第6話 3人のバイオリンの先生

 「バイオリンの先生をしている知り合いが3人いるのよ。」


 和樹のお姉さんがそう言うと和樹は

「またその話かよ。」

 とボソッと言った。


「私は、美久ちゃんに話してるの!和樹は黙ってて!」

 弟にピシャリと言って黙らせる。


 美久はクスリと笑った。

 

 和樹は姉の妃華ひめかには、いつも頭が上がらない。

 4歳年上の妃華ひめかも母親の影響で音楽大学を出ていた。大学卒業後は某企業の音楽教室の講師をしている。


 妃華ひめかは婚約中で、結婚後は夫となる男性の仕事の都合でアメリカへ行く予定だ。


 妃華ひめかのピアノ演奏の実力はかなりのもので、国内のピアノコンクールでは子どもの頃から常に上位を取っていた。もちろん和樹もである。


 そして、地元のオーケストラとの演奏会も数度だが経験している。

 ソロコンサートを開催したり、友人たちとで弦楽器や管楽器とのコンサートも頻繁にしていた。


 和樹は姉と同じ東京の音楽大学へ美久は地元の音楽大学へ進学していた。

 大学の長期休みになると和樹が居なくても姫華に呼ばれ家にお邪魔する日が増える。

 小学生の頃から和樹の家に遊びに来ていたので姉の妃華ひめかとも自然に仲良くしてもらっていた。


 妃華ひめかは続けた。

「3人のうちの1人はね。

 とても才能ある人よ。

 バイオリンもどんな曲でもサラサラと流れるように弾けてね。

 お母様がピアノの先生でね。

 小さい頃からクラッシック音楽が溢れる生活環境があって、まぁ、うちも母親がピアノの先生だから同じような感じだと思うけれどね。


 最初はあそこまで楽に弾きこなせるのは羨ましいと思っていたのよ。

 演奏に関しては、小さい頃の環境で決まるところはあるからね。


 でもね、そのバイオリンの先生の発表会で生徒さんの伴奏をしてびっくりしたわ。

 だって生徒達はほとんどの人が音がズレているの。

 リハーサルの時に思わず、その中のしっかりしてそうな難しい曲を弾く中学生に「もう少しG#を上げて。」と声をかけてたら、そのバイオリンの先生に

「いいんですよ。彼女はわかっているので。」と言われて黙るしかなかったわ。


 何故、このバイオリンの先生は音を正確に弾くという基本的なことを教えないのか不思議で仕方なくてね。

 バイオリンって音が狂ってる演奏は聴けたものじゃないわよね。

 生徒の演奏を指導する時は全て先生がお手本を弾いて聴かせていたのだけどそれを真似できる耳の持ち主は1人だけだった。

 その発表会ですごく上手い高校生で音大に行くと言ってたの。


 その高校生はすごく耳が良くてね、もちろん音程は完璧だったし演奏もすごく良かったのよ。


 その高校生は才能のある子だった。

 そして、自分のバイオリンの先生を尊敬していると感じたわ。


 2人目のバイオリンの先生は、あまり演奏が上手いとは言えないお婆ちゃん先生でね。

 

 そのお婆ちゃん先生の発表会に行っても驚いたわ。

 すべての生徒さんはきちんと音程が合っているのよ。

 演奏が上手かどうかは置いておいて、とにかく音の高さが正確なの。

 安心して聴くことが出来たのだけど、困ったことに音楽的には良い演奏ではなかったのよ。


 何というか、その、そうねぇ、教えていたのは音の性格さと強弱だけだったのかな?

