ブラッド・ライン

雄大な自然

呪われた親子

『我が最愛の妻、春奈。

 この手紙が届く時、僕はすでにこの世にはいないだろう』


「ではこの手紙を出して来ればよろしいのですね?」

ハウスキーパーの女性の言葉に、綾瀬慶斗は頷いた。

故郷に帰った妻に宛てた手紙だ。

本音を言えば自分で投函したかったが、その余裕はなさそうだった。

「ええ、今日はそれでお帰りになってください」

「よろしいのですか?」

「ええ、シンもハイスクールのパーティーで帰りは遅いそうですから」

そういって慶斗が笑う。その作られた笑顔に女性は何の疑問も抱かずに家を出て行く。


『近日、僕の知人が次々と殺される事件がおきた。僕には分かる。これは彼の仕業なのだと。そして、昨日の事件で残る犠牲者は最後の一人となった。間違いなく、僕は彼に殺される』


「懺悔は終わったか?」

その言葉に、机に向かっていた慶斗は顔を上げた。

夜風が吹き上げる窓の外から、一人の男が姿を現す。

影が、まるで人の形を取ったかのような姿の男だった。

「久しぶりだ。ダン・シモンズ」

慶斗は椅子に座ったままその男を正面から見上げた。

震えながら、それでも目をそらさない。奇妙なマスクで覆われた大男がその目に不気味な光を宿した。

「よく、逃げなかったな」

「逃げんよ。いつかこの日が来ると覚悟していた」


『そう、ダン・シモンズだ。僕の親友で、君が愛した人。彼と出会ったとき、君と僕は親の決めた婚約者同士で、だけど、僕は君の事を嫌っていた。嫌だったんだ。そういうことが自分の知らないところで決められていると言うことが

