冬_幸せは【2】
「ねえ・・・そろそろ先生に聞いた方がいいかも」
絶望的な表情で今日も僕らの教室にいる彩子さん。
昨日に続き今日もさくらさんは学校に来ていない。電話のこともあったからか彩子さんは今にも先生に飛びついて行きそうだ。
先生に聞いたところで、彼らが正確に生徒の家庭のことを把握しているとは思えない。結局上辺だけだ。いいお父さんだ、とか。いいご家族だ、とか。こっちが本気で話したって取り合わないだろう。だからこそ言えない。本当のことを話す価値はない。日々、彼女の様子を見ていても何も感じられないような人たちには。
「もし、明日も来なかったら?明日のその次も・・・その次も来なかったら?」
「落ち着いて、彩子さん」
不安はどんどん大きくなって、さくらさんに溜まる黒いものみたいに、消えることなく積み重なっていく。
誰だっておかしくなる。いついなくなってしまうかわからない人間と隣り合わせで生活して、いつも怯えている。そんなの常に脅迫されているようなものだ。
「・・・ごめん」
「ううん。僕も不安だし、彩子さんのお陰で逆に冷静になれるよ」
「まさかのプラマイゼロ」
珍しく賢い言葉を使った俊くんは放っておく。俊くんを見ると、外をぼーっと見ていて、不意にがたっと立ち上がった。
何を見たのだろうと窓際に向かう。
「なああれ・・・あいつの親じゃねーか?」
「あいつって・・・」
俊くんの横に並んで外を見ると、彼の言っていた”あいつ”が誰かわかった。すぐに彩子さんも横に並ぶ。
「あの人・・・」
「何の用だ?てか、知ってんだろ」
俊くんが話し終える前に僕は走り出していた。
あの人がここに来るってことは彼女に何かあったってことだ。今彼女のことを知ってるのは、先生なんかよりあの人に決まってる。
「待って!野中!」
後ろから彩子さんが追いかけてくる。足音で、その後ろに俊くんもいることがわかる。ただ振り向くことはできない。
あの人が行くとしたらどこだ。
職員室、校長室、事務室・・・。
「春太、職員室だ」
俊くんの咄嗟の声を聴いて、ブレーキをかけて止まる。
ばん!と扉を開けると、自分に視線が注目するのがわかった。と、同時に彼女のクラスの担任が発した言葉も重なった。
「え?自殺・・・?」
「は?」
自殺って・・・。
「どういうこと?自殺って?」
彩子さんも聞いていて、明らかに動揺しているのがわかった。僕はその場に立ち尽くして、歩く体力を失ったように歩けなかった。
彩子さんが彼に近付いて掴みかかるのが見えた。
「ねえ!何!?・・・何なの、自殺って?」
「倉坂」
俊くんが彼女の腕を掴んで彼から離させる。目の焦点は定まっていなくて、今にも倒れそうだった。僕が今とるべき行動は何だろう。
彼の僕たちを見る目はまるで娘の友達を見るようなものではなかった。思った通りだった。結局彼は彼女を近くで見てきた友達より、愛する家族の言葉を信じたのだ。僕たちを嘘つきのように、敵だと思って。
自分につかみかかった彩子さんには目もくれず、彼は先生に向きなおった。
「娘は、部屋で首を吊ってなくなっていたんです・・・妻が見つけ、それはひどく落ち込んでいて、倒れそうなほどにやつれて・・・」
彼は涙を流し、片手で顔を覆い、我々は被害者でそれ以外は悪だとでも言うように先生を睨んだ。
「学校に問題はなかったんですか?娘が命を絶った理由は、ここにあるんじゃないんですか?」
何を言ってるんだこの人は。
まだわからないのか、まだ、それでもまだ、彼女の本心に気付いてあげられないのか・・・。
「あんたは!」
やっと動いた足で彼に近付く。
「わからなかったのか?僕たちの言葉を聞かなかった。あの傷は、母親につけられたもので、そのことを彼女は隠して・・・だから僕たちがあんたに伝えて。それであんたはどうした?仕事に戻った?あんたは今まで彼女の何を見て来たんだよ!彼女のいる未来を・・・あんたは見てなかったんだ・・・」
頬を熱いものが流れ床に落ちていく。彼女は何のために命をなくしたのか、意味を問いかける。
「何を言ってるんだ!・・・お前らがやったんじゃないか?」
「は?」
「何言ってんのあんた!」
彩子さんが涙を流しながら掴みかかろうとする。
「お言葉ですが、」
女の人の声が響いてみんなが動きを止めた。それは入り口から聞こえるもので、そこにはいつかの保健の先生がいた。
あの人は何かを知っているのかもしれない。
「娘さんの痣・・・あれはあなたの奥さんによるものです。本人からそう聞きました。子どもの心の叫びも聞こうとしないでうちの生徒のことを疑うのはやめてもらえますか」
涙で前が見えなくなって、声が遠くなる。
もう君に会えないなんて信じられないんだ、さくらさん。
実感が湧いていないんだよ。僕にはまだ。
明日になったら君が隣で笑ってくれているかもしれない。
明日になったら、また屋上に現れるかもしれない。
明日になったら・・・
もう、君はいないんだね。
目を覚ました時には僕は保健室にいて、職員室で倒れたことを思い出した。睡眠不足だった。そういえば寝ていなかった。彼女のことが不安で、起きていないとどこかに行ってしまいそうで。
僕の寝るベッドの隣に並ぶ2つの椅子には2人が座っていた。
彩子さんは泣き腫らした目を擦っていて、俊くんはただ黙って僕の様子を見ていたようで目が合った。
「ごめんね」
無理に笑おうとすると目が痛んだ。僕も泣きすぎたらしい。
「さくらちゃん・・・」
彩子さんのその言葉でまた涙が零れた。
泣かないって言っていたのにな。
「もう、いないんだ・・・そっか」
わかっているようでわかっていない僕のとぼけた声は、風に呑まれてどこかに消えていった。
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