第10話 奇跡の代償(上)
テラコスの街には、水の大精霊を祭る神殿がある。
水の大精霊は、治癒や恵みをもたらすと言われている。
治癒魔術が使える女性が、巫女として神殿に仕える。
小さな雑貨商を営む両親が商売に失敗し夜逃げする時、シャーリーは神殿に預けられた。
彼女が治癒魔術に覚醒したのは、神殿にとっても彼女にとっても幸運だった。
十五でたった一人、社会に放りだされるはずだった彼女は、巫女見習いとして神殿で暮らすことになった。
シャーリーはそれ以来、俗世のことに背を向け、祈りと治療に打ちこんできた。
彼女が世間と交わるのは、ケガや病で神殿を訪れる人々を通してだけだ。
外の世界と隔てられているからこそ、巫女たちは俗世への興味が尽きなかった。
シャーリーが窓のこちら側にいるとも知らず、二人の若い巫女見習いが世間話に興じている。
「へえ、ジョンってマギーと別れたのね」
「ええ、そうよ。あっ、ねえねえ、これ知ってる? この街で奇跡が起きたらしいわよ」
「えっ!? 奇跡って?」
「ほら、この前、領主様の馬車が事故を起こしたじゃない」
「ああ、シャーリー様が治療に呼ばれたやつね」
「馬車の下敷きになった女の子は、そりゃもう酷いケガで、手足がちぎれてたんですって」
「えーっ! ナニそれ、怖い!」
「でね、シャーリー様が治療に行った後、その子が元気に歩いてたんですって。ちぎれた手足も、元に戻ってたって」
「へえ、やっぱり巫女長ってすごいのね!」
「聖母シャーリーですからね」
巫女たちの会話にはいくつも事実と異なる点があったが、気にしなければならないのは、そこではない。
問題は、奇跡が起きたと世間に知れてしまったことだ。
口止めしておいた巫女メアルが洩らしてしまったのだろう。こうなると、神殿庁からなんらかのお達しがあるのは確実だ。
やっかいなことにならなければよいけれど……。
しかし、事態は私が恐れていた方向に進んでいった。
◇
「巫女長、お客様です」
朝の祈りを捧げた後、若い巫女が緊張した面持ちで私のところへやって来た。
「帝都の神殿からいらっしゃったそうです」
中央神殿からこんな田舎町へ? どう考えても、例の件だろう。だけど、こんなにも早く?
私は重い気持ちで客室へ向かった。
「シャーリー、久しぶりだね」
そこには、白いローブを身に着け、頭に教会帽を載せた壮年の男性が立っていた。
「す、枢機卿様!」
まさか、教会の次席が来るとは……。
枢機卿は、ガッチリした体格から出る、太く低い声で来訪の理由を口にした。
「この街で奇跡らしき事が起こったと聞いて駆けつけたのだ。この神殿からの報告は、まだ中央に届いていないようだが?」
穏やかな口調だけど、これは叱責ね。
「まだ奇跡かどうか分かりませんから、報告を控えておりました」
「奇跡に関しては、どんな些細なことでも報告せよ。そう教わったはずだが?」
「はい……連絡が遅くなったこと、申しわけございません」
「謝る必要はない。とにかく、死から救われたという少女に会いたい。その少女のところへ案内してくれるか?」
「……はい」
彼女のことはそっとしておきたかったが、これはもう仕方がないことだ。せめて前もってゴリアテに知らせておきましょう。
「では、靴を履きかえてきます」
「急げよ」
「はい」
自室に戻る途中、見習い巫女が通りかかったので、その耳元で告げる。
「メアルを私の部屋へ呼んでちょうだい。大至急って伝えるのよ」
「はい、分かりました!」
部屋に戻ると、すぐに巫女メアルが入ってきた。
「あなた、『剣と盾亭』であったことを誰かに話したわね?」
「えっ、いえ……はい、話しました」
涙ぐんでいるところを見ると、反省はしているようね。
「今からすぐゴリアテさんのところへ行って、教会の関係者が来るって伝えなさい。それがせめてもの罪滅ぼしよ。でも、あの娘になにかあったら、あなたもその時は覚悟なさい」
その時は、私も責任を取らねばなるまい。
「さ、早く行きなさい!」
口の軽い見習い巫女は、慌てて部屋を出ていった。
ノックもせず、入れちがいに枢機卿が入ってくる。
「何をぐずぐずしている! 無駄にしている時間はない。すぐにそこまで案内したまえ!」
枢機卿の表情にはいら立ちと、疑いの色があった。
「はい、すぐに!」
私は慌てて外出用の靴に履きかえた。
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