第7節【夢――サーシャとの邂逅①】

 こんな夢を見た。

 腕組みをして妄想に耽っていると目の前に女性が現れる。

 女の身体は比喩ではなく淡く光っており、胸元の開いた白いドレスを着ている。

「初めまして」女は話し出す。「私はサーシャ。天界のから聞いてると思うけど、この世界の管理人さ」

 そう言うと女――サーシャは紅いクッションの付いた高価そうな椅子を出現させ、そこに座った。

「まぁ、管理人と言っても便宜上なのだけどね」

「え」や「は」など疑問符を口に出すが、実際には声は出ていない。

 よってこの世界で音を発しているのはサーシャの声だけ。天界に似た世界である。

「君にはこの世界のことを話さなくてはいけないと思ってここに来たのだ」そう言うとサーシャは足を組み直す。

「この世界は所謂いわゆる巨大な実験施設。元々は世界五分前仮説の検証をする為に作られた世界。そうだ、世界五分前仮説と言うのは――」

 彼女が説明を始める。が、既に世界五分前仮説と言うものは聞いた事があった。イギリスの哲学者バートランド=ラッセルによって提唱された“世界が実は五分前に始まったのではないか”という仮説だ。そしてその仮説は反論をすることが出来ない。人間の存在は、記憶は、そのようにして不安定なのだ。

 SFが好きな者なら知っている者も多いだろう。

「そう、知っていたか。なら話は早い」

 言葉を発した覚えはない為、やはり僕の考えを読み取ったのだろう。

 サーシャは椅子から立ち上がって、続ける。

「君はこの世界に一六歳の状態で現れた。それが世界の常識に反している事は分かるよね。通常ならば父親と母親がいて生まれるはずの命が、それを介さずに突然歳を取った状態で世界に現れる事はあるのか。実は既にそれは、最初に来た女の子であり得るという事が分かっている。死した人間を精神状態のままで別の世界に入れることでそれは実現するのだ」

 そこまで話すとサーシャはこちらに来て、まるで眼の中を覗くように顔を近づけてきた。

「おや、検証が終わったのなら僕が来た意味は無いじゃないかと言う顔をしているね。一応意味はあるのだが…残念ながら、僕にはこの世界に入れる人間を選べない。文句を言うならもっと偉い奴に言ってくれ。まぁ、そいつと話せるかはわからないが」

 サーシャが再び椅子に腰掛ける。

「今回の検証はその身を現実世界に戻せるかと言うものだ。ただ、」彼女が意地の悪い笑みを浮かべる。「そのまま返すのもつまらないだろう?だから、君にゲームをして貰おうと思うんだ。あぁ、安心してくれ。君のような少年が大好きなRPGをリアルでするだけさ。何も難しい事はないだろう?一番悪い奴を倒したらクリアだ。出来るよね?」

 サーシャが挑発的な目を向けてくる。

 断る事は出来た筈だった。

 ――しかし、僕は首を振らなかった。

「分かってくれたか。そう、先程君達が打ち立てた方針とあまり変わらない。この世界に現れた魔王たる存在を消滅させるだけさ」

 現実世界に帰りたくないという思い以上にそのゲームを面白いと思ってしまった。故に、僕はゲームクリアを目指す。

 商品は後で変えて貰えば良い。

「そうだ、口を聞ける様にしてあげよう」突然のサーシャの提案、その真意は。「いくつか質問したい事があるんじゃないかい。――君だけ、特別だよ」

 掠れた自分の声がする。それはその場に慣れる様に段々と本調子に戻って行く。

 そしてこの世界に来た時から思っていた事を質問する。

「ここは地獄と呼ばれているのに、何も苦痛がないじゃないか。どうしてだ」

「君の思う地獄は人々の馬鹿な想像だが――おや、苦しみの続く地獄の方が良かったかな」そう言ってサーシャは悪い笑みを浮かべる。

「そういう事じゃない。ただ、地獄と言う割には、そう、美しすぎる」

「そうだろう、天国の者も観光に来るくらいだ。時々夢を見る現実世界の者も介入してくる。現実世界の者が信じている天国はここだ。でも、ここは地獄だ」サーシャが地面を指差す。見ると僕が眠っているはずの世界が見える。そしてサーシャは続ける。

「その証拠に、君は今も苦しんでいるだろう」

 全く意味が分からなかった。どこも痛く無ければ、痒くも無い。舌だって付いたままだ。確かに下級モンスターだと思っていたスライムにはボコボコにされたが、死ぬほどではなかった。

「生きている事自体が、君にとっては苦痛なのでは無いかな?」

 そう言われ、ハッとした。

「君は消えたくて死んだのに無理矢理生かされているんだ。相当な苦痛だろう?」

 この間の違和感にも通ずる。恐らく僕が避けていた事をやらされているという感覚。それは苦しみに他ならない。

 苦しみを苦しみと気付けていなかった。いや、それとも――。

「時間がない様だから、君がいつか質問するであろうもう一つの質問の回答もするよ」

 サーシャが遠ざかって行く。遠くに行く様な感じでは無く、そのまま薄くなって行く様な感じだ。

「君がこの世界に選ばれた理由は僕にも分からない。残念だがね」

 まるで僕がこの世界に選ばれたかのような言い方だなと思った。ただ、世界が人を選ぶなどあるものか。恐らく、僕がこの世界に(行く事が)選ばれた理由という事だろう。

「待て!」

 まだ聞くべきことがあった。先程のサーシャの言と反するあの天使の言葉。

「僕は死んだと、転生を待つようにと言われた!現実世界に戻すなんて出来るのか!」

 あぁ、と言ってサーシャが立ち止まる。

「君はそう言われたのか。まぁ、あの天使は初心者だから仕方ない。ってやつさ」

 そういうとサーシャは再び歩き出す。

 マニュアル通り――どこまでがそうだと言うのだ。

 いつの間にか完全にサーシャが見えなくなっていた。

「さよなら代わりに助言をあげよう」遠くでサーシャの声が響く。「全てを疑え」


 ――そして眼が覚める。朝だ。

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