第18話
18 雨宿りの喫茶店
カウンターの向こう。陶器のカップを磨きながら、マスターが笑う。
「なんだ、二人とも同じ高校かね」
宮坂は、呆然としている。
「え、ええ、まあ」
「あれ、えりかくん、顔が赤いね」
「しょ、しょんなこと……」
「ハハハ、えりかくん落ち着いて」
「──はい?」
人好きのする笑顔で言うマスターに、宮坂の凜とした声が重なった。
「──落ち着いてます。取り乱してなどいませんが、何か問題でも?」
おお、立ち直った。代わりに、宮坂に睨まれたマスターが動揺している。
「そ、そうだ、えりかくん。お風呂を沸かしてくれないかな。そこの彼に入ってもらうから」
「おふりょ!?」
あ、また崩れた。なんだこれ面白い。
「い、行ってきます」
そそくさと奥に消えた宮坂の背中を眺めながら、マスターは呟く。
「君、名前は?」
「
「高望、なにくん?」
「……昇太です」
にこにこ笑うマスターが、顔を寄せてきた。
「昇太くん」
「え、はい」
いきなり名前呼びですかそれ口説いてますよねでもいくらダンディでもオジサマは困りますごめんなさい。
なんかミネラルウォーター飲みたくなったな。
「えりかくん、可愛いだろう」
「え、ええ」
「緊張したり驚いたりすると、舞い上がっちゃうらしいんだ。そこがまた可愛い」
まあその辺は以前、宮坂本人に何となくは聞いている。だから常に気を張って感情を露呈しないようにしている、とも。
「これ、えりかくんにはナイショだよ」
マスターが片目をつぶる。てかオジ様のウインクはノーセンキューです。
「……聞こえてますよ、マスター」
「おっとこれは失礼。口は災いの元だったね」
今の絶対狙ってたよね、このマスター。ちらちら奥を気にしてたし。
「時に昇太くん。えりかくんは学校ではどうなんだい?」
「マスター!」
「えりかくんに聞いても教えてくれないじゃないか」
「良いんです、知らなくて」
「ハハハ、それは悪かったね」
少しだけ頬を膨らませた宮坂は、店の奥へ行ってすぐに戻ってきた。
「お風呂、沸きました」
「ありがとう。じゃあ、彼をお風呂へ案内してあげて」
「ええええええっ、そりはどぅゅうこちょでしょろきゃ」
「えりかくん落ち着いて。はい深呼吸」
噛み倒した宮坂は、ラジオ体操の深呼吸みたいに、スーハーと息を整える。
そして、ここから私のターンよ、と言わんばかりの速射砲をマスターに浴びせた。
「──これが落ち着いていられますか。仮にも嫁入り前の私に、
惜しい。最後噛んじゃった。だが俺もそれどころではない。
「そそそそうです! お風呂くらい自分で入れます!」
「とととと当然ですよねっ」
宮坂も俺も必死だ。
当然だ。なんの因果で他所様のお風呂に二人で入らねばならんのだ。
ちょっとだけ想像しちゃうじゃんかよ。
「初々しいね、二人とも。というか」
マスターはタバコを取り出し、火を点ける。
ゆったりと紫煙を
「案内してあげるだけで良いんだけどなぁ」
ならはじめからそう言えよっ。
風呂から上がって、店内に戻る。
用意されていた着替えは、上下灰色のスウェットだった。
「はいどうぞ」
目の前に出された無骨な金属のマグカップの中は、湯気が立つ
いわゆるコーヒーだ。
「ボリビア産だよ。ブラックが1番美味しいんだけど、良かったらそのままで一口だけ」
琥珀色の液体には、ミルクは入っていない。つまりブラックなのだろう。
正直、コーヒーのブラックは苦手だ。しかしマスターの厚意だし、何より香りが良い。
恐る恐る、マグカップに口を寄せる。
「ではいただきます……んっ」
なんだこれ。甘みがある。
それに美味い。
「ははは、ちょっとだけガムシロップを入れてあるんだよ。僕の飲み方でね」
少し苦いけど、止まらない。
身体が欲するように、ひと口、またひと口と、カップを傾けてしまう。
「それはシティローストでね、元はアメリカ独自の焙煎なんだよ。その苦味と酸味は、日本人にも合うと思うよ」
マスターの言葉に小さく頷き、マグカップを傾ける。
うん、美味い。
口に含んだ瞬間、鼻に抜ける香りが何ともいえない。
気がつけば、マグカップは空っぽになっていた。
「どうだい、温まっただろう」
「ええ、おかげで……あ、お金」
「いいよ。今回は僕のオゴリだ」
「でも」
喫茶店でコーヒーを飲んで、タダなわけがない。だったら喫茶店はどうやって利益を出すのか。
「甘えて良いと思いますよ。マグカップで出したコーヒーは、マスターお金取らないんですよ」
宮坂が、奥から戻ってきた。
その手に持った皿から、美味そうな匂いが湯気と共に漂ってくる。
「はい、どうぞ」
目の前に置かれたのはスパゲティ。ケチャップたっぷりで作った、ナポリタンだ。
途端に腹の虫が鳴る。
宮坂は笑いながらフォークと水の入ったコップを置いて、カウンターの中に入ってしまった。
「──えりかくん、そのナポリタンもオゴリかい?」
「というか、元々うちのメニューには、ナポリタンなんて無かったですよ。なので値段も付けられません」
「だそうだ、昇太くん。よっぽど気に入られたようだね」
「もうっ、マスター!」
俺は、カウンターの中のやり取りを、茫然と眺めるしか出来なかった。
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