第3話

 ◇


 「ダメダメっ!! ここは通れないよっ!! 」


 今日も僕は声を張り上げる。


 「ダメダメっ!! ここは通れないよっ!! 」

 

 最近は喉の調子を保つため、使っていないツボに水をなみなみ入れて、寝室の中央に置いておくという知恵を会得した。

 そうする事によって部屋は加湿され、寝ている間も僕の喉を潤してくれるのだ。まさに生活の知恵。ビバ生活の知恵! 


 「ダメダメっ!! ここは通れないよっ!! 」

 「うぃ。ふふ……ふはは……今日もチャペルは……絶好調みたいだな……ふふ……」


 着替えを終え二階の兵舎から下りてきたニックは、なんだか冴えない顔をしており、オマケに声も元気が感じられなかった。


 「おはようニック! どうしたのさ? 何だか元気無いみたいだけど……」

 

 僕は少し心配になり、ニックにそう尋ねた。すると彼は、か細い声で──。


 「この間の女の子……」

 

 女の子? ああ、この間ここを通りたくて来た子の事かな? 通行許可書も持ってなかったし、可哀想だけど引き返してもらったんだっけ……。その子がどうしたんだろう?


 「あの子がどうしかしたの? 」

 「どうもこうも……ねえよ……」

 「──え? ごめん何て? 」

 「どうしたも! こうしたも! もー! もー! もー! もー! 」


 落ち込んだ様子から一変。声を張り上げるニックが、急に地団駄を踏むものだから僕は驚き、咄嗟に彼の心境をくみ取った。


 「牛なの? 」

 「──え? 」

 「──え? 」


 微妙な間を置き、僕達はお互いに顔を見合わせた。


 「いや、だから、もーもー言ってるから牛なのかなぁ……と」

 「そんなわけねぇーだろ! そんなちょっと面白い事じゃないんだよ! こっちはもう死活問題なんだよ! 」

 「そんな興奮しなく──ってダメダメっ!! ここは通れないよっ!! 」


 捲し立てるニックを尻目に、僕は仕事も欠かさない。

 まったく、油断も隙もあったもんじゃない。でも、あれだね。ここ誰なら通れるんだろう? 偉い人……? 王様……とか?


 「うんとさっ、この間のさっ」

 「ああ、うん」

 「あのさっ、女の子がさっ」

 「うん」

 「えっとさっ、俺をさっ」

 「ごめんニック、普通に喋って」


 あれだね。たまにちょっとウザイよね。

 

 「だからよ、この間の女の子……名前何て言ったっけ? 」

 「あ、うんと、確か〝パンプティ〟ちゃんだっけ? 」

 「そうそう、そのパンティーちゃんだよ。あの後よ、自分の村に帰ったわけじゃん? そしたらよ、村できっと……『さっき関所に行ったら、なんかロリコンの兵士さんに止められちゃって。相手ロリコンだし、私みたいな女の子って……ロリコンには大好物じゃん? だから恐くて逃げてきた! 「ニック」って名前よ! 皆も気をつけて! 』とか村中に言いふらしてるに決まってるんだよ! もう死にたい……。ニック、もう外、歩けない……」


 おお、凄い。凄すぎるよニック。凄い想像力だよ。もしその予想が当たっていたら、そりゃニック、もう外、歩けない……ってなるよ。

 しかもさり気なく〝パンティーちゃん〟だなんて、えげつない間違いしないでくれよ恥ずかしい……。


 「考え過ぎだよニック。そんな意地の悪そうな子じゃなかったでしょ? むしろ素直そうで良い子だったじゃないか」

 「そうかなあ? 」

 「うん、全然大丈夫。何も無いって! 」

 「本当に? 」

 「ふっ……あ、うん。本当に! 」

 「ちょっ、も、台無し! もうそんな「ふっ……」とか入れられたら、ニック、もう誰も、信じられない……」

 

 ぷぷ……。ニック、もう誰も、信じられない……とか。ニック、もう外、歩けない……とか、語呂が良かったのかな? でも個人的にも、ちょっとツボかも。ぷぷ……。


 「冗談だよ、冗談」

 「くっ、チャペルめ……」

 「そもそもさ──」

 「あん? 」

 「いやパンプティちゃんさ、ここを通してあげられればよかったんだけど……。なんか用事っぽかったし、そもそもここを通れる人って少なくない? むしろ僕はここに配属されてから一度も、誰も通した事なんて無いよ? 」


 そうなのだ。この関所を通るには、王国から発行される通行許可書が必要なのだが、せがむばかりで誰も許可書を持っていないのだ。少なくとも僕が着任してからの二年間、記憶にも名簿の記録にも、ここを通れた人は皆無だった。


 「ニックは何か知ってる? 」

 「真の勇者がいないから、だろ」


 思いもよらぬ彼の発言から、僕は一瞬思考が停止する。真の勇者? いったいニックは何を言っているんだろう……。


 「え? 真の勇者? ニック、いったいそれって……」

 「お前さ、ここに来る連中ってのはどんな奴だ? 」

 「……」

 「考えた事も無かった、って顔だな。お前な、ただ言われたからって、与えられたままに仕事をするのは案外簡単なんだ」

 「え、あ、はい、すいません」

 

 なんだかニックがいつもと違う、とても真面目な面持ちでこっちを見るものだから、僕はつい彼に敬語を使ってしまった。

 

 「これは俺の持論なんだけどな。日々の生活もそうだが仕事は特に、俺達人間ってのは常に考えて生きなきゃならないんだ。仕事なんて分かり易い例で、最初は誰だって大体先輩から仕事の仕方を教わるだろう? 」

 「うん、そうだね。僕の場合、それがニックだったね」

 「ああ。最初は誰もが新人でも、誰もがいつまでも新人ではいられない。ある一定のラインまで仕事を覚えたら、そこから先輩の手を離れて自分で教わった事を実践していく」

 「うん」

 「だけどな。そこから、そこからなんだ、本当に大切なのは。そこからは自分で見聞きして、考えて、行動して、失敗して、また考えて……。その繰り返しだ」

 

 ニックの言葉一つ一つが染み込んでいく。なんだか乾いた心に水が注がれた、そんな感覚──。


 「繰り返すんだ。決して向こうから繰り返させるな。考えるんだ。繰り返す事が向こうからやって来てしまったら、お前の日常が……その毎日がきっと、になってしまうから……」


 部屋に水を張ったツボを、ただ簡単に置くだけの僕なのに。そんな僕に、僕の心に、彼は〝知識を知恵に変えるツボ〟を、優しくそっと置いてくれた。


 「自分の事だろ? 自分でコントロールするんだ。自分が自分をコントロールしなきゃ、いつの間にか誰かにコントロールされちまうんだぜ? 」

 「いい様に使われる、って事? 」

 「お、なかなか良い解釈だ──。あ、ニック、伝わって、嬉しい……」

 「いや、忘れてたでしょ? 無理してやんなくていいから」

 








 明日は久しぶりの休日だ。僕は自分の明日が何色になるのか、そんな色が今日にも加わった。

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