第25話 最後のお参り

 「…本当に、戻ってこれてる…」

 テンマがいる異空間内にあった紫の霧が立ち込めるトンネルを抜けると、そこは本来の厳島神社境内だった。

 ほんの一瞬で周囲の空気が変わったため、私はその場でボンヤリと立ち尽くしていたのである。

  そうだ、早くお参りを済ませなくては…!

 我に返った私は、周囲の状況を観察する。

 テンマが言っていた通り、他の観光客達は左側の通路から右へと歩いている。そのまま外へ出る場合はこの流れに乗れば良いが、拝殿にてお参りをしなくてはいけない私は、少しだけその波に逆らうように進まなくてはならない。立ち尽くしていた場所から左側へ進むと、祓殿や拝殿が視界に入ってくる。

 三棟造みつむねづくりをしている拝殿にたどり着いた後、私は財布からお賽銭を取り出して、賽銭箱に入れる。

  直子…絶対に友人達みんなを助け出すから…どうか、こんな私だけど力を貸して…!

 私は両手を合わせて、死んだ幼馴染の事を思いながら、祈るように瞳を閉じていた。数秒後―――――――ゆっくりと閉じた瞼を開き、合わせていた手を元に戻す。

 そうして拝殿から一歩ずつゆっくりと後退し、再び境内の回廊に戻る。

 「本が…」

 リュックにしまっていた神社巡りの本を取り出すと、いつものように淡い水色の光を放っていた。

 しかし、これまで訪れていた神社ばしょで見る光よりも、更に強く光っているように感じられる。

  やっぱり、最後だといつもより違う…のかな…?

 私はつばをゴクリと飲み込み、緊張した面持ちで神社巡りの本に掲載されている厳島神社ここのページを恐る恐る開く。開くとやはり、厳島神社の写真と説明文がしっかりと載っていた。

 『これで、やっと…』

 「テンマ…!?」

 ページを開いた直後、自分の脳裏にテンマらしき声が響く。

 「わっ…!?」

 一方、拝殿のある方角より突如、眩しい光が入り込んでくる。

 それに気がついた私は、反射的に瞳を閉じたのであった。しかし、その光で目を閉じている間、思わぬ出来事に私が遭遇する事となる。

 「…え…!!?」

 

 

 「おかえりなさいませ、美沙様」

 数分後――――――――――テンマからの案内によって、再び私は異空間に戻ってきていた。

 いつものポーカーフェイスを浮かべたテンマの後ろには、その場で立ったまま動けない健次郎やはじめ。そして、結界の中で捕らえられている裕美の姿があった。

 「美沙ちゃん…」

 「外川とがわ…」

 私の姿を見た裕美や男性陣二人が、心配そうな表情かおで見守る。

 真剣な表情をして立つ私の手には、水色の光を放ったままの神社巡りの本が握られていた。

 「お疲れ様でした、美沙様。貴女様のおかげでやっと、わたしは封印から解き放たれ、本来の己として自由になった事となります。真に、ありがとうございました」

 テンマは、私に大して一礼をしながら、顔をゆっくりとあげる。

 その瞳は私というよりはむしろ、手に持っている神社巡りの本を見ているようであった。

 「…これで、全ての神社巡りが終了し、あんたは自由の身…。やるべき事をやったのだから、早く皆を解放しなさい」

 私は、相手を威嚇するような声音で今の台詞ことばを述べる。

 当然だがテンマは、その姿を見ても一ミリも臆していなかった。

 「…畏まりました。その前に…美沙様。本に挟んであった、形代を出していただいてもよろしいですか?」

 「…何をするつもり?」

 「改めて、自分が自由になれたのかを確認するためですよ」

 「……解ったわ」

 テンマが何をしようとしているのかは解らなかったが、ひとまず私は彼に従う事にした。

 本の表紙裏に挟んであった、人形のような形をした形代を取り出し、テンマに見せる。

 「燃えた…!?」

 その後起きた光景を目の当たりにした健次郎が、目を丸くして驚いていた。

 私がテンマに形代を見せた直後、赤い炎を発して燃えてしまう。幸い、私が彼に手渡した直後でもあったため、炎によって自分が火傷を負う事はなかったのである。

 「あぁ…やっと、付喪神という立場から解放されましたよ…!」

 「だから、早い所…」

 「…まぁ、そう焦らないでくださいよ。この異空間を出るにしろ、色々と順序を辿りながら進めなくては…。まずは…」

 私が友人達みんなを解放してほしいと言おうとした刹那、テンマによって遮られてしまう。

 しかし、これ以上私に急かされるのも好ましくないのか、その場でテンマは指と指をこすり合わせて音を一回だけ鳴らす。

 「お…!?」

 「動ける…みたいだな…」

 音が響いた直後、健次郎やはじめの声が聞こえてくる。

 振り向いてみると、そこには足を自由に動かす二人の姿があった。

  良かった…これで、健次郎もはじめも動ける…!

