夏_出会い【1】
「あ・・・えっと、」
「なに?」
彼女は次の日、つまり今日、昨日僕と彼女が衝撃的な出会いをした屋上へ、約束通り来てくれた。
実を言うと、彼女の姿を見るまで、不安で胃が痛かった。
僕の見ている間はなくても、僕のいないところでは彼女がどうしているかなんてわからない。僕の見えないところで人生を捨てようとしていても止めようがないのだ。
彼女の人生の少しを預かった僕だけど、それは事実彼女のものであって、僕が勝手にどうこうしていいものじゃない。だから、彼女がここに来なかったとしてもしょうがないとすら思っていた。口約束などその程度の、脆いつながりだ。
僕は彼女の人生において、通行人に過ぎない。
だからこそ、今できることを全部しないと彼女を引き留められないというのに。
黙り込んだ僕を怪訝そうに見ている彼女に気づき、ハッとした。
そう。彼女と別れてすぐに彼女のことを何も知らないことに気づいたのだ。
「あの、名前って・・・」
その後悔で後の授業に身が入らなかったのは、彼女のせいではなく、僕のドジのせいだ。
「本当に何も知らなかったんだ・・・見知らぬ人間に何でそこまでするの?あんた頭おかしいんじゃない?」
「・・・」
そのことに関しては僕が一番悩んでいます・・・。
僕が肩を落としたのを自分の発言のせいだと解釈したらしい彼女は、深く溜め息を吐いた。
「桜・・・畠山桜。あんたは?」
「僕は、あっ」
一瞬強い風が吹いて、次の時間の用意として持ってきていたプリントが、僕の腕をすり抜けて舞い上がった。
そのことに気づいて体が動く前には、彼女がふわりと飛んで、プリントを掴み取っていた。
「運動神経いいんだね・・・」
「あんたが鈍いんでしょ」
図星をつかれた僕は「ははは」と苦笑いで返すことしかできなかった。
そこそこの学力で運動が苦手な僕なんかよりも、よほどスペックの高そうな彼女に、僕が何をできるのだろうと先行きに不安しか抱けない。
「ありがとう・・・」と手を伸ばすと、彼女の視線がプリントの一点に集中していることに気づいた。
その場所はもしや・・・。嫌な予感が脳裏をよぎった。
「ハルタ・・・」
悪い予想は大体的中するものだ。
「いや僕は、」
稀に見る僕の反応の速さを、彼女は軽々と超えていった。
「ハル、って呼ぶ」
「いやだから、」
「ハル、ハル、」
よほど気に入ったのか、その愛称を連呼する彼女。なんだか楽しそうで間違いの指摘をしたら彼女の機嫌を損ねてしまうのではないかという考えが頭に浮かぶ。
「ハル、ハル・・・」
「ええ・・・」
彼女が僕を正式な名前で呼んでくれる日は来るのだろうか。
結局、彼女_畠山さんが僕のあだ名を連呼するだけで昼休み終了の鐘がなってしまった。
僕が昨日必死に考えた計画は、明日へ持ち越しとなった。
息を吐き、机に突っ伏す。
「春太」
「あ、俊くん」
久しぶりに自分の名前を呼ばれて感動が込み上げた。
「どうした、溜め息吐いて」
幼馴染である俊くんは、僕の異変を察知する能力があるらしい。クールでスマートな彼は、僕の前の座席に座りじっと見つめてきた。
これには弱い。が、しかし。僕の身勝手でわけのわからない約束に俊くんを巻き込むわけにはいかない。よくわからない意地を張るのは僕の悪い癖だ。
「ううん。眠いなぁって・・・午後はとくにね」
恐らく誤魔化しには成功していない。ただ、俊くんは僕に無理やり問いただすようなことはしなくて、僕のすることを見守ってくれる。むしろ幼馴染より、お父さんだ。お父さんってこういうものなのかな、と俊くんを見つめる。
「なんだよ」
僕の熱い視線を感じた俊くんは不気味そうに眉を顰める。
男にそんな視線もらっても・・・ってところかな。俊くんはモテるからこれ以上の好意はいらないのかもしれない。
「何をそんな悩んでんのか知らねーけど、言いたくなったらいつでも言えよ」
「・・・ありがとー」
俊くんの天然女子キラーにドキッとしてしまったけれど、真面目に言ってくれてるんだよな、と思うと持つべきものは俊くんだな、と感じる。
「でさ、」
「え?」
ほんわかした空気から一転、俊くんがぼくの耳元に顔を寄せた。何か周りに聞かれたくない悩み事でもあるのだろうか、と俊くんの言葉を待つ。
「あれ、なんだ」
「あれ・・・?」
「ん」
俊くんの指した先を見ると、ひとりの女子が教室の扉からこちらに何か怨念的なものを送ってきていた。周りも察しているのか、彼女のいないほうの扉を利用している。初めて見る子だ。
「・・・俊くんのおっかけじゃない?」
僕の言うおっかけとは、俊くんの熱烈なファンのこと。それはすごい。クラスの男子が引き気味なほどに。バレー部エースの俊くんの人気は校内一といっても過言ではないと思う。その中には、扉のそばの彼女のように、黒いオーラを持った子もちらほらと。
「冗談だろ・・・。大体あれお前じゃね?俺が来る前からあそこでお前のほう見てるぞ」
ああ。だからさっきまで他の男子と話していた俊くんが不自然なほど素早くこっちに来たのか。
「まさかついに僕が俊くんのそばにいることを煙たがった女子からの仕打ちがっ!」
「いやそんなわけないだろ」
「ありえなくはないでしょ」
俊くんのファンの怖さを一番よく知っているのは、俊くんよりも恐らく僕だと思う。影が薄いだけに、悪口を言っている場所に遭遇してしまうことは多々ある。
俊くんが通れば、そのオーラに気づくから、つまり俊くんはクリーンなファンだと思っているかもしれないってことだ。
「んー・・・待ってろ」
僕の頭に手を乗せつつ立ち上がった俊くんは、未だに扉に噛みつくようにしている彼女に近づいて行った。
どうか俊くんが無事に戻ってきますように。
野次馬根性でその会話の様子を見ていると、どうやら俊くんの言っていた僕への用事はあながち間違えていないようだった。
俊くんが近づいて行っても僕のほうに集中しているのがその証拠だ。俊くんが話しかけても睨みをきかせている。
僕、誰かに恨まれるようなことしただろうか。
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