思い馳せる.弐


 夕日が迫る縁側に1人座り込んでいた幸之助は、肩を落としてぼんやりと手元を見下ろしていた。

 幸之助の手元には加奈子が置いて行った写真が一枚乗っている。

 その写真を見つめながら長時間その場に座り込んでいる幸之助を、鞍馬は腕を組むように着物の袖に両手を入れて部屋の中から見つめていた。


 華鼠が去ってから、幸之助はどこか上の空になっていることが多くなった。

 作る食事も焦がしてしまったり生煮えだったりと、いつもの彼らしくない状態が続いていて、黙っていればずっとこうして縁側に座り込み、ただ無駄に時間だけが過ぎて行く日々を送っていた。


 そしてこの日も、幸之助の様子を見ていたがやはり彼はずっと縁側に座ったままだった。


「狸奴。そろそろ神社に行かないかん時間やないかよ?」

「……え? あ、もうそんな時間ですか」


 鞍馬が声をかけてようやく気付いたように耳を動かして顔を上げる。が、まだ夕日は落ち切っておらず、まだ空は茜色になっていた。


 見かねた鞍馬の、幸之助を現実に引き戻すあえての声かけだった。


 鞍馬はため息を吐いて幸之助の隣にどっかりと腰を下ろすと、がしっと彼の頭を鷲掴みするかのように、やや乱暴に手を置いた。


「華鼠に何を言われたが知らんけど、どういたがよ? 何を悩みゆう?」

「……」

「わしとおんしの仲やろ? 今更隠し事なんぞ水臭いぜよ」


 幸之助はそんな鞍馬に視線をやりながら、短く溜息を吐いて視線を手元に落とす。


「……分かってるんですよ。本当は、覚悟も何も出来てないって」

「はん? 何の話や?」

「あなたが以前言ったでしょう? 私たちあやかしと人間の時間は違うと。それに対して私は加奈子殿の最期を看取ることが出来れば本望だと……」

「おお、言うたねゃ」


 幸之助は加奈子の写真を見つめたまま、何気なくそっと指先で触れてみた。

 写真の中の加奈子はにこやかに笑っている。


 この笑顔をこの写真のように変わることなくずっと閉じ込めておきたい。ずっと自分の傍にいてもらいたい。だけど、それは叶わないこと。そして、その想いが強くなればなるほど、彼女をがんじがらめになるほど縛り付けてしまうのではないか。そうすれば自分は満足か。


 そう問われれば、違うと首を振る。

 華鼠の「必ずどちらかが後悔をする」と言った言葉。それはもうすでにあることだった。だが、それを口にすれば、きっと今までやってきたことは何だったのかと問い質され、自分の為に余生の時間を妖狐に捧げた鞍馬の想いをきっと無下にしてしまう……。


 また1人、黙り込んで考え始めた幸之助に、鞍馬は怪訝な顔を浮かべてふと呟いた。


「後悔」

「え?」


 鞍馬の口から出たその言葉に、幸之助はドキッとして顔を上げた。


「しよるがやろ?」

「……」


 こちらを見ることもなく、頭に手をのせたまま鞍馬がそう言うと、思わず耳がぺたりと寝てしまう。

 あまりにも素直なその反応に気付いて視線を向けた鞍馬は、眉を顰めため息を吐いた。

 

「だから言うたやいか。まぁ、今のお嬢さんの気持ちがどうなんかは、わしらにゃ分からんところやけんどねゃ。それにしても、前にあれだけ啖呵切っちょいて迷うなんぞ、おんしもまだまだ幼子やねゃ!」


 そう言うと、鞍馬はぐしゃぐしゃっと幸之助の頭を撫でつけ、その肩に腕を回した。


「……あとな。わしがやったことやったら、別に気にせんでかまんで。おんしをあやかしにすると決めて、妖狐に余生の時間をそっくり預けたがぁも、わしが自分で選んで勝手に決めたことやき。そんなこと、心配するにようばん」

「鞍馬殿……」


 落ち着いた声で何もかも見透かしたように話す鞍馬を、幸之助は驚いたように彼を見た。

 鞍馬にしてみれば長い間幸之助を気にかけていたことで、言わずとも何を考えているのか手に取るように分かっていた。


 大人の余裕。と言えばそうなのだろう。

 まだ幸之助にはない余裕の部分だった。


「妖狐はねゃ、どちらかと言えば人に寄り添うあやかしじゃ。おんしも分かっちゅうろう? もし本気でいかんがやったら、あいつの性格じゃ。最初からお嬢さんにおんしの事を頼んだりせんにかぁらん。華鼠に何を言われたか知らんけんどな、人もあやかしも後悔しながら学んでおおきゅうなっていくもんぜよ。そこは人もあやかしも変わらんとこやろうと思う。……特に、まだまだ小童こわっぱなんぞはねゃ」


 小童と呼びニヤニヤと笑う鞍馬に、幸之助は思わずカッと頬を染めて思い切り鞍馬を睨みつけた。


「私は小童じゃありません」

「ほうか? いつまでもうじうじ悩んで、一人じゃ解決できんことをいつまでも考えゆう姿は、そこいらの子供と何が変わらん?」

「……っ」


 思わず言葉が出てこない。

 うじうじと女々しさ全開の自分の姿を自覚していないわけではないのだから……。


 返す言葉が出てこない事に、鞍馬はふっと笑うとぽんぽんっと幸之助の肩を叩いて手を離し、その場に立ち上がった。その動きにつられて幸之助が彼を見上げると、鞍馬は目を細めてにこやかに笑っていた。


「いつもの狸奴でおったらえいがじゃ。悩んだちしょうないことは悩だところでどうにもならん。ほんなら出来ることからやっていくしかないろう? 華鼠はおそらく、余計な気を回しよったがやろうと思うけんどねゃ、周りの言葉にいちいち振り回されんなや。要はおんしの思うようにしたらえいがじゃ。わしも妖狐もおんしの敵やない。むしろ味方やき。危なくなりゃ手助けもする、困ることがありゃあ一緒に考える。生きよる間は後悔なんぞせん方がおかしいんじゃき。たぶん、お空の真吉も同じこと言うと思うで?」


 鞍馬は空を指さしながらにんまり笑う。

 幸之助はおもむろにその空を見上げると、いつの間にか空には、いつもと変わらぬ満天の星がチカチカと輝いていた。


「あぁ、あと。男があんまりいつまでも悩みゆう姿はみっともないで。女々しい奴やと思われとうないがやったらしゃきっとせぇ! しゃきっと!」

「な……っ!」


 狼狽えたように睨み返すと、鞍馬はゲラゲラと笑いながら手を振り「しっかりお勤め果たしてきぃや」と言いつつ部屋の中に戻って行った。

 一人縁側に残された幸之助は短い溜息を吐いて加奈子の写真にもう一度視線を映した。


 自分の思うようにする……。


 その言葉がやたらと胸に染みた。

 加奈子の事を想う気持ちから目を背けることは出来ない。共に長くずっとありたいと思う気持ちも嘘じゃない。だが、自分の欲の為だけに彼女を縛り付けるような事をしたくもない……。


「……私はあなたの事を心から大切に思っています。だから、私はあなたの思いも行動も尊重したい。私は、傍から離れることは無く傍にいる。あなたが旅立つ、その瞬間もずっと……」


 幸之助は静かな誓いと共にそう呟くと、写真を懐に仕舞い縁側から立ち上がって池川神社へと向かった。

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