迫り、今にも爪を振り下ろさんと血まみれの体で彼へと飛びかかる。

『――!二ノ型!追水おいみず

 一歩引きつつ言霊を放ち、相手の射程を乱しつつ刀を振り下ろしたが…それはなんてことのない、ただの鉄の一閃だった。


 腕を躱し頭を直に叩き切れば、流石に怪異といえど動けはしない。


「――戦闘終了。…はぁ」


 未だかつて戦ったことの無い程の強敵だった。だというのに、彼の気分は晴れない。それはそうだ。結局…期待には応えられずに戦い終えてしまったのだから。


 刀についた血を払い飛ばし納刀しつつ、彼は思う。


 思えばずっと、自分の人生はつまらないものだった。義務教育によって隣町の学校に三年程通っていた時も、今振り返れば太刀を習い始めた時も…呑み込みが悪かった。人よりずっと、効率が悪かった。それでも努力すればいつかーーなんて、思っていた。

 全人口の凡そ1%が得ているとされる、神秘。いつかどこかへと辿り着くと信じていた彼の道の先には、飛び降りる崖すら無かった。

 ――ただの白紙。そもそも…ずっと前から進んでいなかったのではないか。だとしたら、自分は一体、どれだけの時間を……人生を、無為に……?


「――七ノ太刀」


 微かに聞こえた師匠の声に振り返る。

 頭に切り込まれようと死なない程、タフな個体だったらしい。タフというよりは異常個体というべきなのだろうが。

 頭の中のモヤモヤが取れないままに、師匠の声で怪異へ振り返る。


 ――もういやだ。俺はどうして、こんなにもクソなんだ。役立たず。時間の無駄。頭ポンコツ。どうしようもない。

 最初からこんな道選ばなきゃよかった?そうじゃない。一番嫌なのは、あの時やればよかった、だ。

 結果不明よりは良い。いい。イイ…。いいはずなんだ。

 この一年は無駄じゃなかった?そうだ。いや、無駄だった。だって手に入れられなかったじゃないか。いいや無駄じゃなかった。少しは強くなれた。うるさい払った時間が多すぎた。手に入れられるはずの対価が手に入らなかった。全然、足りない。足りないんだよ!

 ただ俺は、好きなことがしたかった。なりたい自分になりたかった。

 その為に努力した。諦めなかった。なのに。

 それすら叶わないなら、何故俺は生まれたんだ。

 厳しいから現実なのか。起きてる時に夢は見れないのか。


 なら…こんな世界、間違っている。


『』


 水月流七ノ太刀、太刀影たちかげ。それは唯一の居合剣技。河の流れに沿い滑るような抜刀から放たれる居合の速度は影を残さない。七ノ太刀により抜刀された刀身は鋭い水の刃を纏うとされる。

 彼の心臓はその時、氷のように冷え切っていた。


『七ノ太刀――太刀影』


 横一閃された人狼は上半身と下半身へ綺麗に二つに両断され、今度こそ絶命していた。

 音もない居合はしかし、神秘によるものではなく、彼の侍としての終撃だった。


「―――――」


「…北本澪」


「――はい」


「――今この場を以て、修行を打ち切りとする。…すまない。私のせいだ」


「…いいえ。俺が望んで、選んだ道ですから。…いままで、ありがとうございました」


 顔に掛かった帰り血を拭うのも忘れて、彼は笑みを返した。


 ――その後、どうしたのか…もう思い出せない。ただ言えるのは…師匠と別れ、家に帰り、最低限の荷支度をし、書置きを残して村を出た。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 何かから逃げるように、気が付くと走り出していて…。


「ってぇ!んだてめぇ!んのかごら!」


 ボロボロに汚れた服。ぼさぼさの髪。クマの濃い今にも死にそうな顔。いつの間にか二つ先の町まで着いていたらしい。道中、適当な怪異や野盗やらと戦うこと三日。すでに疲労困憊で、意識は半ば無かった。


「きったねえなおい。侍ってのは潔癖なイメージがあったが…。んなこたいいんだよ。なぁ、おい、お前のせいで腕痛めたんだが?払うもん払えや」


 …あるいはこの時『ぶつかったんだから謝れや』というような言い草だったら…彼は謝れたのだろうか?そうはならなかったのだから言っても仕方がないことなのだが、彼は男の掴みかかるように迫る腕を右手で弾き逸らすことで回避した。


