汝、宿命を打ち砕け
入間エイノ
序章 満月の夜
――突如、胸騒ぎがした。
初夏の頃とはいえ、山間部に位置する都市。夜になると少し肌寒い。
異様な胸騒ぎを覚えたレイフォードは、ベッド脇にかけてあった上着だけを羽織り、その衝動が導くままに外へ飛び出した。
走る。走る。走る。
我武者羅に夜の街を駆ける。
街は、異様な静寂に包まれていた。耳の痛いほどの静寂。
灯りのついた酒場も、灯りのついた家々も、明かりのついた衛兵の屯所も。
どれひとつとして人影はなく。街はまるで、影絵で出来た怖い昔話の様。
……ふと、近くの影が動いた気がした。
だが、その場には自分以外誰もいない。
誰も。
――こわい。
明日にはもう十五になる。
もう成人だというのに、もうすぐ騎士団に入るというのに、そんな事を思う。
どうしようもない不安に駆られ、街を駆けるが、誰一人見つけられない。
そんな事があるはずない。
妙な夢だ、と思い、レイフォードは踵を返す。
そう、その時は気付かなかったのだ。
一歩踏み込めば気付けたはずなのだ。
灯りのついた酒場の中で。
灯りのついた家々の中で。
灯りのついた衛兵の屯所も。
その中で生きていたはずの人全てが斃れていたことに。
――気付いていたとしても、それは何もかもが手遅れだったのだが。
とぼとぼと自宅へ帰る。
夢だとするなら、意味はないのかもしれないが、街中は嫌な思い出が多い。
家の中の方が――家の中でも劣等感が常に自分を苛んでいたが――安心する。
家へ帰ると、夜風が頬を撫でた。
窓を開け放ったまま外に出たのだろうか。窓を閉めようと、風の吹きこんでくる部屋へ向かう。
「……?」
両親の寝室からだった。
寝室の大きな窓は開け放たれ、満月の光が部屋にさしこんでいる。
夜風に混ざって、鼻をつくのは鉄錆のような――血の臭い。
ダブルベッドには一組の男女が倒れ伏していて、男の首筋に噛付き血をすする黒い翼を広げたモノがいた。
――戦乙女の光翼。
限りなく黒に近いその翼は、間違いなく光で構成されていた。
神に祝福されたと言われる種族が持つ光の翼。
本人の意志で広げる事も出来、胎児である時から落下の衝撃から本人を護る、祝福の証。
だがその光は黒く穢れ、その瞳は爛々と朱く。
その顔は、間違いなく双子の姉、ジャスティンのものだった。
「…………な」
悪夢というなら早く醒めてほしい。
いくらなんでも現実感が無さすぎる。
双子の姉だからと比べられる事が多かった。
忌み子であるというだけで、自分が蛮族側にいくのではないかという疑いをかけられたこともあった。
間違いなく嫉妬していた。羨ましかった。
それなのに。
「――おかえりなさい」
黒い翼のナニカが、口元に血をしたたらせながら、凛とした声で語りかけてきた。
ざわ。
全身に悪寒が走る。
逃げろと本能が警鐘を鳴らしている。
肌に触れる夜風が、鼻につく血の臭いが、これは現実なのだとつきつける。
「……な、に」
喉がひりついて声が出ない。それどころか、息もまともに出来ない。
「何? どうして、じゃなくて?」
ジャスティンは見た事の無い妖艶な笑みを浮かべて訊く。
その声は、これまでの人生で慣れ親しんだものの筈なのに。
「まあいいわ。お父様とお母様、これで最後。
この街で生きているのは、もう私と貴方だけ。皆私が殺してあげたの。
……でも、そうね。双子のよしみよ。貴方だけは生かしておいてあげる」
恐怖と混乱とで頭が真っ白になる。あるいは家族を殺された怒りなのか。
「みじめに這いつくばって、それなりに強くなったら私の血族に迎えてあげても良いわ。私、才能があるのよ」
血の匂いに混ざり、幽かに薔薇の香りがした。
目の前の吸血鬼から、黒い光の翼に加え、被膜の翼が広がる。
「せいぜい生き延びるのね。……“
双子の姉から、ついぞかけられなかった言葉を言われて、頭に、全身に熱が回った。
何も考えられない。
ベッド近くに転がっていた剣を掴んで、姉に向かって斬りかかる。
だが。
その刃が貫いたのは、先程まで血を吸われていた父の身体であった。
「……!」
父の口から、末期のうめき声があがる。
「あらあら、お父様が死んでしまったわ?」
くすくすと嗤って、ジャスティンはいつの間にか優雅な所作で窓際に立っていた。
愕然とした表情で父の身体を抱きとめたレイフォードは、その場に崩れるように膝をつく。
それを見たジャスティンは満足げに微笑み、無数の蝙蝠となって、窓から飛び去って行った。
フェンディル王国“花透る街”レオンフィードにて、6月下旬ごろより、街の人々が行方不明になる事件が多発した。
事件の前後、レオンフィード周辺にてブラッドサッカーが複数体確認されたため、ノスフェラトゥが関係していると思われる。
幻影騎士団による調査や討伐作戦も行われていたが、調査は難航。
幻影騎士団が部隊を呼びよせ本格的に討伐作戦に動く前日、7月9日未明、レオンフィードは一夜にして無人の街となった。
行方不明者23名、死者1184名。うち、幻影騎士団員12名。
生存者――なし。
――かの街のただ二人の生存を知る者は、誰もいない。
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