冬_すれ違い【4】
喫茶店を出て、そういえば彩子さんが「今日はもう家に帰るって」と言っていたことを思い出した。僕にできることは少ないけど。
「今日、送ってくよ。もう暗いし」
冬本番が近づき日も短くなっていることが功を奏した。言い訳としても最も使える理由だと思った。
彼女は「ありがと」と呟き、肯定も否定もしていないけれど、歩き始めた彼女の後ろを追う。いつもより頼りない背中は、やっぱり泣きそうに見えた。でも転びそうになった時に支える程度の役割しかない僕には、今すぐに彼女を支えてあげることはできない。彼女が一人で歩けると、荷物はまだ軽いとそう言っている間は僕にも何もできない。
こんなちっぽけな僕がどうして彼女の人生をもらってしまったのだろうか。
「さくらさん・・・僕が君に初めて会った時言ったこと、憶えてる?」
帰り道、彼女の後姿を見ていたら、出会った日の光景が脳裏によぎった。
風が吹いていた日、柵の外側で恐れることを知らずに髪をなびかせていた彼女。 僕がわからなかっただけで震えていたのかもしれない。この世界から逃げたいだけで死にたいわけじゃなかった。暗い地面に全身を打ってそのままこの世からいなくなる恐怖に、怯えていたのかもしれない。
「君が人生を要らないって言うなら残りの全部を僕にくれ、ってやつ?」
クスクスと笑いながらあの日の僕を思い出しているらしい彼女。今となってはもう恥ずかしいことなんてない。あの言葉があって、僕は彼女と過ごせているのだから。あの日の僕の勇気はもう僕に戻ってこないかもしれないけど、一瞬でも彼女を救えていたならこんな僕でも役に立てたと思える。
「じゃあその後、君が僕につけた条件は?」
「・・・永遠じゃない、でしょ?」
「うん」
彼女があの日のことを憶えてくれていてほっとした。もしかするとあの日の出来事は僕の妄想で、目が覚めたら全部ゼロになっているんじゃないかと思うことが多々ある。自分は一人で立っていて、周りの景色が崩れていく。光のなくなった暗い場所に僕は感情をなくしてもなおただ立っていた。
「その期限は、今のところどのくらいまであるの?」
「んー・・・」
機嫌とはつまり、僕が彼女に関わることのできる時間。それは彼女の気分次第で変わってしまう。僕が彼女の気分を害するようなことがあれば、明日にでも終わってしまうかもしれない時間。
それが怖くて、僕は彼女の深いところまで立ち入れない。彼女の機嫌によって期限が変わる。シャレに聞こえるけど、全然笑えない。短くなってしまえば、それだけ彼女のその後に不安を抱いていかなければいけない。僕が彼女をここに繋ぎ止められていたかはわからないけど、僕が彼女のことを見ている間はここにいてくれると思った。だから僕が全く彼女と関われなくなった時、その時が来るのが怖くて、悲しくて、耐えられないかもしれない。
「気分次第かな。明日かもしれないし、来週かもしれない」
足取り軽やかにくるりと僕を振り返った彼女は笑っていた。つられて僕も笑ってしまう。今は深刻な話をしているつもりだったんだけど。彼女の明るさに、僕の暗さが少しだけましになる。
「本当に気まぐれだね、君は」
溜め息を吐くと、彼女は付け足すように言った。
「ハルに時間をあげたのも気まぐれ。でも、あの時の気まぐれのせいで今こうやってハルといられるんなら、私の気まぐれもいい仕事したね」
「君には敵わないな」
お手上げだよ、と両手をあげて降参の素振りを見せると、彼女は笑って少しだけ走った。後を追いかけて僕も走ると、彼女は「敵わなくていいよ、そのままで」と言った。
僕は焦っているのに、彼女はゆっくりでいいと言う。それにほだされて本当にゆっくりになってしまうから困る。彼女を救うためには周りに容赦してはいけないし、自分にも厳しくいないといけないのに。甘えをなくさないと、彼女の笑顔は守ることができないのに。
走ったり止まったり、ゆっくり進もうとしても彼女は急いで、僕の願いも虚しく、彼女の家に着いてしまう。
不安そうな表情をしていたであろう僕に、彼女は「じゃあ、また明日」と言った。今までで一番、明日を楽しみにできる瞬間だった。
「うん」
さくらさんが家の中に入ったのを見届けた後、少しそこに立ち尽くした。
至って普通の一軒家。二階建てでそこそこ新しく、幸せな家族が住むにはぴったりな家だと思う。ただどこか寂しく感じたのは、花や木がないからか、洗濯物がもう外にないからか・・・暗い空気に包まれているからか。
このままずっといればストーカーとして僕は交番に連れていかれる可能性が高い。ただ、このままいればもしさくらさんが僕に助けを求めてきた時、すぐに助けに行けるとも思った。でも、と振り返って歩き出す。
きっと彼女は助けを呼ばない。だったら待つしかない。彼女が僕を呼ぶその日を。ここじゃない、あの場所で。
次の日、彼女は学校を休んだ。
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