 …もし本当に彼がぼけっとしていた結果ぶつかったのならそれは彼が悪いが、いくら疲れていたとしても、今のは間違いなく「自分は避けようと左にズレた」と彼は断言できる。

 事実としては、避けたがそれに合わせてわざとぶつかってきた、もしくはお互いに避けようとした結果ぶつかってしまった、の二択であり、彼が一方的に責められる言われはない。


「ちっ…おい、どいてろおまえら。抜け、きたねぇの。気絶させてからじっくり刺身にしてやる」


 男は背の大剣を抜刀する。同時に人々は2人から距離を取り、しかし興味はあるのか、野次馬らしく見てはいる。


「…悪いな、不殺の誓いはできないんだ。だからそっちも、しないでいい」


 ここで死ぬならそれまでの人生だったんだろう。

 剣客同士での斬り合いに於いて、不殺の誓いは基本のことだ。故に、本当の命のやり取りを経験した剣士の方が、下手をすれば少ないのかもしれない。それでもそれを提案したのは決して、覚悟を決めたとかではなく、どちらかと言えば…選択を世界に委ねただけ。ここで死ぬのか、死なないのか。まだ生きるべきなのか、否なのか。自分にもできることはあるのか、ないのか。生まれてくる世界を間違えたのか、否か。

 彼にあるのは最早『命』ただ一つなのだから。それの価値を測ることしか、もうできなくなっていたのだ。


「は、ははは…ははははは!!!なるほどなるほど!読めたぜ、お前の正体!いいじゃねぇか!んな哀れな選ばれなかった馬鹿は、いまここで殺してやるよ!!」


 男はにやりと下衆な笑みを浮かべると、抜刀した大剣を改めて構えなおす。

 彼はーーまだ、抜刀しない。


「俺はなぁ!お前みたいな才能のない馬鹿が偉そうにしてるのが一番嫌いなんだよ!」


「…ああ。俺も嫌いだ」


 男が飛び出すのと同時に、彼も跳んだ。


「おらぁ!」


 振り下ろされた大剣をギリギリで横に逸れることで回避。続けざまの横振りを、男の服を引っ張りその力で体を移動させることで回避し、視界の外へ。


「なぁっ…!」


 ちょこまかと動く得物を追おうとバランスを崩したままに振り返った男の眼前には既に彼の拳が迫っており、鋭い目がそれを捉えた時には既に遅い。

 渾身の右ストレートが男の頬を射抜く。それだけでは済まず続けざまに膝のバネで力を溜めた蹴りが腹を突き、とどめとばかりに回し蹴りが逆の頬を殴った。


「…っ……なぁ、おい。おいおい。どういうつもりだよ。なんで、抜刀しねぇ」


 往来の、それも人が見ている中で殺すのはさすがにまずい。という思いと、むかつくが殺すほどじゃないという思い。そしてーー。

「あんたが言ってた、気絶させてから料理する、ってのを習おうと思ってな」


 その言葉は決して男の品の良さの表れではない。要するに、いたぶって殺す、という意味なのだ。一撃で殺さない分どうとでもできる、というのは本当に性質が悪い。(神秘を手にした剣士は不殺を誓うことで剣と神秘によって傷を付けずにダメージのみを与えることが可能になる)


「…上等。生憎だが俺はもう料理なんてする気はねぇ。一秒でも早く殺してやる」


 男の背後に三本の鋭い岩石の剣が浮かび上がる。…刺されば、ひとたまりもないだろう。

 巻き込まれるのはごめんだと野次馬が悲鳴を上げて去っていく。


 …その方が、都合が良かった。


 一直線に飛んでくる三本の剣。彼はそれに向かって寧ろ駆け出すと、体を捻りつつ飛び込み、間を縫うようにして回避する。


 第二陣、第三陣、剣は彼に迫るがそのことごとくを紙一重で避けつつ前進。…しかしそれら全てを完全に回避することは叶わず…一つ、また一つと傷口が増え、流れる血が彼の跡を追った。

