14

  翌日、学校へ行きたくなかったのは言うまでもない。こんな感情になったのは小学校の時以来だが、その時はどんな事件がきっかけだったかは覚えていない。高校生になってからこんな気持ちを抱えることになるとは思わなかった。しかし、今回の事件はなかなか忘れることができなそうだ。待っているのは地獄かもしれない。昨日の夜は家の電話が鳴ると体が硬直した。これでは体がいくつあってもたりないところだが、幸いにして一回限りだったのだ。実際、石でも飲み込んだような体の重さである。


 校舎はいつもと変わらず轟音のただ中にあった。学校はとにかく朝と昼が騒がしい。校舎自体がわめいているようだ。この騒ぎのひとつひとつほどいてみれば自分のことが噂されているような気がする。もう結末は決まっているのかもしれない。すると、ここで何を考え、何を言おうが、むなしいことなのか。すれ違いになんとなしにぶつかる視線のどれもが意味ありげのようでもあり、いつもと変わらぬといえば変わらない。誰にも昨日の話題を振られぬまま教室に入った。弾丸の嵐の中、一発もかすりもしない己の運を信じられぬ気持ちで椅子に座った。しかし、これで終わったなどとは一ミリだって思わない。


「お前聞いた?」いよいよ来た! 「あぁ」自分の声が弱々しく平静を装った。「やばくね?」その声は非難とそれ以上に狂乱的な楽しさが含まれていた。「うん?いや――」とにかく弁解するしかない、「ゴメス退学かもしんねーよ」「ゴメス?」「え、なに、しらねーの? やばくね?」「どうしたの? 何があった?」うぬぼれていた訳ではないが、朝の一大事件に自分の話題などはランク入りしていないようだ。


「ゴメス、昨日女子にカンチョーして流血させたらしいぜ」自分は敗軍の将のように微動だにせず、その報告を聞いた。ポケットの中で拳を固く握りしめていた。このインパクトのある話題をまくるのはいかなる手をもっても無理だろう。ひと安心である。後は栗山さんが教師に報告していなければ、自分は死刑宣告をまぬがれるのだ。


「ゴメスってなんでカンチョーしたの?」ゴメスがどこの誰なのか分からないまま会話の流れに乗ってみることにした。


「ソフト部らしいんだけど、あいつら髪短いじゃん? 間違って全力でやっちゃったらしいよ。マジ泣きだったって。後ろからみたら男と間違える気持ちもわかるけどなー、それでも間違えるか、フツー?」


 ゴメスという単語が出ると周りにわらわらと人が集まってきて、お互いの情報を補完しあっていた。深刻な話を楽しくするのか、楽しい話を深刻にやっているのか。曰く、その日の前後、ゴメスのクラスでカンチョーが無駄に流行っていたこと、現在はすでに下火である(当たり前)ゴメスが集中で狙われていて、多勢に無勢だったこと、大勢でかかるのは卑怯でもなんでもなく、ゴメスの身体能力を考慮するなら当然のハンデであること、ソフト部の髪が短いのが悪い、それでも間違えるのはゴメスぐらいなこと、そもそもケツで判断すればよい、ケツは嘘をつかない、男と女のケツははっきり違うなどなど。


「恐ろしいな」自分は首を振った。


「ほんとだよ。カンチョーは危ないんだぜ。ま、実際そんなにめりこむはずねーんだ。第一関節までいったら大事件だよ。ホールインワンより確率は低いはずだぞ」やっさんは真面目に話したが、ホールインワンがケツの穴と紐つけてギャグだと思われたらしく、違う違うと周りに否定している。


「やっさんカンチョーに詳しいの?」


「そんなことはない。ミカちゃん、俺をなんだと思ってるんだ?」


「カンチョーに詳しい人。」


「バカヤロ、そんな奴いるかよ。どーせ流血なんてしてないよ。またテキトーに大騒ぎしてるだけだろ」やっさんはその後もカンチョーを仕掛ける側も突き指のリスクがあるなど得意でしゃべっていた。やっさんはこの騒ぎを大きくさせたくないのかなとふと思った。それは無駄な抵抗のようだが。


 担任のクッシーが入ってきても誰も自分の席につこうとしないので、机を二回荒く叩いてようやくおとなしくなった。誰一人恐れていないのは不思議だ。これが小学校、中学校なら一気に空気が変わったものだが。空気というものは実に不思議なものである。


「やっさん、ところでゴメスって誰、何なの? どこの人?」


「ミカちゃん、ゴメス知らないの? そっかー、でもたぶん見たことあるんじゃない?」上体を後ろにくねらせてやっさんが言った。やっさんは体が柔らかいのだが、プレーは固いらしい。


「サッカー部なの?」


「だったんだけどね。んー、今は違う、やめちゃったんだ」


「え、もう? だってまだ一学期じゃん。」


「ケガしちゃったんだよ、だからさ」


「あーそりゃ…」


 やっさんは自分のことのように残念そうだった。これだけ部活が盛んな学校でそれなら本人さぞかしつらかろう。部活をしてない自分よりも居心地の悪さを感じているのかもしれない。


 クッシーが話し始めると、いつ自分の名が呼ばれるかと思ったが、ひとまず無事に終わった。栗山さんは何事もなく鎮座ましましている。 腕を組んで目をつぶっているのだ、一昔前の不良じゃないんだからと思ったが、こんな軽口がしれたら首を刎ねられるだろう。

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