第26話 宗像三女神の心を突き動かしたのは

宗像三女神むなかたさんじょしん…?」

その場にいる全員の視線が、私の目の前にいる人物へ注がれる中、不意に裕美がその名を口にする。

彼女が口にした宗像三女神むなかたさんじょしんとは、今目の前に立っていて厳島神社ここの御祭神でもある市杵島姫命いちきしまひめのみこと田心姫命たごりひめのみこと湍津姫命たぎつひめのみことの三柱の女神を指す。

「天照大神の娘達…ですか。一体、わたしめに何用でしょうか?」

腕を抑え苦悶の表情を浮かべながら、テンマは彼女達に問いかける。

「“何用”とは、ご挨拶だな」

それを聞いた田心姫命たごりひめのみことは、鼻で笑うような口調で答える。

「貴様が宮島ここに参った折、“ある者を待つためにこの空間を一時的に貸してほしい”と申しておったが…。どうやら、黙って見過ごせない状況になりそうなので、我々が降り立ったのじゃ」

堂々として口調で、市杵島姫命いちきしまひめのみことはテンマに告げる。

「…でも何故、神である宗像三女神あんたらが、俺らを助けてくれたんだ?」

事態は呑み込めたものの、その真意を知りたがったはじめは、裕美の御朱印帳を握りしめながら彼女達に尋ねる。

その台詞ことばを聞いた女神達は、一呼吸置いてから話し出す。

「確かに、本来なら下等な人間共の前に姿を現すのは稀でありほとんどない。…だが…」

最初に話し出した湍津姫命たぎつひめのみことは、言葉を紡ぎながら地面に立ち尽くす私を見下ろす。

「その娘が拝殿におった際に、娘の霊力と心意気に我らも影響された故…であろうな」

女神が私を見下ろしながら、話を続ける。

私は真剣な表情を浮かべたまま、その場で立ち尽くしていた。


時は遡り、私が本来の厳島神社でお参りをしていた頃―――――――――――――

「わっ…!?」

神社巡りの本にある表示を確認した後、眩しい光が視界に入り込んだ事で、私は反射的に瞳を閉じる。

「…え…!!?」

光が消え、恐る恐る閉じていた瞳を開いた直後、私は目を丸くして驚いた。

そこには、衣裳姿きぬもすがたのような装束を身に着けた、3人の女性が私の目の前に立っていたからである。

「今、そこの拝殿で祈りを捧げた魔導書の持ち主は…そなたか?」

女性の内の一人・田心姫命たごりひめのみことが、私に問いかける。

 神社巡りの本を“魔導書”と呼ぶという事は、神様か何か…?

私は、疑心暗鬼になりながらも、その場で首を縦に頷いた。

「あの…貴方達は…?」

「我らは、この厳島神社では人間共に祀られておる海の神じゃ。近年では“弁天”と人の子は呼んでおるだろう」

「はぁ…」

私はこの時、正しくは理解できていなかったが、この厳島神社で祀られている女神様である事だけは、その場で唐突に理解する事ができた。

「もしやと思うたが…そなた、テンマと名乗る餓鬼の遣いでこの場におるようだが、相違ないか?」

「テンマを、知っているんですか!?」

湍津姫命たぎつひめのみことが述べた台詞ことばに対し、私は食い入るように彼女を見上げる。

「彼の者は、気を失った娘を連れた状態で、我らの元に現れた。そして、“ある人の子を待ち構えるために、貴女方の領域を一時的に借りたい”と申してきたのだ」

「裕美を連れた状態で…」

「見るからに怪しい雰囲気ではあったが、この宮島を害するつもりはないと踏んで、それを許可した。だが…」

食いついてきた私に対し、市杵島姫命いちきしまひめのみこと湍津姫命たぎつひめのみことが口々に話していく。

「お主が持つその魔導書が、“魔力を蓄えて主の妖力に変換する書物”と気が付く事で、奴が第六天魔王である事を悟ったのじゃ」

田心姫命たごりひめのみことは、少し悔しそうな表情を浮かべながら、テンマの事を話していた。

「“魔力を蓄えて主の妖力に変換する書物”…」

一方、私はテンマの正体は知っていたものの、この神社巡りの本における新たな情報に対し、その場で考え込んでいた。

その後、私が何故この本を手にしてテンマと行動を共にしていたのか―――――――――宗像三女神に訊かれたという事もあり、これまでの経緯を語る。

「成程…。ならば、奴がこれ以上強大にならぬよう、我らで手を打つのも一興かもしれんな」

話を聞き終えた後、田心姫命たごりひめのみことが腕を組んで考え事をしながら、そう口にする。

「姉様!?」

その台詞ことばを聞いた他の女神達は、田心姫命たごりひめのみことに視線を向けながら驚いていた。

「人の子が如何なる道を辿って生きようが死のうが、我らには関係のない事だ。だが…我らの領分にて、一人の善良なる娘が邪な第六天魔王やつの餌食になる行為をされるのは、やはり気にくわぬ。…かといって、このまま放置をすれば、より“奴”は強大な存在となり、誰の手にも負えなくなるであろう」

「では…。我らや他の神々の仇になる前に、彼の者を処分すると…?」

「…うむ」

田心姫命たごりひめのみことを中心に、三女神達はその場でどうするのかを話していた。

 もしかして、これは…上手くいけば、彼女達が力を貸してくれるという事…!?