 その姿を見た私は、ひとまず二人を解放された事で、少しだけ安堵したのである。

 

 「…さて。順に則り、まずはその餓鬼共を解放致しました。次のプロセスへ移りましょうか」

 「次のプロセス…?」

 私達に対して拍手をしながら、テンマが話し出す。

 普段は彼が言わなそうな単語ことばに対し、私は首を傾げながら彼を見上げた。

 「東海林しょうじ様を解放するにあたっての、プロセスですよ。わたしはね、美沙様。元々用心深い性分でして…」

 「…で、今度は何をさせる気だ?」

 不気味な笑みを放ちながら話すテンマに対し、はじめが物凄く低い声で問いかける。

 そんなはじめの顔を一瞥した後、テンマは会話を続ける。

 「美沙様には先程、”本来の回答”をして戴きましたが…。例えば、美沙様がこの先不慮の事故に遭われて命を落とされたとします。その際、わたしとの契約が確実に遂行されるように、”保険をかけておきたいのですよ」

 「保険…?」

 単語の意味は知っていたとしても、そのために彼が何をするつもりなのかを私はこの時に考えていた。

 「…では、美沙様。こちらへ、おいでになってください」

 「…っ…!?」

 テンマが一言発した後、私は自身の異変に気が付く。

  何これ…。身体が、勝手に…!?

 テンマと目が合った直後、足が自らの意思と関係なしに勝手に動き出したのだ。それに対して、私は驚いていた。

 「一体、何をするつもり…!?」

 一歩ずつ悪魔テンマに近づいていく私の姿を、友人達みんなは見守る。

 その中でも、一番距離が離れた場所にいる裕美は、思わず心の声を口に出していた。そうして勝手に歩き出した私の足は、テンマの目の前にたどり着くとその場で立ち止まる。

 「彼らへの見せしめと…貴女の死後、”魂がわたしの元へ必ずたどり着く”ためのおまじないみたいな事をさせて戴きます」

 「え…」

 小声で呟く彼の手は、私の顎に触れて持ち上げていた。

 テンマの顔が徐々に近づく事によって、私は彼が何をしようとしているかに気が付く。唇と唇が徐々に近づき、接触しようとした時、テンマはその瞳を一度閉じていた。

 

 「今よ!!!」

 唇が重なる直前、私はその場で叫ぶ。

 「何!?」

 私の声を聞いたテンマは、すぐに閉じていた瞳を開く。

 彼の視線の先には、裕美の御朱印帳を手にしたはじめの姿があった。

 「…頼むぜ!!」

 はじめはそう言い放つのと同時に、御朱印帳を開く。

 「ぐっ!?」

 御朱印帳それから突然光が放たれ、テンマによる苦悶の声が聞こえる。

 眩しいだけならば瞬時に瞳を閉じるだけで終わるが、彼から発せられた声は、どこか痛みを伴うような声のように響いていた。

 「結界が…!?」

 また、光が飛んでいった方角にテンマが振り向くと、複数の光が裕美の周囲を覆っている結界を破ったのである。

 同時に、硝子が割れたような音が響いていた。

 「東海林しょうじ…!!」

 「岡部君…!!」

 目の前で起きた出来事に対して驚いている裕美の前には、健次郎の姿があった。

 彼は、裕美の腕を縛っている縄をほどき始める。それを目の当たりにしたテンマの表情は、焦りと憤りがにじみ出ていた。

 「美沙様…一体、どういうおつもりでしょうか!?」

 私へ向きなおしたテンマは、口調こそいつもどおりだが、その表情は明らかに動揺していた。

 動揺というよりは、憤りを必死で抑えていたのかもしれない。私は、動けない足でその場に立ったまま、深呼吸をしてから口を開く。

 「最初に、あんたに魂を差し出す選択をしたように見せたのは、こうやって接近して、用心深いあんたの注意を完全に私へ向かせるための芝居だったのよ。とはいえ、私一人では、とても成しえなかった事だけど…」

 「…成程。東海林しょうじ様が所有されていた御朱印帳に宿る分霊共の協力を仰いだと…」

 私の話を聞いたテンマは、一度その場で俯いてしまう。

 台詞ことばから察するに、どのようにして自らが張った結界を破ったのかが理解できたのだろう。数秒ほど沈黙が続いた後、テンマは閉じていた口を開く。

 「まぁ、事を成してから人質を解放すれば、わたしとしては確実と思ったのですが、これは順序が逆になったという事で、甘んじて認めましょう。ただし…」

 「…っ…!!」

 突然テンマは、私の顎を強く掴む。

 その力があまりに強かったため、私は苦悶の声をあげる。

 「貴女の意思とは関係なしに、わたしはその身を操る事が可能な事がよくわかったでしょう!?どんなにその意思で抗おうとしても、身体の自由をわたしが支配している限り、どうにでもなるのですよ!!」

 「やめっ…!!」

 目の前で叫ぶテンマの表情かおには、狂気が宿っていた。

 自分の思い通りに事が進まずに痺れを切らしたのか、そこには怒りの念も感じられる。彼の言う通り、自分の意思では「こうはなりたくない」と思っていても、現在の私の身体は、テンマに支配されているようなものだ。

 私の顔を引き寄せたテンマは、もう片方の手で私の身体に何かをするために触れようとしていた。しかし―――――――――――――

 『そろそろ、終いにしてもらおうか』

 突然、ここにはいない人物による声が響く。

 その声は空間中に響いていたため、裕美達もその声に気が付いたようだった。

 「ぐっ!!」

 声が響いた後、テンマが突然苦悶の声をあげる。

  動ける…!!

 彼の声が響いた後、私は自分の身体が自身の意思で動かせるようになった事を悟る。

 「貴様らは…!!」

 その後、私の目の前に出現した光を目の当たりにしたテンマは、目を丸くして驚く。

 テンマからの拘束を解き、私の目の前に光と共に現れたのは―――――――――――この厳島神社の御祭神である女神、市杵島姫命いちきしまひめのみこと田心姫命たごりひめのみこと湍津姫命たぎつひめのみことであった。

 

 

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