 最後の一本を躱しつつ男へ迫り、力を込めた回し蹴りを放つ。


 …しかし、件の敵はビクともしなかった。妙な感触に彼が違和感を得た時にはもう手遅れであった。

 …男は、顔面にに石でできた仮面のようなものを被っていた。一瞬の隙をついた左ストレートが彼の脇腹にモロに入る。彼は大きく吹き飛ばされ、地面を転がることになった。


「ハッ…かわいそうになぁお侍さんよぉ。そんだけの腕を持ってるのに、神秘だけは得られなかったとはな。世の中ってのは理不尽だねぇ…ざまぁみろや」


 土の味が苦い。視界がチカチカと明滅する。陽の光に熱せられた地面が熱い。

 立ち上がる為に膝を立てようとするが…喉に込み上げる嫌悪感が邪魔をする。払拭するため咳き込むと、血の塊が吐き出された。


 そうしてようやく、再びの臨戦態勢へ。優勢に思われていたが、男が神秘を使用しだしたことで状況は一変し不利となった。


 …意を決したのか、彼は刀の柄に軽く触れる。


「神秘も持たねぇなんちゃって剣士が!お友達とチャンバラでもしてろやボケ!」


 剣、腕、胴、足。それぞれに石の鎧を纏わせた男はそう煽る。

 …魂胆は見えている。岩の神秘…というか剣術は、防衛向きなのだ。要するに、相手から来てもらわなきゃ始まらない、ということ。

 それでも彼は男の元へと飛び込む。

 身体に鞭を打ち、そうして生を実感し、その手に刀を携えて…ここ一番の加速を魅せた。


 横薙ぎ一閃。男の一振りを寸でのスライディングで避けると、男の左足を掴み、加速を遠心力へ。立ち上がりつつぐるりと男の体を軸に半周。刀の柄を鎧で守られていない右腕の脇に全力で突き刺す。

 手から大剣が零れ落ちたのを確認すると落ちるよりも先に拾い、振り向きざまに全体重を掛けた薙ぎ払いを男の脇腹に叩き込んだ。

 剣を奪われたことで失いつつあった神秘の加護は大剣の衝撃であっけなく壊れ,

 数メートル程吹き飛び石造りの家に激突した。



「……はぁ……はぁ」


 …………最早限界だった。体力的なものもそうだが、何よりも…。


 …勝って、しまった。

 勝ててしまった。

 神秘なしで、更に抜刀もせず…どうして。

 彼の唯一の長所は『我慢強いところ』だと自負している。我慢して、堪えて、耐えて…手に入れた実力。

 なのに、なのに…望んだものは得られなかった。我慢できるというだけで、我慢したいわけじゃない。


「…くそ」


 何かに操られるように、石の壁を背に倒れる男の元へ数歩。


「……殺しちゃったんだ」


 男の突っ込んだ家の真上、屋根の上からそんな『心底どうでもいい』とでも言うような色で声を掛けてきたのは…


 白くも赤色の長い髪、白と桃色の動きやすいように洗練された造りの、服であり鎧。神秘によるものだとすれば…先程の男とは比べ物にならない程の手練れであることは間違いない。大剣というには少し小さな剣を背負ったその少女は、濁った青い瞳でじぃ…っと彼を見下ろしていた。


「おまえは…」


「次の”時計の針”がいつもより速く見つかってよかった。…いつも急に変わっちゃうんだから」


「…?」


 少女が何を言っているのかさっぱり意味が解らない。

 首を傾げていると、何の溜めも無く少女は彼の背後、街の通りの中央に落ちてきた。


「貴方が殺した人は…喧嘩っ早いし侍嫌いですが…仲間思いの方です。死なれてしまうと…世界にとっては"少し"マイナスなんですよ」


 はぁ…と溜息を吐きながら、少女は手に手甲を纏う。

 …剣を手に持たずに神秘が使える人間なんて、聞いたことが無い。


「今回の”時計の針”は、弱そうで安心しました。…『はじめまして』で殺し合うのは初めてですけど…実力を見るには丁度良い」


 突如として足元の感覚が減ったのを感知し、後ろへ飛ぶ。しかしその足場もすぐさま崩れかけ、今度は横へ。

 移動すれば移動するだけ落とし穴が増えていく。


 衛士の第三神秘の内容は『大剣を地面に刺すと、落とし穴を生成できる』だ。

 大剣を刺しもせず、また、ここまで連続的に高速に、設置できるものではない。


 距離を取ることしかできず、ひたすら走る。


「じゃあ、これ」


 逃げた先には家の高い壁。背後から迫る空気の音。反射的に振り返った彼の目の前に、岩石の剣が6つ、迫る。

 二つは横に跳んだ時用、一つは頭上、一つは地面を滑るように。残り二つが、彼の体を捉える用だ。


 脳が蕩けるような奇妙な感覚。絶対に死ぬ。そういう状況だから…覆すのが面白い。


 背後の壁を蹴って上へ。頭上用の岩剣をスレスレで飛び越し、勢いそのままに着地から0秒で少女へと跳び込む。


「…」


 抜刀。剣閃は神秘の鎧を断ち切る。































「はい、おつかれさま」


 身体を真っ二つにされるなど良くあることだ、とでも言うように…彼の目の前でニコリと少女は笑う。と…砂となって溶ける少女の後ろから新たに少女が現れ、一瞬の内に彼の胸を右手で貫いた。