理由はどうあれ、宗像三女神がテンマの存在を快く思っていない事だけは、私にも理解できていたのである。

「私は…」

唾をゴクリと呑み込んだ後、私は緊張した声音で口を開く。

その声を耳にした女神達は話を一度中断し、目下にいる私を見下ろす。

「一人では何もできない、脆弱な人間の一人です。ですが…この先、自分や死んだ幼馴染と同じような想いを他の人にさせたくない…。同時に、この因果を断ち切りたいと考えています。…もし、皆様のお力添えを戴けるのであれば、私は何だってやります。…お力を借りる事はできないでしょうか…お願いします!!」

私は堂々とした声で述べ、女神達に向けて深いお辞儀をする。

頭を下げた状態で静止する私を、宗像三女神達は見下ろしていた。数秒間とはいえ、私達の間で沈黙が続く。

「…面をあげよ」

その沈黙を最初に破ったのが、最初に意見を述べた田心姫命たごりひめのみことだった。

私が顔を上げると―――――――――――彼女達の厳格な表情が、少し和らいでいるように見えたのである。

「そなたの心意気、しかと受け止めたぞ」

「我らとしても、この美しき宮島を、邪な輩に穢されるのだけは我慢ならんのでな。…力を貸そう」

「あ…ありがとうございます…!!」

市杵島姫命いちきしまひめのみこと湍津姫命たぎつひめのみことが述べた台詞ことばを聞いた私も、緊張の糸がほぐれたのか、思わず笑みを浮かべる。

そんなやり取りが、お参り中に起きていたのであった。



「人の子は、卑しく愚かな行為を繰り返す生物…。だが、人の子にも強き霊力…そして、真に真っ直ぐな心根を持つ者がいる事を、我々は知っている」

「な…何を…!?」

田心姫命たごりひめのみことが話ながら、手で何かの構えをとる姿勢になり、テンマは確実に戸惑っていた。

「さぁ、娘よ。“これ”なれば、確実に魔導書を滅せられるであろう」

市杵島姫命いちきしまひめのみこと様…」

その後、私の隣に舞い降りてきた市杵島姫命いちきしまひめのみことが、私に対して何かを差し出す。

その手に浮いていたのは、一筋の炎―――――――――――――その正体は、“神殺し”を可能とする迦具土神かぐつちのかみが持つ炎だった。

外川とがわ…頼むぜ…!」

一方で、成り行きを見守っていた健次郎が、裕美の肩を抱きながら一言呟いていた。

「美沙様…まさか…!!」

「テンマ…。これまで、自分の復活が目的とはいえ…。色んな神社ばしょを一緒に巡れたのは、正直楽しかったよ。でも…もう、お別れしなきゃだよね」

神社巡りの本を片手に持った私は、怒りや負の感情もない、むしろ穏やかな表情を浮かべながらテンマを一瞥する。

「ぐっ…!!」

それを見たテンマは私に襲い掛かろうとしたが、自身の身体が動かない事を悟る。

「流石、海の神…。海が近い厳島神社ここなら、テンマの力すら抑え込めるってか…!」

それが湍津姫命たぎつひめのみことの仕業だと気が付いたはじめが、「頼もしいぜ」と言いたげな表情を浮かべていた。


「…バイバイ」


私はただ一言、別れの台詞ことばを告げるのと同時に、神社巡りの本を炎の中に放り込む。

一度だけそらを舞った本が炎の中にくべられ、迦具土神かぐつちのかみが持つそれが、本を少しずつ炙りだしていく。

「グ…ア…」

時間の経過と共に、テンマは苦悶の声をあげる。

「ギャァァァァァァ!!!」

そして炎が本全体に広がるのと同時に、彼は悲鳴をあげたのだ。

あまりの大きな声――――――――もとい、騒音に近い音に対し、友人達みんなは思わず耳を塞いでいた。一方の私は、“全てを見届ける”という意味も込めて、敢えて耳を塞いだりはしなかった。また、そんな音を物ともしない女神達も、その場の成り行きを見守る。

「ははは…。斯様な小娘によって、この俺様がやられるとは…!しかしな、人間ども!!」

本と同じようにして、炎に焼かれていくテンマの表情は完全に狂気にまみれ本性をさらけ出した悪魔そのものだった。

「人の心に“邪念”が存在する限り…わたしは…俺様は、何度だって復活する…!!復活するんだよぉぉぉ!!」

声をあげて叫ぶテンマの視線は、私に向いていた。

それを目にした私は、むしろ哀し気な表情を浮かべながら、口を開く。

「…それは、嫌でもよくわかっている、テンマ。私だって、これまで生きてきて色んな人間に出逢ってきた。最初から善良な人間なんて、どこにもいない。…でも、人は…自分の邪で邪悪な部分を持ちながらも、正しく在ろうと必死にあがきながらも前進する。それができるのも人間なのだと…私は知っているわ…!」

強い意思を持った表情を浮かべながら、私はテンマへと断言する。

それを見つめていたテンマは、既に顔面にも炎が及んでいた。

「…きれいごと…ですね…」

少し落ち着きを見せたテンマの表情は、少しだけ穏やかになっていた。

「…海の彼方で、果てよ」

「あ…!!」

テンマの最期の声を聴いた直後、宗像三女神が同時に今の台詞ことばを口にする。

すると、燃え尽きる直前の本とテンマの身体が、瞬く間に水の膜らしき物体ものに包まれていく。

「…っ…!!」

その後、目の前で起きた事に対し、私は友人達みんなは、目を丸くして驚く。

本とテンマを包んだ水の膜はその後、健次郎や裕美の隣を高速で通り抜け、一気に厳島神社の大鳥居を通過し―――――――――海の彼方へと消えたのである。

「これで、ようやく…終わったんだね…」

私は、本とテンマの存在が海の中へ消滅したのを見届けた後、今の台詞ことばを述べるのであった。


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