 君が彼との仲を僕に報告した時、僕は祝福したね。

 だけど、本当は違った。愚かな話さ。僕はそのとき始めて自分の気持ちに気づいたんだ。僕も君を愛していたのだと。』


鋼鉄の拳が慶斗の顔を捉え、彼は壁に叩きつけられた。口から何本もの歯を吐き出し、床の上をのた打ち回る。

「何故、殺さない?」

「そう簡単に殺すものか、貴様も、貴様に組した者たちも……見ろ、この顔を!貴様の裏切りが私を怪物にしたのだ!!」

男が顔をむしる。皮が引きちぎられ、その中からむき出しになった腐った筋肉が現れる。

痛みすら感じない様子の飛び出した頬骨からは金属の光沢が覗いていた。

それだけではなかった。オ-バーコートに隠された男の身体は半分が機械化され、残り半分が腐り果てていた。

「十八年だ。貴様たちによって俺は地獄をさまよった。その報いが一瞬で終わるものか」

「何故だ、何故今になって甦ったのだ?」

「貴様が知る必要は無い」

ダンが慶斗の腹を蹴り上げ、続いて頭を掴んで引きずり上げ、リビングへと運んでいく。

「貴様には死すら生ぬるい。まずは絶望を味あわせてやろう、貴様の目の前でな」

「まさか!」

ダン・シモンズの考えていることに思い当たって慶斗は戦慄した。


『だから、彼に対する陰謀が僕に持ちかけられたとき僕は迷わなかった。

 そう、ダンは狙われていた。黒人である彼が軍のエースとなることを望まなかった者たちが陰謀を企み、そして僕にも話を持ちかけたんだ。

 その代償に、僕は出世を約束された』


「ただいまー」

明るい声と共に、一人の少年が玄関から帰ってくる。慶斗の息子、シンの声だった。

その声に応じて、ダンが銃口を玄関先の通路に向ける。

「やめろ、止めてくれ。あの子は君の……」

「黙れ!」

しがみついた慶斗をダンが殴りつけて振り払う。

床に転がった慶斗の口から鮮血が流れた。

その騒ぎに気づき、少年が顔を出す。

そして、一瞬にして事態を把握していた。

シンが通路から飛び出す。

両手をこめかみまで上げたボクシングスタイルで、床を蹴った。頭を振り、素早く、あっという間に男との距離を詰めた。

繰り出されるパンチを左右にウィービングして躱す。

元ボクサーのサイボーグ。その巨体は、驚くほどの安定性で上体だけで少年のパンチを受け流していた。

男が手にした銃を構えた。

銃口が左右にぶれる少年の姿を正確に追った。

シンの動きは、ダンにとっては慣れた動きだった。彼が父モーガンから教えられたテクニックだ。

少年の胸に紅い鮮血が咲いた。その目が見開かれ、そして後ろ向きにゆっくりと倒れる。

「ああ……」

自由にならない身体で、慶斗は少年の死体に近づいていく。そして、膝をついた彼の口から絶望のうめきが漏れた。

「……助けてくれ」

震えるような言葉にダンは残酷な笑みを浮かべる。

聞きたかったのはこの言葉だ。死を望む相手を殺したことでそれは裁きにはならない。

我が子の死に絶望し、自身の死を恐れたところを殺してこそ自分の復讐は達成される。

「私はどうなっても良い。罰でも何でも受ける。だが、この子を助ける時間をくれ、この子だけは助けてくれ!」

「そうやって、俺のようにサイボーグにでもするのか?」

「黙れ!!」

嘲笑うダンに、慶斗が叫んだ。

その勢いに、ダンは思わず気圧される。

「何故撃った!?どうして、どうして気づかないんだ君は!!」

「フン、何を……」

「どうして分からないんだ!この子は君の子だ。君の子なんだぞ!!」

慶斗の叫びにダン・シモンズは動揺した。

足元に転がった死体を見る。鍛えられた体躯は浅黒い肌、縮れた髪の毛。それは、日本人同士である慶斗と春奈の間には決して生まれるはずの無い姿。

なぜボクサーだったモーガン・シモンズのテクニックを彼が使えたのか。

なぜ日本に戻った母や妹と違い、彼はアメリカに残っていたのか。

その理由はひと目でわかった。

「馬鹿……な」

巨躯がよろめく。膝をつき、もの言わぬ亡骸に手を伸ばす。だが、それはピクリとも動かない。

動くはずが無い。自分が、この手で死を与えたのだから。

何故気づかなかった。復讐に目が眩んでいたとはいえ、どうして気づかなかったのだ。

ダンは自問する。

自分を裏切ったかつての親友を苦しめるためにその目の前で彼の子供を殺す。そう考えていた。

だが、何故気づかなかったのだ。何故気づけなかったのだ?

「……助けられるのか?」

「手はある。この子が、それを望むかは分からないが……」

のろのろと顔を巡らせた男に、慶斗は暗い面持ちで答えた。


『だが、ダンは生きていた。仕組まれた事故にあってなお、彼は的確な手腕によって生き延びていたのだ。だから、彼らは僕に命じた。そして、病室に運び込まれた彼を、僕は自らの手で無謀な機械化手術を施す実験体として切り刻んだ』


「これで、良いはずだ」

そう言って、慶斗が額の汗を拭う。その後ろでダン・シモンズが自分の腰ほどの高さにある二つのカプセル状のベッドを見下ろしていた。

そのカプセルには彼らの息子であるシン・シモンズの遺体が収まっており、もう一つのカプセルには人間の形をした金属性の躯体が収まっていた。

液体で満たされた二つカプセルは無数のケーブルで繋がっており、そこに行き交う情報は慶斗の手元にあるコンピューターによって逐次表示されている。

ここは慶斗に与えられたサイフリック社のラボだった。

社の主任研究員である彼には自由裁量でかなりの権限が与えられている。

それを使い、密かに二人の部外者を自分のラボに連れてきた慶斗は、自分が作り出した試作アンドロイドに我が子の記憶を転写する作業に取り掛かったのである。

「これで、助かるのか?」

「記憶の転写は私の研究テーマの一つだ。まだ、完全な成功例は無いがね、他に手は無い」

一通りの作業を終えたところで、二人は施した処置について話を交わす。

「この躯体は現在における最新鋭機のテストタイプだ。すでに完成品は提出されているからね。書類上ではこれは破棄されたことになっている。足がつくことは無いはずだ」

「……手馴れたものだ」

「君の様に望まぬ実験で人生を失った者は多い。僕はそんな彼らが生きる手助けをしたくてね。その内に横流しのような真似をするようになった」

「それで贖罪をしたつもりか?」

「……まさか、僕はそこまで図々しくないさ」

そう言って、慶斗は機械体の収まったカプセルに手を載せる。

「この躯体は人間の機能をほぼ完全に再現できるものとして設計されている。食事や生理現象、おまけにセックスまで……」

そこで言葉を切って彼は笑った。

憔悴し切った顔に乾いた笑い。

ダンは答えずにもう一方のカプセルに視線を向ける。

「この身体に意識を移し変えれば、適切なメンテナンス次第で百年以上を健康体で過ごすことが出来る。こういう研究にはいくらでも金を出す人間と言うのはいるものだ。それも、金を持っている人間ほどね。

