一章 桜花の舞う頃に
さわ、と穏やかに風が吹く。
何処からかふわりと桜の花びらが飛んできた。
男は木陰から差す陽光で目を覚ます。
一人旅なので、野盗に襲われる可能性を思うと、どうしてもテントは使えない。
とはいえ、季節は春なので、そこまで気にはならなかった。野宿は慣れたものだったが好んでいるわけではない。
ただ、オールタイムアーマーとはいえ、表面の金属がひどく冷えるのが気になった。
次の街への道中、妖魔の襲撃に逢ってしまい、馬車等にも逢えないまま日中に辿り着けなかったのが痛い。
「……くぁ」
ひとつあくびをして、赤みがかった金髪をかきあげて、大きく伸びをした。
体を伸ばすと、すぐそばに置いてあった剣と荷物をとり、立ち上がる。
荷物からタオルを取り出し、水袋の水で少し濡らして顔を拭く。
昼前にはバーレスへとたどり着けるか、などと思いながら、肩までの髪を一つに束ねる。
簡単に身支度を整え、近くの街道へと戻ろうとした瞬間、それほど遠くない場所から女の悲鳴と思しきが聞こえた。
野盗か、それとも蛮族か。
どちらにせよ、礼金を貰うか、そうでなくとも女に恩を売っておくというのは悪くない。
我が神ザイアも、弱き者の盾となれと説いておられるのだから。
「行くか」
多少罰当たりな思考をし、男は悲鳴のした方角へと駆け出した。
街道では二頭立ての幌付きの馬車が蛮族に襲われていた。
護衛の者たちは既に蛮族にやられたのか、馬車周辺に倒れ伏していた。
御者と乗客と思しき――悲鳴の主だろう女もいた――数名はまだ怪我を負っていない。
装備の見た目から言って、かけだしから毛の生えた程度の冒険者、ってところか。かなりの各上相手に随分と頑張ったようだ。
敵は蛮族が五体。いずれもトロール族。上位種らしく引き締まった体をしている。
太陽に弱いトロール族が朝から活動とは恐れ入る、と口の中でつぶやく。
――俺は
「俺の敵じゃねえな……!」
男は盾を背負ったまま、剣を両手で構え獣のような笑みを浮かべて蛮族の群れへと突撃した。
突如声をあげて突撃してきた男に、蛮族は即座に反応した。
トロール達の反応は悪くない。むしろ武装している方を優先して迎撃に移ろうとするあたりは知能が人間並み程度にはある事を示している。
『新手か!』
『おちつけ、まずは荷物の確保だ!』
『いや、先に迎撃だ!』
トロール達――男は解らなかったが、トロールの上位種のダークトロールである――は巨人語で会話し突如飛び込んできた男を相手に連携を取ろうとしたが、それより早く男が動いた。
走りながら男は呼吸を整え、一気に複数の練技――
即座にバークメイルという賦術――
あえて目立ちながら接近することで蛮族たちの注目を集める。
男は剣を大振りに構え、ダークトロール達に全力で薙ぎ払いを仕掛ける。
その一刀は、ダークトロール達にたやすく深手を与える。
『馬鹿な……っ!?』
「言葉はわからないが、なんとなく意味は解るな!」
舞い散るダークトロール達の血しぶきが地面に落ちる間もなくもう一打を叩きこむ。
――男の予測通り、ダークトロール達は敵と呼べる相手ではなかった。
男がダークトロール達を屠るのにそう時間はかからなかった。
だが。
「――新手か。連中には荷が重かったな」
上からよく通る別の男の声がした。
男が視線を向けると、上空に皮膜の翼で羽ばたく、豪奢な服を着た美丈夫がいた。
「……ドレイクか」
ラクシアにおける蛮族のリーダー的な存在。蛮族が混成するときには中心になる事が多く、知能も高い種族だ。
生まれついて魔剣をもち、竜形態に変身もする厄介な相手。
――護衛の冒険者を見て高みの見物をしていた所に、俺が乱入したからか。トロール集団と思っていたが……
本来ならば日中行動に制限を受けるダークトロール達が集団で荷馬車を襲っている時点で違和感を覚えはしたが、彼は周囲に気配を感じていなかったので伏兵を想定してはいなかった。
それほどまでに彼は実力者であり、そして窮地に陥っている者を冷静に見ていられるほど冷徹でもなかった。
『……
ドレイクは
「俺の邪魔をするとは、運が無かったな。――人族の勇士よ、名を訊いておこう」
ドレイクは自らの魔剣に魔力を付与し、剣を一閃する。
「……ウォード・ワイエス」
男――ウォードは不機嫌そうにその剣を受ける。
ダークトロールの集団でもかすり傷を負わなかったウォードであったが、その一撃は有効だった。
ドレイクの魔力撃は、総じて重い。
それは、ドレイクの多くが優秀な戦士であり、同時に高位の魔法の使い手でもあるからだ。
「何が目的だ。お前のような上位の蛮族が馬車強盗だと?」
「答える必要はない。貴様こそ、このような馬車を護衛するような実力でもないだろう」
ドレイクの男はウォードの着ている鎧――最高レベルの金属鎧、インペリアル――を一瞥してそう答えた。
「ただの通りすがりだ。だけどな……」
「……この状況、見捨てる訳にもいかねぇだろ」
ウォードは持っていた剣を右手で構え直し、左手に背負っていた盾を構える。
彼の本来の戦闘スタイル――誰かを守る盾としての戦い方。
彼の背中にいる、馬車の中にいる御者と乗客。
倒れ伏している、まだ息のある冒険者。
恩を売ると嘯きながら駆けつけたウォードという男は、その実、芯からの守護者――騎士神ザイアの信徒であった。
状況は良くない。
ウォードはそう分析した。
ウォードは頭は良くないが、悪くもなかった。
単純にドレイクと戦うだけならば、時間はかかってもおそらく負けることはないだろう。
ドレイクは鎧と盾を見てウォードをある程度の実力者と見たが、真にウォードの実力を見抜いていたなら、もっと警戒し補助魔法をかけるだけかけるか、魔法の撃ち合いに持ち込んだはずだ。
だが今のウォードにはすぐ背後に護るべき相手がいる。
それはウォードにとっては利点にもなりえたが、弱点でもあった。
範囲魔法から無力な者を護る術は――一部の例外を除いて――この世界において皆無に等しい。
「さて、朝一の運動にはややハードすぎるな」
鍔迫り合いをしながら、ウォードはにやりと笑って見せた。
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