第2話 1拍の中に2拍子

 美久は地元の音楽大学のピアノ科に入学したのはいいけれど良い結果は出ていなかった。


 美久にとってピアノはもともとあまり得意ではなかったが、音楽大学に入学してからというものもっと不得意なものになっていた。


 さすがに音楽大学のピアノ科でピアノが得意じゃない人はいないのだから、もともと得意でないとなると悲惨な成績をもらう事になる。

 自分では良いと思う演奏なのに大学の先生からは可笑しな演奏だと指摘ばかり受けて面白くなかった。


 大学のピアノ科での個人授業は一年生の時に決まった先生に卒業まで習う事になる。


 合わない先生に当たってしまうと4年間の地獄をみる。


 美久のピアノ科の先生は少しキツい言い方でレッスンをする男の先生だった。


 美久には意味が分かり難くても質問をする勇気が持てなかった。


「どうしてそんな風に弾くかなぁ?大事な音はどれ?」


「おかしいだろう?書いてあるクレッシェンドは無視するの?たとえクレッシェンドが書いてなくてもメロディが上に向かっているよ?」


「和音の変化を聴こうとしなさいよ。君ね、機械じゃないんだから!」


「あー、それじゃあ、年寄りの演奏みたいだよ!」


 美久はピアノを弾くことにうんざりしていた。


 学生達は大学の空き時間や昼休憩を練習室で過ごすことが多い。練習したり友達と話し込んだりして時間を潰していた。



 美久の同級生、親友の保田奈緒はピアノが上手かった。

 美久と違いピアノを楽しんで弾いている。


 二年生になってすぐ、奈緒はショパンのバラード4番を前期の試験曲として先生から与えられ喜んでいた。


 保田奈緒も恋人の和樹と同じで母親がピアノの先生をしているという恵まれた環境で育ったため、かなりの実力を持っている。


 簡単な曲なら聴けば弾けるという特技もあった。


 美久から奈緒のピアノ演奏の実力を見れば雲の上の人だ。

 それでも2人は大学の入学式で隣の席になってから不思議なほどに言いたいことが言い合える気の合う親友だった。

 

 その奈緒がバラードを練習室で弾き始めた。


 練習室は全部で15部屋あり3畳ほどの狭さでアップライトピアノが置いてある。

 ピアノ科の学生の誰かしらが一日中練習に使うせいかピアノは音が狂ってたり鍵盤を押した時のハンマーの返りが悪かったりして、あまり良い状態のピアノは無かった。


 奈緒がバラードを弾き始めて1ページ後半辺りまでの前奏から主題に入ったところ、右手の美しいメロディの16分音符の前で手を止め、ため息をついて美久を振り返った。


 上手いなと思いながら聴いていた美久は練習室の床にしゃがんだまま、

「何?どうかした?」と聞いた。


 奈緒はいつも明るくて楽天的な性格だ。

 しかし、珍しく悩んでいるようだった。


 「あのね、先生からあなたの演奏はまるで小さい子どもが無理矢理にブカブカの長靴をはかされて沼の中を歩いているみたい。って言われたの。どうしても意味がわからなくて。」


 奈緒の先生はそんなに厳しくない穏やかな人で、「いつもわかりやすく教えてくださるのよ。だからレッスンが楽しみなの。」

 と言っていたのに。


 美久は「何?その沼の中を歩いているような演奏って全部がそうだってこと?」

 と驚いて聞いた。


「あー、全部じゃなくて、ここ。この16分音符のこと。」と奈緒は楽譜を指した。


 美久には直ぐにわかった。

「あ、それはね、その一拍の中に2拍子を当てはめるのよ。そうすると綺麗に音楽が流れるから。」

 

 奈緒は怪訝な顔をして

「どういう意味?

 一拍の中に2拍子?

 そもそも2拍子って?」と聞いてきた。


 美久は説明する。

「3拍子は強い、弱い、弱い、でしょう?

 4拍子は一拍目が強い、二拍目が弱い、三拍目が中ぐらいに強い、四拍目が弱い、でしょう?

 2拍子は、強い、弱い。

そしてバラードは8分の6拍子だから、強い、弱い、弱い、中強い、弱い、弱い。」


 奈緒は怪訝な顔を崩さない。

「あー、そのことね。当然知ってるわ。それで?」


 美久は続ける。

「それを一拍の中に当てはめるの。8分の6拍子は一拍は8分音符。16分音符は一拍の中に2個。」


 奈緒は笑った。

「あははは、何を言っているのよ?それで出来たら苦労しないわ。あはは!」


 美久は真顔をで続ける。

「騙されたと思って弾いてみてくれない?それで出来たら余計な苦労が無くなるから。」


 奈緒は軽く

「わかった。いいよ、弾くね。」

 と言い美久の言う通りにその辺りのワンフレーズを弾いた。


 そして振り返り、目を丸くしたまま美久をしばらく見つめた。


「どうして‥?」


 美久は

「音楽の基本よ。」と答えた。


 演奏成績の悪い美久が、ピアノが苦手な美久が、何故わかるのかと思ったのだろう。


 奈緒の表情は納得していない。

「どこで習ったの?私は知らない。教えてもらった事ないよ。」


「小さい頃、和樹の大叔父さんが教えてくれたの。」


「美久の彼氏の大叔父さん?音楽関係者?」



「うん、和樹の大叔父さんは和樹のお婆ちゃんの弟さんで、ピアノの先生をしてたんだけど今はもう亡くなってしまったの。」


「うん、それで?」


「その大叔父さんが生きてらした時に、私が子どもの頃なんだけどね、私はピアノがとても下手くそで通ってたピアノ教室ではお荷物だと思われてると思い込んでてね。


 発表会に出たくなくてピアノを辞めたいってママに言えなくて悩んでた時期があったの。


 その頃に和樹の大叔父さんが教えてくれて、助けてもらったのよ。

 その後にママは死んじゃったんだけどね。」


「どういう風に助けてもらったの?」


「インディアンの踊りを4拍子に弾いてごらんって、教えてもらったのは1拍の中ではなくて1小節の中の当たり前こと。そしたらすごく上手くいって発表会は大成功で生まれて初めてピアノの先生に褒められたんだ。

 さっきの一拍の中の拍子の仕組みを思いついたのは5年生時の時よ。」


「ちょっと待って!

 美久はピアノが苦手なのにピアノ科に来たって言ってたよね?

 でも本当はちゃんと弾けてたことがあったってことだよね?

 そして、悪いけれど今は演奏パッとしないよね?

 それなのに、私の演奏の不味いところを見抜いて一発で直したわ。

 どういうことなの?

 音楽をわかっているのなら、美久は本当はちゃんと弾けるんじゃないの?」


「うん、私ね、上手く弾こうとすると聴力のゲシュタルト崩壊を起こしてしまうの。」


「ゲシュタルト崩壊?」



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