第7部 追跡

第92話 黒狼

 黒服に身を包んだ黒狼の『鼠』は路地裏を走っていた。仲間の仲でも足の速さで抜きん出ている彼にしては、やけに足取りが重い。

 すでに闇に包まれかけている薄暗い路地に置かれた障害物を避けるとき、よろめきさえしていた。

 それでも、彼が足を停めることはなかった。


 やがて、一軒の古びた家屋にたどり着くと、裏戸を独特のリズムでノックした。

 魔術的な処理が施されていたのか、一瞬、扉が赤く光ると、それが内側から開いた。

 滑るように『鼠』が中へ入ると、裏戸はすぐに閉じた。

 人が住んでいるとも思えない殺風景な家の中を足早に進み、椅子やテーブルが置かれた部屋まで来ると、身をかがめ暖炉の中へ踏みこむ。暖炉の壁をその肩で押すと、それは扉のように奥へ開いた。

 そこには、完全な闇の中、地下へと続く階段があった。

 

 階段を降りた『鼠』が、小さな扉を押しあけると、ロウソクで照らされた小部屋があった。

 小部屋は、四方に扉があり、壁のあちこちに手のひらほどの穴が開いている。

 上に建つ家の音を拾うためのものだ。

 穴の一つに顔を押しつけていた、総髪の男が振りむいた。

 その男は、片目が刀傷で塞がれており、残る方の眼がギラリと光った。


「おい、しくじったのか?」


 彼は仲間が手で押さえている肘を見た。

『鼠』の腕は、肘の先辺りから失われていた。

 血が滴っていないのは、傷口が黒く焦げているからだ。

『魔女』が唱えた火魔術は、高い魔術耐性がある黒い着衣と一緒に腕を燃やしつくしたのだ。


「監視対象が『魔女』と接触した」


 その傷にもかかわらず、『鼠』の口調には乱れがなかった。


「……『魔女』か。もしかすると、その小僧が本命かもしれんな」


 総髪の男が、腕を組む。

 二人は狭い部屋の中央にある小さな木製のテーブルを挟み座った。


「『兎』と『蛇』の方は、外れだった」


「そうか。対象には、もう一人、魔術学院の女生徒が接触していた」


「素性は分かるか?」


「いや、資料には無かった」


「となると、特別な手続きで編入した生徒だろう。その線を追えば、何か分かるかもしれん。学院の方は、かしらから手を回してもらおう」

 

「頼むぞ、『犬』」


 それを聞くと、総髪の片目は腕組みを解いた。


 よろめくように立ち上がった『鼠』は入ってきた扉の向かいのそれを、残った方の手で開けると、部屋から出ていった。

 扉の向こうでドサリという音がしたのは、『鼠』が気を失い倒れた音だろう。


 その音を聞いても、『犬』と呼ばれた片目の男は、表情一つ変えなかった。

 ロウソクの灯りが消え、完全な闇となった中、男は『鼠』が入ってきた扉を開け部屋から出ていった。

 



 

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