第11話 ゲシュタルト崩壊
「そう、ゲシュタルト崩壊」
「どういうこと?」
奈緒は怪訝な顔をして美久を見ている。
「同じ字を書き続けたらフッと何書いているかわからなくなる時ってない?」
「うーん?どうかなぁ‥。」
「例えば『を』の字をずっと書き続けてると、段々と『つ』の逆さまを『ち』の書きかけに引っ掛けてるだけの様に感じたて、何の字を書いているのか不思議な気分になったり。」
「あー、そう言えば小学生の時の漢字練習であった気がする。うん、うん、でもそれ音楽と関係ある?」
「まぁまぁ、ゲシュタルト崩壊って言うのよ。その字が変に見えるのを。各パーツに目が行って全体を認識出来なくなるから起こるらしいの。
言って見れば字は視覚のゲシュタルト崩壊。
で、私のは音だから聴力のゲシュタルト崩壊。」
「へえー、それで?」
「それで、も何も字と同じで何をやっているかわからなくなるって言うことよ。私にもどうなっているのかわからない。」
「美久は和樹の大叔父さんに4拍子に弾くことを習ってゲシュタルト崩壊をしたならそれが原因じゃないの?」
「それが、大叔父さんに習った時は大丈夫だったのよ。小学3年生だったし曲も易しいのを弾いていたしね。」
「じゃあ、いつからなの?」
「1拍の中に2拍子や4拍子を見つけてからかもしれない。その頃からなんだか上手くいってない気がする。」
「じゃあ、その1拍の中の2拍子や4拍子をやめれば良くない?」
「そうなんだけど、自分の中で納得出来ないっていうか、簡単にはいかないのよ。」
「ふうん。」
そう言うと奈緒はしばらく楽譜を見つめ考え込んでいた。
そして思い付いたように
「おかしくない?1小節の中の2拍子も4拍子も。」
と言った。
「えっ?何が?」
「4拍子の時にディミニュエンド(段々弱く)なら強、弱、中強、弱、で演奏することが可能だけどクレッシェンド(段々強く)の時はどうするのよ。
弱は考えないとしても強の後に中強だと弱くなるじゃない?1小節単位だとクレッシェンドは無理よ。
数小節あれば可能だけど。」
「それがね、ちゃんとなるのよ。
不思議なんだけど。なんて言って説明すれば良いかわからないんだけど‥。3拍子なら自然に出来るじゃない?強、弱、弱でズン、チャッ、チャッ、って」
「3拍子の時は1小節の中にクレッシェンドがあっても弱、弱、って弱が2つの中で強さを変えれば何とかなるかもね。さっきのバラードの16分音符にもクレッシェンドが書いてあるから変になってたんだね。
美久の言う通りにしたら上手くいったんだ。
でも、よく見たらこのクレッシェンドは次の段につながっているから強い拍で進んでいけるわ。
次につながるのならクレッシェンドは出来るわよね。
ねえ、先生に一拍の中の2拍子と4拍子のクレッシェンドについて質問してもいい?」
奈緒にそう聞かれて美久は『嫌だな』と思った。
「うーん、聞くなら私から聞いたことだとわからないようにして欲しいのと、絶対に1小節の中の4拍子のクレッシェンドだけにしてくれない?他の話はしないで。」
と奈緒に言うと、
「いいけど何故全部話してはいけないの?」
と美久にとって痛いところを突かれた。
言いたくないがここまで話してしまったら言うしかない。
「大叔父さんがね、拍子について考える必要が無い人もいるって言ってたの。
恵まれた音楽環境に育った天才系の和樹のお母さんとか和樹とか和樹のお姉さんとか。
ただ、知識としてはきちんと知っておかなければならないことだって。
あとね、大叔父さんに他の人には内緒にしてって言われたの。何故かはわからないんだけど‥。
実は大叔父さんが亡くなってから、当時習っていた山崎先生に聞こうと思ったことがあったのよ。
でも私はおかしな演奏だと指摘されていたし怖くて聞けなかったんだ。
そんなことを考えて弾くから変になるって言われるとわかっていたし。自分を否定されたら大叔父さんを否定された気持ちになるだろうし。」
「なるほど、要するに美久はこの事をあまり広めたくないのね。」
「うん、まぁ‥。批判が怖いかな。実際に私は上手くいってないし。」
「わかったわ。余計な事は聞かないで1小節の話を聞いてみるね。」
*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*
数日後、奈緒のレッスンの後、再び美久と奈緒は練習室で会った。
「奈緒、どうだった?」
「うん、
『1小節の中にクレッシェンドがある時に拍子はどうなるんですか?』
って聞いたら
『あら?そうなのよね、難しいわ。それは一生の課題よ。あなた、良く気がついたわね。良い勉強をしているわ。』
って言われて話が終わったわ。」
「へぇ、意外。あの先生にとって一生の課題なんだ‥。」
「うん、良く気がついたって言われてもね。美久が言わなきゃ気が付けなかったし。
良い勉強をしているって言われてもね。別に先生から話を振ってくださった訳ではないから自分で勉強もしてないし。
全部。美久から学んだってことよね。
あ、和樹くんの大叔父さんから学んだってことか。」
「ねえ、奈緒。他の先生方はご存知なのかしら?だって必要ない人もいるって大叔父さんが言ってたって事はよ、必要無いのは才能豊かな天才の人たちって事で、大学でピアノを教えている先生方は才能がある人たちばかりじゃない?
てことはさして重要だと思わずに指導しているんじゃないかな?」
「美久、それはいくら何でもないんじゃない?」
「だって少なくとも、私の今の長原先生は私が何をやろうとしているのか全然わからないみたいだし。」
「私の先生は知識としてあったけれど‥レッスンの中での説明が変だったと言えば変よね。
小さい子どもが無理矢理にブカブカの長靴をはかされて沼の中を歩いているみたい、とかね。
あ、これは一拍の中の2拍子だから違うか。
先生に聞いたのは1小節の中だった。」
「同じような気もするけど‥。」
「誰か答えを知っているんじゃない?和樹くんは?」
「和樹の家族はこのことを知っているけれど、あの家族は天才だから。」
「てことは大叔父さんは天才じゃないってこと?」
「あー、そうかも。」
「そこら辺、大叔父さんのこと和樹くんのお母さんに聞いてみたらどうかなぁ?」
「和樹のお母さんかぁ、そうだね、和樹のお姉さんに聞いたことはあるけれどお母さんはないわ。
菜穂、一緒に行ってくれない?」
「もちろん、いいよ。」
「菜穂、言い忘れていたんだけど、この音楽大学にいる学生の半分以上の人はおかしな拍子で弾いているんだよ。」
「‥‥。」
美久の言葉に菜穂は驚いて言葉を失った。
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