冬_幸せは【1】



 前に休んだ時も、今回も。さくらさんからは連絡が来ない。

 屋上前のスペースに集まった僕らは、特に何も行動できず、再び登校してくる彼女を待つしかなかった。

「前は3日だったし・・・今回はまだ1日目だから、やっぱり待つしかないよね」

 項垂れている彩子さんを「大丈夫だよ」と励ますものの、僕も不安で仕方がない。前回はお父さんが看病していた。今回は?こんな短いスパンで帰ってくることはないはずだ。

 彩子さんもそれを不安に思ったのか今まで緊張で出来なかったという電話を勢いでかけ始めた。

「今なんだ・・・」

 実際僕も気になるので音に耳を澄ませる。俊くんは黙ってお弁当を食べている。

「さくらちゃーん・・・出てー」

 まだ相手の出ない電話に祈るように話しかける彩子さん。

 昨日は体調がよさそうにはみえなかったけど、だからといって今日いきなり休むようにも見えなかった。熱ということはないと思う。今の時期流行っている病気もない。

 考えられるのは、最悪の事態だけ。

「・・・さくらちゃん!」

 出たらしい。耳に当てていた電話を更に食い込むほどに近付けている。僕も側に行く。少しでも彼女の声が聴ければ。

「大丈夫?うん・・・明日は来れる?・・・うん、うん」

 彩子さんがちらりと横目で僕を見て、手招きをする。

 「ちょっと待ってて、ほら」と僕に電話を引き継いだ。戸惑いながらも「もしもし」と窺うように声を出す。

『・・・ハル?』

「うん」

 声は電話のせいで曇っているけど、体調が悪そうな声ではない。昨日と同じだ。咳をしているわけでもない。

「どうしたの」

『うん・・・ちょっと。また明日って言ったのに行けなくてごめんね』

「それは別にいいけど」

 不愛想にならないように気を付けていても、電話越しの距離感の測り方は難しい。すぐ近くに声が聞こえるのに、実際は遠くにいる。届くようで届かない距離がこんなにももどかしいなんて。

「明日は?」

『・・・うん』

「待ってるから」

『うん』

 電話を切って彩子さんに返す。「ごめん、切っちゃったけど大丈夫だった?」と謝ると「うん。大丈夫」と言われ安心する。

 明日、来るかわからない。彼女は行くとは言わなかった。約束もしていない。来なくても責められない。ただ僕が待っている、それだけで彼女が来ようと思えるきっかけにはなりえないから。

「待つしか、ないね」

 電話を終えてそうしみじみと言う彩子さんに同感の意を込めて頷く。

「昨日はどうしたんだ、帰り」

 今まで発言をしなかった俊くんが声を出した。昨日とは、喫茶店の帰りのことであっているのだろうか。

「送って行ったよ、家まで。暗かったし」

「さくらちゃん、変わったところとかは?」

「少し、取り乱してたんだ」

 昨日の様子を脳裏に思い起こす。いつもより様子のおかしかったさくらさんだけど、帰るときにはいつも通りに戻っていた。戻ったところもおかしいと思うべきだったかもしれない。そんなに簡単に調子を取り戻すだろうか。

「お母さん、どんな人なんだろ・・・いつからそうなっちゃったのかな」

 ”そう”とは、さくらさんに対して愛情以外の歪んだ感情を持ち始めたことだ。

 僕には想像できなかった。お父さんのいない家庭で、母親が子どもを邪魔と感じることはあるらしい。逆も然り。僕の家が恵まれているだけなのかもしれない。父親がいないことで、お母さんはより一層たくましくなった。

 さくらさんのお母さんは、子どもに対する愛情を生み出すことができなかった。恋人に対する愛情と同じものだと思っているのかもしれない。だから、お父さんの愛情が娘に行くことを嫌がる。周りも自分と同じだと思っているから。

 さくらさんのお父さんは、彼女が命を絶とうとしていた事実を知って、とても悲しんでいた。絶望の表情を浮かべていた。テレビや新聞では見ても、身近で起こるとは思っていなかったはずだ。

 僕もそうだった。あの日彼女を見るまでは、そんなものとは無縁に、ぼーっと退屈に日々を送っていた。

  さくらさんのお母さんは、もしそのことを知ったらどう感じるのだろう。さくらさんがいなくなることを都合がいいと思ってしまうのだろうか。邪魔がいなくなったと、無邪気に喜んでしまうのだろうか。


 前に彼女が言った。

『私はここからいなくなることで自分の生きる意味を見つけようとしていたのかもしれない』

『いなくなったらわからないじゃないか。生きてる間には見つからないの?』

『いなくなってやっとわかった、ってよく言うでしょ?私がいなくなって悲しんだ人のために、私は生きてたんだって思える』

『見えないのに?』

『私は見てるよ。ハルが泣くか泣かないか』

『じゃあ泣かない』

『薄情だね』


 さくらさんのお母さんが、彼女がなくなって悲しみに暮れていたとしたら、きっと彼女は不器用ではあったけど愛されていたということになってしまうのだろう。僕が泣かなくても、母親が泣けば、彼女は満足するのかもしれない。

 そんなの悲しすぎる。最終手段みたいなやり方でしか愛情を確認することができないなんて。

 もし、本当に彼女が母親からの愛情を確かめたくて命を落とそうとしたなら、その時は僕にその人に手をあげる権利をくれればいい。母親からの仕打ちに耐えられなくて死のうとしたなら、権利はなくても僕は彼女のお母さんに飛び掛かることだろう。

 そのくらいは許される。一人の命がかかっているのだから。


 僕には待つしかできない。

 その言葉の意味を、今改めて知った。

 手遅れにしか、ならないってことだ。





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