 だが、脳を移植したところで限界はある。生体の劣化は避けられないものである以上、記憶情報の移植こそを望むのは当然と言うべきだ」

「………………」

「そのために、君の他にも多くの人々が実験に供され、僕は彼らの死を元に技術を発展させた。この手は、とっくの昔に血塗られている。君を裏切ったその時から……」

「記憶の転写とやらが成功したことは?」

「ほぼ、無い。成功しても記憶の欠落や、最悪の場合は人格の崩壊は覚悟すべきだね」

ひどく達観した、無常観に囚われたような慶斗の言葉にダンは眉をひそめ、だが何も言わなかった。そして、部屋の周囲を調べ始める。

ダンが、自分の研究室からいくつかの試作品、武器を物色しているのを見て、慶斗は首を傾げた。

「何をする気だ?」

「作業が成功したところで、勝手にこれだけのことをして何もなかったとは言えまい。貴様は俺に脅され、ここまで連れてこさせられた。それでいいな?」

ガチャリという音と共にサイボーグ用の大型銃器がダンの手で振り回され、研究室の壁を次々と吹き飛ばす。

次の横流し用に弾丸まで備えられていたのだ。

悲鳴と共に慶斗が腰を抜かした。ケーブルで繋がった二つのカプセルを除く全てを破壊しつくすと、ダンは尻餅をついた慶斗の姿に笑い声を上げ、そのまま研究室を出て行った。

そして、扉の外から無数の悲鳴と銃声が響き渡った。ダンは騒ぎを起こし、シンのサイボーグ手術から周囲の目をそらそうとしているのだ。


『君が彼の子を宿しているのだと知った時、僕は始めて自分の罪を自覚した。そして、この子を育て上げることが僕に課せられた贖罪だと思ったんだ』


電子音と共に、システムが転送作業の終了を告げる。慶斗はコンピューターを操作し、躯体に搭載された擬似人格システムを起動させた。

転送が正常に終了していれば、記憶データを基に元の人格を再現することが出来るはずだ。

理論上では……。

「……シン」

「……父さん?」

恐る恐る問いかけた言葉に応じて、金属の口が開く。

その言葉に、慶斗は安堵した。

記憶や人格の移植は成功したようだ。恐らく重大な欠損はないだろう。

そう信じた。詳しく検査している暇など無い。

後は自己診断機能と自己調整機能に期待するしかなかった。

「……俺は、一体?」

「まだ動かないほうがいい。生体擬装細胞が定着するまでにはまだ時間がかかる」

カプセルの中で身を起こそうとしたシンを止める。

「アンドロイドPX8、お前に指令を与える。生体擬装の定着後、指定された当該ポイントまで移動し、そこで擬似人格システムを再起動せよ。それまで、同システムは凍結する。なお、この指令を果たした後は完全自律行動へと移行。以後、お前に対する一切の命令は受諾されることは無い」

「父さん、何を……」

「許してくれ、私の過ちのために、お前をこんな化け物のような姿にしてしまった」

そう言って、慶斗がレバーを引く。金属音と共にシンを収めたカプセルが廃棄層へ向けて排出されていく。

このまま慶斗が改造を施したルートに従ってカプセルは下水に流れ、協力者の手を経て運び出される。

これで、自分のするべきことは全て終わった。


『こんなことは君に言うべきではなかったのだろう。死ぬと分かっているのならば、こんな秘密は墓の下まで持っていくべきだった。僕は卑怯者なのかもしれない。』


『ドクター・アヤセ!返事をしてください。ドクター!!』

聞き覚えのある声に慶斗は通信パネルを開いた。通信用のモニターに一人の少年の姿が現れる。

ナインツ・オブ・ナインス。自分の加わった超人製造計画によって生み出された十人の中の一人。そして、息子の親友でもある少年。

「やあ、ナインツ君。やられたよ。見てくれ、私の研究が全てパアだ」

用意していた言葉を並べる。慶斗の後ろに広がる光景に少年が息を呑むのが分かった。

「ご安心くださいドクター。テロリストは我々が退治しました。」

「……そうか」

答えた言葉は自分でも驚くほどに沈んでいた。

『ドクター?』

「ナインツ君、私は間違っていた。こんなことに関わるべきではなかったんだ」

慶斗の言葉に通信モニターの向こうでナインツが息を呑む。

『そんなことはありません!ドクターがいなければ、俺は一生ベッドの上から出られなかった。

この身体、この力を、人々を救うために使う。そう教えてくださったのはドクターではありませんか』

「そうだね。だけど、僕はそのために親友すらも犠牲にしてしまった。」

慶斗の手が机の引き出しにしまわれていた拳銃へと伸びる。

「ナインツ君、あの子を頼む。頼めるのは、きっと君だけだ」

サイボーグとなった息子は恐らくいつか政府に捕らえられるだろう。

そして、彼らの都合の良い英雄として働かされる。今、自分の目の前にいるナインツのように、自身の自由と生活を保障される代償に、敵対する国で多くの人を殺す。そんな風に使われるのだろう。

