秋_理由【4】
「お父さんのこと好きだって・・・確かに家族が仲いいとは言ってなかったけど」
腑に落ちるようで疑問が残る。珍しいケースだ。お父さんと仲が良くてお母さんと悪いなんて。
「良いか悪いかで言ったら良いのかもしれない。お父さんがいる時は普通だし、3人で出かけたりするし・・・」
「2人の時は?お父さん単身赴任なら殆ど2人なんじゃないの?」
お父さんがいる時、という言葉に引っ掛かった。
「そうだね」
何でもないように頷く彼女。だって、2人の時に強く当たるんだったら、ずっと・・・最近はずっとそうだったんじゃないか?
単身赴任なんて、そう頻繁に帰ってくるものじゃない。帰ってきたとしても、1日とか2日。彼女の機嫌がとてもよさそうな時がお父さんが帰ってきてるタイミングだったとして、そう考えるともうずっと帰ってきてない。
「お父さんが私に優しくしてるのが嫌なんだと思う。自分に向けられるはずの愛情が自分に向いていないことが」
「お父さんとお母さんは仲が悪いの?」
「ううん。仲良いよ、呆れるほど。だから余計に、私がいなかったらもっと2人の時間があって・・・って、そう思うんじゃないかな」
彼女の話を聞きながら全く納得できない僕がいて。娘に対しての愛情とお母さんに対しての愛情は別物だ。分けようがないのに。自分の娘を愛することができないのに、誰かに愛してもらう資格なんてない。愛されることに資格があるかなんてそんなの僕が決めることじゃないけど。少なくとも、自分の子どもにこんな悲しい表情をさせてしまうのは親じゃないと思った。
「お父さんは、知らないの?」
さくらさんは少し目を伏せて、痣があったであろうその場所に触れた。
「いつもは見えないところなんだよね・・・初めてかな、顔は」
お父さんが帰ってきたとしても見えない場所。親子だからといって見せることはない場所。
きっとさくらさんは見えそうだったとしても、お父さんに気付いてもらえる場所だったとしても、隠すのだろう。そうやってここまできてしまった。
今更きっと言えないんだ。誰にも助けを求められない。隠し過ぎた。背負い過ぎたんだ、1人で。慣れれば痛みがなくなるわけじゃないのに。
彼女は口角を微かに上げて微笑んでいる。自分がどんな顔をしているかもわかっていないんだと思う。感覚がおかしくなって、このままじゃ・・・。
「何してるの」
僕は彼女の頬に手を当てた。ガーゼを伝わって、熱が伝わってきそうだった。こうして彼女の痛みが和らいでくれればいいのに。
「君が逃げたいのは・・・そこじゃないの?」
あの日、空を飛ぼうとした彼女の姿が脳裏に映った。あの時は笑っていなかったはずなのに、僕の頭の中では笑ってる。それがひどく、悲しかった。
「何されたって母親には変わりないから。優しかったことも、あったから」
今は酷いことをされているのに?
きっとそんなこと言ったって何も響かないんだろう。彼女を救いたい僕より、彼女を傷つける人を選ぶんだ。それを責めることはできない。家族は何物にも代えることできないものだ。それは僕が一番わかってる。それでも、僕を選んでほしいと思ってる。矛盾してるのは僕の心が弱いせいかな。どんなに君を傷つけたとしても、君を救う選択肢だけを君の前に見せたいのに。
「しょうがないんだ。私がお母さんの生きる希望を奪ってしまったから」
「違うよ。君は希望を与える存在だ。僕たちにとってそうだったように、家族にだってそうなんだ。君は奪われているだけじゃないか」
僕に、自由を。
そこまで言ったらもう彼女の前に姿を現せなくなるような気がした。彼女は変わらずここに来てくれるんだろう。僕には無理だ。
ひとつだけ残った卵焼きを彼女が口に運んだ。生きている。それはわかっているようにすくい取ることのできない危うさを感じていた。
「考えたことがある」
言葉に柔らかさを含めて彼女が言った。穏やかだった。
「なに?」
僕は彼女の運ぶ柔らかい波を崩さないように返す。
「もう少し前にハルに出会ってたらなーって。でもね、そんなに変わらなかった。結局、あの日は来てたんだと思う」
彼女との出会いを不幸だなんて思いたくない。
僕との出会いを不幸だなんて思ってほしくない。
絶対的な幸せな結末なんていらない。どんなに周りが不幸でも、君さえ笑ってればそれで、それだけで。
「遅くない。今笑ってる君が、泣きそうな君が、僕たちを出合わせてくれた君のことを、絶対にあの日には連れて行かない。僕たちと一緒にこれからを歩いてもらうんだから」
驚いた表情で彼女が僕を見た。すぐにふにゃりと笑った。
「言うようになったね」
「覚悟しててね」
彼女はすぐに下を向いて顔を縦に振った。
連れて行ってみせる。僕らの未来へ。
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