第159話 トリックスター
ラディクたちが王城へ向かった後、宿屋『白兎亭』にはガオゥンとカフネだけが残っていた。
そのカフネが、受付カウンターがある部屋まで出てきて、宿の主人と話をしているところだった。
「なあ、『木漏れ日亭』の食事くらい差しいれてくれよ!」
カフネは、丸テーブルの上に身を乗りだすようにして主人に迫る。
「カフネさん、いくらあなただからって、それはできません。ウチは食事を出してないんですよ。それに、『木漏れ日亭』なら、ここからすぐじゃないですか。食べに行ってくださいよ」
そう言うと、宿の主人は口を一文字にひき結んで、断固として動かない様子だ。
「なあ、そこをなんとか頼む! 病気で寝ている者なら、外から食事をとり寄せることができるって聞いたぞ」
「あなた、どう見てもピンピンしてるじゃありませんか!」
「私はな。だが、連れのでかいヤツがどうも調子悪くてなあ」
「ウソおっしゃい! あの方とは先ほどご挨拶しましたが、とてもお元気でしたよ」
主人の表情に、呆れと軽蔑が混じる。
「ちっ! じゃあ、ホントのこと言うから! 私たち、ここを離れられないんだ。だから、食事に出かけられない。ほら、これならいいだろ? 食事もらってきてくれよ!」
「だから、それは無理だと――」
主人がそこまで言った時、カフネは左手で主人の口をふさぎ、立てた右手人差し指を自分の薄い唇に当てた。
「しっ、静かに」
主人が目で返事すると、カフネは彼の口から手を離し、小声で呪文を唱えた。
そして、滑るような足取りで、あっという間にそこから姿を消した。
彼女の姿は、ガオゥンに割りあてられた部屋の前にあった。
ノックすら惜しんで、いきなり扉を開ける。
そこには、床にあぐらをかいた、大きな獣人がいた。
「む、カフネ殿、どうされた?」
大男が、カフネを見上げる。
「やっぱり、ヤツらが来たよ。逃げる用意をして。」
「……巻きこんですまぬ」
「ははは、これも計画の内さ! さあ、さっさと動くよ!」
「あい分かった!」
◇
宿の外では、周囲に散らばり、商人や町人の姿で宿の入り口を見張っていたエルフたちが、一斉に動きだす。
彼らの手には、それぞれが得意な弓やワンド、そして剣が握られていた。
宿に突入した彼らは、緊張した面持ちで丸テーブルに座っている主人に声を掛ける。
「大きな獣人がいるはずだ! 隠すとためにならんぞ!」
一人のエルフが、ワンドの先を主人に突きつける。
「は、は、はい! い、います! 部屋は、『
「それはどこだ!?」
エルフが、主人の胸倉をつかみ上げる。
「そ、そこを奥に入って左です!」
それを聞いたエルフたちが、奥へ向かおうとしたその瞬間、部屋の床いっぱいに光る魔法陣が浮きあがり、その光がはじけた。
ボフッ
大量の煙が湧きあがるとともに、床が抜け、球状をなす住宅の底へ、エルフたちが落ちる。宿の主人もろともだ。
「ぐあっ!」
「げっ!」
「ううっ!」
突然の落下で、押しいってきた数人が軽くないケガを負ったようだ。
「くそっ! 急げ! ヤツは奥の部屋だ!」
床下からなんとか這いあがった四人のエルフが、宿の奥へと走る。
扉に掛けられた名札を確認していたエルフが叫ぶ。
「ここが『樫の間』だ! 踏みこむぞ!」
扉をばっと開けると、彼はワンドを前に突きだし、部屋の中を見まわした。
「む、誰もいない?!」
そのエルフは、ベッドのそばまできた時、糸のようなものが自分の足に触れたのに気づけなかった。
バフッ
突然、煙が部屋に充満する。
しかし、今度の煙は、先ほどのものより
「ごほっ、ごほっ! 煙を外へ出せ! は、早く……煙を……」
ぱたぱたと倒れていくエルフたち。
煙には睡眠を誘発する成分が含まれていたのだ。
◇
宿の裏口を見張っていた二人のエルフは、人族の女性と大きな獣人が、凄い勢いで宿から跳びだすのを目にした。
「標的だ! 逃がすな!」
「おう!」
それぞれが、弓とワンドで逃げる二人を狙う。
狭い路地だ。左右に逃げ場はない。
二人が弓矢と魔術を放とうとした時、足元に転がってきた筒が破裂した。
ボンッ
「ぐはっ!」
「げええっ!」
刺激性の物質で、目とのどをやられたのだろう。顔を押さえたエルフが、道にうずくまる。
新手が仲間の所に駆けつけたとき、標的の二人は、すでに影も形もなかった。
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