「ヅっ、ア…アぁ?…--!」


 少女の右腕を掴む彼。渡すものか、と抗う”時計の針”だったが、既に命は世界かのじょの手にある。


 無情にも一気に腕を引き抜かれ、紅い心臓が世界に晒される。


「あ、あなた…それっ!!」


 彼が蹴った家の主の老女が扉を開け…脈絡もなく広がっていたその光景に目を丸くする。


「ごめんおばあちゃん。でも、巻き戻すから」


 一瞬だけ声の主を見た少女であったが…それからすぐに、心臓を握りつぶし、”彼の死を確定させた”。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 時間は巻き戻る。

 ”時計の針”を止め、時を戻し、彼女の”理想”世界は再び始まる。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「神秘も持たねぇなんちゃって剣士が!お友達とチャンバラでもしてろやボケ!」


 剣、腕、胴、足。それぞれに石の鎧を纏わせた男はそう煽る。

 …魂胆は見えている。岩の神秘…というか剣術は、防衛向きなのだ。要するに、相手から来てもらわなきゃ始まらない、ということ。

 それでも彼は男の元へと飛び込む。

 身体に鞭を打ち、そうして生を実感し、その手に刀を携えて…ここ一番の加速を魅せた。


 横薙ぎ一閃。男の一振りを寸でのスライディングで避けると、男の左足を掴み、加速を遠心力へ。立ち上がりつつぐるりと男の体を軸に半周。刀の柄を鎧で守られていない右腕の脇に全力で突き刺す。

 手から大剣が零れ落ちたのを確認すると落ちるよりも先に拾い、振り向きざまに全体重を掛けた薙ぎ払いを男の脇腹に叩き込んだ。

 剣を奪われたことで失いつつあった神秘の加護は大剣の衝撃であっけなく壊れ……しかし”誰か”の神秘が鎧の強度を補助し、男は胴体を真っ二つにされることもなく数メートル吹き飛び、石造りの家に激突した。


 多少大きめの切り口が開いてはいるが、適切な処置を迅速にこなせば、運が良ければ数カ月で復帰できる程度だ。


「……はぁ……はぁ」


 …………最早限界だった。体力的なものもそうだが、何よりも…。


 …勝って、しまった。

 勝ててしまった。

 神秘なしで、更に抜刀もせず…どうして。

 彼の唯一の長所は『我慢強いところ』だと自負している。我慢して、堪えて、耐えて…手に入れた実力。

 なのに、なのに…望んだものは得られなかった。我慢できるというだけで、我慢したいわけじゃない。


「…くそ」


 何かに操られるように、石の壁を背に倒れる男の元へ数歩。


 殺すべきか、殺さざるべきか。表情を変えぬまま迷い迷って…復讐される危険はあったが、やはり街を血で染めるのはマズイと、奪った大剣を気絶した男の真横に突き刺す…。…よりも一瞬早く、彼と男の間に一振りの流星が落ちるように割って入った。


 白くも赤色の長い髪、白と桃色の動きやすいように洗練された造りの、服であり鎧。神秘によるものだとすれば…先程の男とは比べ物にならない程の手練れであることは間違いない。大剣というには少し小さな剣を背負ったその少女は、青い瞳に決意を宿し、真っ直ぐに彼に向き直った。



 数秒、睨み合い…


『殺そうとしたの?』

『……その目をやめろ』


 突き刺さる、空のように蒼い瞳。嫌悪感というよりも、自分とは180度違うという異物感が喉元に込み上げてきて…彼は、一歩下がりかけて、なんとか留まった。


「…治療します」

「勝手にしてくれ」


 少女は彼に背を向け倒れた男を診る。

 …家屋の屋根の上から偶然先程の光景を見つけた彼女には、彼がとどめを刺そうとしているように見えていたのだが…大剣は男の横に突き刺されており、自分の勘違いだったことに少しホッとする。それから迅速にポケットからハンカチを取り出し一応の止血。自分だけでは手が足りないと救助を求めに振り返ったときには、彼の背は遠ざかっていた。


 変わるように人々が続々と少女の元へ駆け寄ってくる。

「お医者さんに連絡してください!それと止血用の布と消毒液と…」

 彼女の簡潔で素早い指示によって人々は動き始め、一分もしないうちに医者が到着する。恐らくそもそもの斬り合いが発生した時点で連絡が入っていたのだろう。運が良かった。


 後は専門家に任せるしかない。人々は散り、そして少女も…役目を終え、その場を後にした。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 これが、世界の記録。少女は街の人気者。先程のような静かな残虐性は、巻き戻しが確定するまで決して見せない。そして逆に、巻き戻しが確定したなら必ず素顔を晒す。一度巻き戻すことを決めたなら、妥協してはならない、という自身に科した制約の為だ。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 ――スルリと迫る右手。首元を抑え、強く握り締める。

