第6部 事件調査
第87話 皇帝の心配
広い湖を望む帝城の一室では、この国を治める皇帝コレンティンが頭を抱えていた。
執務机の上には、二枚の封筒が並んでいる。一つは、南西地方を治める貴族からの報告で、もう一つは、ギルドからの報告だった。
まだ三十代の皇帝は、今までこれといった国難も経験せず、比較的平穏な生活を送ってきた。貴族社会のドロドロした関係は目にしてきたが、先代の皇帝が早いうちに後継として彼を指名したこともあり、命を狙われるような出来事は無かった。
そのため、先日、南西地方で起きた、『三つ子山事件』は、彼の心に重くのしかかっていた。
「陛下、少なくとも、ドラゴンが暴れたという証拠は無かったわけですから、このまま調査を継続すればよいかと存じます」
皇帝の前に立つ男性は、肩で揃えた金髪をかき上げ、穏やかな声でそう言った。
スラリとしたその姿と端正な顔つきは、そのまま肖像画になりそうだった。
「だがなあ、ダールフ、山が一つ消えたんだぞ。その力の大きさを考えてみろ。もし、そんな力が、ここ帝都で使われたら――」
幼い頃は兄弟のように育った宰相に対し、余人を交えぬ時に限り、皇帝は砕けた口調となる。
「ご安心ください。この国は、水の大精霊様によるご加護を受けております。必ずや、大精霊様のお導きがあるはずです」
安心させるように、そんなことを言ったダールフだが、実は皇帝以上に不安を抱えていた。
賢者マールの弟子として魔術を学んできた彼は、使われた魔力の大きさを想像し、それに恐怖していたのだ。
「ふう、お前は相変わらずだなあ」
宰相ダールフの有能さは、広く知られている。彼が支えてきたからこそ、大きな政変もなくこの国が安定している。それは、国内だけでなく、他国からの評価でも同じだ。
「陛下、このような時ですが、しばらくお暇をいただけませんか?」
「なぜ、このような時に?」
「師に助言を求めにまいりとうございます」
「なるほど、マール殿なら、何か分かるかもしれぬということか」
「御意」
「そういえば、魔術学院から、ルシル殿が戻られたとの報告があったぞ」
「はい、存じております」
「このような時だ。彼女にも、力になってもらわぬとな」
「もちろんでございます。それと――」
「まだ何かあるのか?」
「はっ、『
「……なるほど、それほどの事態だということだな」
ダールフが口にした『黒狼』という組織は、皇帝直轄の秘密部隊で、防諜を任務とする。
宰相には、特別に彼らを使う権限が与えられているが、ここでダールフがわざわざそれを願い出たのは、殺人まで任務に含む可能性があるからだ。
「いいだろう。この件は、お前に任せよう」
そう言うと、皇帝は少し肩の荷が下りたのか、眉間のしわを消した。
「マール殿に、余からよろしくと伝えてくれ」
「はっ!」
若き宰相は踵を返すと、執務室を出ていった。
「頼りにしてるぞ、ダールフ……」
皇帝は、閉まった扉に向け、そう囁いた。
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