シンはそんな状況に嫌悪を抱いていた。何度と無く抗議し、ナインツたちサイボーグが普通に生きられる道は無いのかと慶斗に問いかけていた。

そんな息子が、その状況に耐えられるのだろうかと思う。

だけど、ナインツが、親友である彼が共にいるのならそれを受け入れられるのではないだろうか。

そうなってでも生きていて欲しいというのは、親の身勝手なエゴかもしれない。


『だが、あの子は真実を知らない。もし、彼が僕を殺したことであの子が彼を憎むようなことがあってはならない。僕の愚かなエゴが血を分けた親子の仲を裂くようなことになってしまっては』


――俺は……顔も見たことのない人よりは、父さんの方が大切だよ。

そう言ってくれた息子の笑顔を思い出す。それがどれほど後ろめたかったことか。

そして、どれほど嬉しかったか。だが、その言葉が不安をもかき立てる。

迷いを振り払い、拳銃をしっかりと掴みなおす。

今こそ、自らの手でけりをつけるべき時だ。

今までは恐ろしくて出来なかった。

妻を支えるため、子供たちを、親友の忘れ形見を育てるためだと言い訳を続けて、ずるずると生き長らえてきた。

ダンが甦った事を知った時、これが自分への断罪の時なのだと思った。

なぜ蘇ったのかはわからない。

だが、彼が自分に裁きを下すことを願っていた。

その願いは果たされた。恐らく、双方にとって最悪の形で。

彼は自らの手で我が子を殺し、自分は死なず、そして目の前で大切な息子を喪った。

ダンは囮となって死んだ。

シンを逃がすために、息子の存在を隠すために。

自分の命を脅かすものはもう誰もいない。だから、自分で裁かなければならないのだ。

別に死ななくとも良いのではないだろうか?