 …離れなければ。自分の知らない世界へ。自分を知らない世界へ。

 やり直さなければ。生まれ直さなければ。


 一歩進むごとに命が流れ落ち、彼の元を離れていく。

 血の跡が街路を汚す。それはまるで、彼の行く末を暗示するかのようだった。


 痛い。痛い。でも、生きてる。生きてるのなら、何か為さなければ。味わった苦痛の分、幸せを手にしなければ。


 ただ、ただ、ただただただただ進む。ただただただただただただ進め。ただただただただただただただただただただただただただただ……――


 歩き去る青年の影を、誰も追って来やしない。
































 はずだったのに。


 彼の袖を小さな手が掴んだ。引っ張られるようにではなく…どうしてか、まるで…飲み込まれるような感覚。

「あの!血が…!あなたもちゃんと治療をっ」

 力を振り絞り、手を払い除ける。一度では離れなかったが、二度目で離れた。

「平気だ」

「っ…平気じゃない!今にも倒れそうなくせに!」


 再び歩き出したとき、先程までよりも体が重く感じた。…引き留められたせいだろうか。知らない。どうでもいいことだ。


「っーー!だめだって!」


 彼の前を阻むように両手を広げ、少女は立ち塞がる。その正体は先程の、流星の少女だった。


「…自分でやるからいい」

「そうじゃないよ!そうじゃない!」

 ぶんぶんと首を振る少女。彼女は一歩彼へと寄り…その目を真っ直ぐに見つめる。

 数秒の後、彼はその視線から顔を背けた。


「笑って」


「は?」


「笑うか、私と戦うか」


 …今の状況で戦えば、まずあの町に運び込まれるのは自分だろう。


 ……笑顔を作り、笑ってみせる。

 多少口角が上がっただけだが…彼にとっては自然な笑みだ。…周りからそれがどう見えたとしても。


 大丈夫だ、大丈夫。大丈夫なはずだ。できたはず。


 少女は悲しそうに首を振った。


 ――いきがつまった。

 できていない?できていないのか?

 右手が伸び、口元を覆う。触れて、そうしてはじめて、固まった顔筋にきがついた

 ―――流れる涙に気がついた。。

 どう、やったんだっけ?なんで、できないんだ?ふつうに。ふつうに。ふつうにふつうにふつうにふつうにやればふつうにやればふつうにやればふtぅttttnittytt


 笑おうとして、顔が動かない。

 零れる命の温かさが思い出せない。死に行く体の冷たさを思い出す。


「大丈夫じゃないって、言って」


「ッーーー」


「大丈夫じゃない」


「――、だいじょうぶじゃ、ない」


「大丈夫じゃない」


「…――。」

 口元に置いた右手から、人差し指と親指を除いた手たちが首へと移る。掴むように、突くように、吐くように、その手に力が籠っていく。

「はなレてクれ」


 どかすように少女の体を左手でずらす。

 gんかいだった。へきそううだあった


 それから再び歩き出す。

 大丈夫だ。大丈夫だ。どこか、もっと遠くへ…。何もできない俺は、ただ歩き続けなければ。


「…‥;・」


「大丈夫じゃない!!!!!」


 背後から細い腕が伸びる。それは喉を潰そうとする彼の右手を掴み、離れさせ、代わりにその小さな両手が首いのちに触れる。


「その目はだめなの。あなたは今、だめなの。おねがいだからやすんで。やすんでくれないと…かなしい」


「」

 」


 」


 大丈夫じゃない。



 大丈夫じゃないのだ。

 大丈夫じゃない

 だいじょうぶじゃない

 だいじょうぶ、じゃ、ない。


 再び首に伸びた右手を、覆う彼女の手が邪魔をした。

 それでもそこにいきたくて。彼女の手の上から首を掴んだ。

 でもそれからはちからをこめられない。ちからをこめれば彼女が傷つく。

 握る少女の手は温かかった。彼にはそれをどかすことはできなかった。

 首輪のようなマフラーか、マフラーのような首輪か…。

 首に巻かれたその純白の手が、彼をひとときの夢へと引き入れた。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 自らを”皆の理想”とし、世界さえも”皆の理想”としてみせる。

 …こんな正義は、だめですか?


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