 メロディは歌わせていないしテンポは狂っているし‥。


 でも、その発表会の中にいた小学低学年の子が1人とても上手でね。音が正確に取れているから、そこはお婆ちゃん先生のおかげかと思うのだけど、歌心がある子だったからすごく素敵な演奏をしててね、こればかりは才能のおかげだと思ったのよね。



 最後は3人目のバイオリンの先生ね、


 この先生はバイオリンを始めたのが小学6年生で、バイオリンを始めるには少し遅い年齢だね。

 でもピアノを小さい頃からに習っていてバイオリンに転向したから音程も良くて、しっかり勉強されていて才能もあるけれど努力もされている感じがする先生だったのね。


 少し世間話をした時にね、大学時代にとても厳しい先生に習われていたそうで、そのおかげで多くの学びがあって自分が先生になってから助かっているって言ってたわ。

 その先生の発表会では、ほとんどの生徒が音程がほどほどに取れてる感じで、みんな上手に歌いながら演奏していたわ。


 やはりこの先生の生徒の中にも才能のある子がいて、とても難しい曲を正確な音程で楽しそうに弾いていたわ。


 全体的にみんな日頃頑張って練習した成果が出ていると思ったな。


 どう? 3人のバイオリンの先生たち。


 一人目の先生は何故、音の高さをきちんと教えなかったのかわかる?

 自分が音を取ることで悩んだ事がないのよ。

 人は生まれつき音の高さがわかると勘違いしているの。

 絶対音感があるのは生まれ持った才能と合わせて、小さい頃からお母さんがピアノ教室をしている環境に育ったからだという認識がないから、バイオリンを弾いていればいつか自分で音がずれていると気が付くと思い込んでいるのよ。

 そして、たまに生まれ持った才能で音が取れるようになるお子さんもいるから自分のやり方でいいと信じているの。


 2人目のお婆ちゃん先生はね、バイオリンを始めたきっかけが変わっているの。

 多分昭和30年頃かな、まだバイオリンを弾くことが一般的ではなかった頃にたまたま近所の小学校で『子どもオーケストラ』を作りたいというお金持ちの人がいて、無料でバイオリンを貸してもらえて教えてくれる先生もいたのですって。

 クラッシック音楽を聴いたこともないし、オーケストラが何かもバイオリンが何かもよくわかっていない子どもたちが集まってきてオーケストラを作ったそうよ。


 その中でお婆ちゃん先生はわりと音を取るのが上手かったそうよ。でも他の小学生は音が取れないから必死になってボランティアの先生と一緒に友達たちに教えていたのですって。


 そしてお婆ちゃん先生だけは特別に個人レッスン時間をとってくれて更に正確な音の高さについて学んだそうなの。


 オーケストラで音がずれているのは雑音でしかないものね。

 そしてお婆ちゃん先生はバイオリンを教える上で1番大切なのは音を正確な高さで演奏することだと考えたそうよ。


 3人目のバイオリンの先生は私の中では結構良い先生だと思ったわ。

 学生時代に自分の足りてないことをきちんと学べているのよ。

 例えば、楽器の構え方、音の出し方、強弱の付け方、拍子の取り方、一つ一つが丁寧で生徒一人ひとりに何が必要かを見極めて教えていたと思ったわ。


 3人のバイオリンの先生を見た結論として、先生は自分が苦労したところを生徒に教えようとするんじゃないかしらね?

 要するに演奏で苦労していない1人目の先生は自分と同等の才能のある人にしか教えられないんじゃないかしら。

 それから、どんな先生に習っても才能のある子は芽を出して伸びているの。

 これは私を安心させてくれたわ。

 私もピアノの指導に自信がある訳ではないからね。


 ということはよ、つまり才能の小さな人、ほとんどの人がそうだけど、どんな先生に習うかで『上達度合い』がかなり左右されると言うことになるわ。」


「私、昌孝叔父さんに会えて良かった‥。」


 美久は姫華ひめかの最後の言葉に納得してつぶやいた。

 昌孝叔父さんとは和樹の大叔父であり、日本で最初に作られた西洋音楽学校で学んだ第一期生だった人物だ。


「本当ね、私たちですら何も教えてもらえなかったのに美久ちゃんたら運がいいわ。」


 妃華ひめかはこの事を知った中学生の時、美久に嫉妬してしまったが大人になった今はわかっていた。

 多分、昌孝大叔父は美久の才能の無さに同情したのだと。あるいは大叔父自身と美久を重ね合わせたのだと。

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