そんな言葉が心の中で生まれる。

生きて罪を償うという形での贖罪でも自分の罪は許されるのではないか。

自分を殺そうとしていたダンはもういない。

今までと同じように息子と暮らし、犠牲にした人々の分、他の人々を助けることが出来れば……

ここで死ぬことは、自分の犯した罪からの逃避ではないのか。

だが、その言葉を慶斗は振り払う。

そうやって自分は十八年間も生きてきた。

もう充分だろう。死ぬことへの恐れを、償いと言う言葉で誤魔化す様な生き方は。

そう、今こそ全てを、己の弱さを裁く時なのだ。

周囲に火が回った。ダンによって破壊されたデバイスから漏れた火花とオイルが引火し、研究室を紅く染め上げる。

だが、それによって死ぬことは許されない。あくまで自分の手でやらなければ……

震える手で銃口をこめかみに当てる。冷たい鉄の感触が、安全装置の外れるガチリという音が、自分の心臓を締め付ける。

そして、一瞬の静寂が訪れる。


『だから、君に真実を知っていて欲しい。もし彼が君の元に来たのなら。

そしてシンが彼を許せないと言うのならば、どうかあの子に伝えて欲しい。僕こそが罰を受けるべき人間だったのだと』


不意に意識が覚醒する。

シン・シモンズ=綾瀬はなぜ自分がそこにいるのか分からなかった。自分は家に帰っていたはずなのに。

記憶を手繰る。走るノイズ。それを振り払い、そして、自分の視界に写るものに気づいて愕然とした。

視界が、感覚が拡大している。

無数の情報が表示され、それが一瞬にして処理され、データとして提示される。

――許してくれ。お前をこんな化け物のような姿にしてしまった。

父の言葉が甦る。それをきっかけにシンは己の身に何が起こったのかを悟った。

「あいつが、父さんを!」

シンに残された記憶は断片的だ。

家に帰り、父を襲っている男を見つけたこと。その男に立ち向かい、撃たれたこと。

そして、父の手によって自分は機械の身体へと記憶と人格を移し変えられたこと。

それが全てだった。その間の空白の期間が抜け落ちていた。

いや、元から無いのだ。彼はその時、死んでいたのだから……。

電話が鳴る。シンの服のポケットに入っていた携帯電話。

もともと持っていた。父がそのまま持たせていたもの。

「ナインツか?」

『シン、落ち着いて聞いてくれ。ドクターが亡くなられた』

「……そうか。襲ったのはサイボーグだな?コートを着た……」

『知っているのか?』

「俺も襲われたからな。父さんが、助けてくれた」

『犯人は倒したが、ドクターは……すまない。助けることが出来なかった』

「……ナインツ。ひとつ、聞いてもいいか?」

『何だ?』

「俺は……いや、父さんを……恨んでいるか?」

『いや、ドクターは俺にこの身体を与えてくれた。本当に感謝してるよ』

そうか、と呟いて電話を切る。喉元まで出掛かった言葉は最後まで言えなかった。

自分も彼と同じサイボーグになった。

だが、それを知らせるのは躊躇われた。彼が改造された身体ゆえに政府の監視を受ける存在となり、その命令に従わなければならなくなっているからだ。

その不満を、嘆きを聞かされたシンには、彼に真実を告げることは出来なかった。

告げれば、自分もまた彼と同じになる。正義の名の下に人殺しをさせられる存在に……。

(俺は……卑怯だ)

ナインツの親友を自負していたのに、彼と同じ境遇に立つことが耐えられない。

多分、ナインツは話せばそんな自分の思いを理解してくれるはずだ。

管理され、命じられ、望まない任務にも従事させられる。

正義のために戦うことを誓っても、ナインツと管理者の正義は違う。

だから、ナインツは自分が改造されたことを受け入れはしても、命令を全て受け入れることは出来ていなかった。

シンの身に起きたことを知れば、彼も脱出を勧めるだろう。

だが、それでも伝えることは出来ない。

彼は、常に監視されているのだから。

拳を壁に叩きつける。

人の腕の様に擬装された金属骨格の機械の腕が壁を粉砕し、粉々になった破片を飛び散らせる。

かつての自分からは想像も出来ないような圧倒的な力だ。

祖父から学んだボクシングの技術では、コンクリートの壁を壊すことなどできはしない。

父の死を、友への裏切りを、この憤りを向ける先が欲しい。

もし、もしもまだ奴が生きていたと言うのなら、自分がこの手で止めを刺してやったものを……

月の光すらない夜の路地で、シン・シモンズは声にならない叫びを上げた。


『さようなら春奈。君は、僕にとっては過ぎた人だった。君といられて幸せだった。だが、僕は咎人だ。もう、これ以上君の側にいることは許されない』


――契約だ

その言葉に、ダン・シモンズは顔を上げた。

彼は闇の中にいる。一寸先も見えない暗闇の中、自分の手足すら見ることの出来ない黒の世界。

その中で、それだけがはっきりと見ることが出来た。

――貴様は我と契約した。貴様を陥れた者ども、そしてあの親子の魂を我に捧げると。あの男の目の前で、息子を殺して見せると……

それが口を開き、言葉を紡ぐ。纏わりつく様な臭気、くぐもった声。

「あれは私の子だった。奴の子ではない」

――知ったことか。契約は果たされていない

それが笑う。耳まで裂けた口が開き、真っ赤な舌がチロチロと伸びる。

「全て知っていたのだな!その上で私を騙したのだ。この悪魔め!」

――そうとも、私は悪魔だ。それと知りつつ契約を交わしたのは誰だ?

自分だ。他ならぬ自分がそれを受け入れた。

自分を陥れた奴らに復讐するために。

そのために彼は蘇ったのだから。

――ではこうしよう。あの男には貴様の女との間に儲けた娘がいる。双子だ。二人分の魂ならば、貴様の息子と、兄の魂と釣り合おう

「ふざけるな!」

――何が不満だ?貴様を裏切った男と女の子供だぞ?何を躊躇うことがある?

「もう、貴様の言葉には乗らん!俺を侮るな!!」

相手は悪魔だ。虚偽を語り、人を惑わせる化け物だ。

その口車に乗せられて、自分はこの手で我が子を殺すことになったのではないか。

――愚かな。忘れたか、お前はすでに我に魂を捧げたという事を……

「何を……!」

痺れる様に手足の感覚が抜けていく。思い通りにならない身体に歯噛みした時、彼の意識の中に何か別のものが入り込んだ気がした。そして、自分の口が勝手に動き出す。

「次の機会を与えよう。今度こそ、あの兄妹の魂を捧げるのだ」

再びダンの口が開き、そこから呪詛にも似た言葉が漏れる。

生き物の気配一つ無い夜の闇の中で、無数のがらくたのゴミの中で、再び生命を吹き込まれた機械の身体が動き出した。


『シンを頼む。あの子は僕にとって罪の象徴であり、僕に残されたダンへの最後の信義の証で、そして僕の生きてきた意味の全てだった』

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