15

一限目は選択でそれぞれがクラスを移動するなか栗山さんは微動だにしない。


「香織、移動だよ」成瀬さんがやってきて栗山さんの肩を揺らすのだが、成瀬さんの手も栗山さんの肩もかわいらしく、部分的には優しさに満ち溢れているように見える。


「何、三上氏?」


「栗山さん寝てるの?」ちょっと乱暴に肩を揺さぶる成瀬さんに声を潜めてきいてみた。自分の方がよっぽど気を使っていると思う。


「寝てる。これはガチ寝。ガチ寝の構えよ」


「構えってアンタ…」


「起きてるよ」栗山さんは目をつぶったまま返事した。下手なことを言わなくて正解である。


「香織、移動」


「分かってるよ」栗山さんは相変わらず目をつぶっているが、頬に不愉快が浮かんでいる。


 自分はこれ以上かかわらないよう自然に教室を出た。二人の仲はあれで成立しているのだろう。余所を歩いている夫婦なんぞもかなり物騒かつ剣呑な空気を周囲にまき散らしている厄介がいるが、彼らにとってはそれが自然で愛情表現だったりする。周りは実に迷惑である。しかし成瀬さんと栗山さんは迷別段惑ではなかった。たまにこちらの気持ちが冷えるぐらいだ。


 美術教室に入ったのは自分が最後だった。三つのクラスから美術を選択した生徒が集まっていた。積み木のような木製の小さな椅子にバヤスが座っていた。


「ミカちゃん遅せーよ」と声をかけてくれたのだが、周りの連中もバヤスの声色を真似した。今はこれが流行っているのか、バヤスの声は低いを通り越して感覚的に重いといっていいぐらいだったから、恰好のものまねの餌食になっているようだ。バヤスは夏でもないのに真っ黒に焼けている。今からこれでは夏にどうなるのかという興味がわいた。この男は身長が180もあるくせに実に落ち着きがない。いつのまにか美術の時間はバヤスの前が自分の指定席になったのだが、落ち着かない小学生のように後ろからちょっかいを仕掛けてくる。美術という箸休め的な授業のせいもあってか、はしゃぎっぷりも大げさで実ににぎやかである。


 実際、授業という名の休憩時間といっても言い過ぎではない。これで飲み食いしていたら昼休みと変わらないだろう。


 今回の授業から模写ということだが、有名人の似顔絵を写真をもとに拡大して座標をどうこうという説明の途中で自分は叫び声をあげたくなった。これでは数学と変わらない。


「三上おまえ話聞いてたか?」学校以外の場所であったら浮浪者と間違えそうな教師が睨みつけてきた。自分は教師の手順を何ひとつ守っていなかったのだ。


「先生、よく分からなかったので自由に描いていいですか?」


「どこが分からない?」教師は不満でもなく素朴な疑問のようだった。


「先生、ミカちゃんバカだから、比例とか拡大とか座標とか無理だよ。数学0点だったんだから。な、ミカちゃん、拡大とか対比とか分かんないだろ?」バヤスの声は楽器のようによく響いた。


「三上、お前0点取ったのか!」美術教師は上手いものでも食ったような笑顔をみせた。


「はい。全然わかりませんでした。」


「そうか、よし! お前は好きに描け!」


 教師は満足して他の生徒の見回りにいった。模写のモデルは皆ほんとうに自分の好きな有名人を選んだのか適当に選んだのか謎なところはおおいにある。


「バヤス、それ誰?」


「知らん。ミカちゃんは?」


「プーチン」


「好きなの?」


「いや、用意してこなかったら、そこらへんの新聞拾ってきたんだよ」


「やる気なさすぎだろ」


 描いてるのが誰か知らずに描いてるバヤスも相当なはずだが、この男はいつも自分のことは棚に上げているのだ。それが許される人生だったのだろう。体のデカさは問答無用なところがある。


「バヤス、サッカー部じゃん? ゴメスって知ってるでしょ」


「あぁ、女子にカンチョー決めたゴメスだろ、ミカちゃんもバカだけどゴメスもそうとうバカだぜ。」

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