第17話

 17 雨にふられて



 四日連続の勉強会も昨日無事に終えた。が、俺個人としては、無事とは言い難い。

 金曜の夜──

 居眠り運転の乗用車に突っ込まれそうになった俺は、咄嗟に宮坂えりかを抱いて瞬間移動テレポートで回避した。

 そのせいで気絶した宮坂を何故か俺のベッドで寝かされて、仕方なく俺は居間で毛布を被った。


 その翌朝、ばあちゃんに連れられた宮坂に寝姿を見られるし、なんか宮坂は真っ赤になって目を反らすし。

 個人的にはちょっとした修羅場だった。


 さて、今日は日曜。

 つまり休みだ。

 しかし、やる事がない。


 念のためスマホをチェックしてみるが、変化はない。変化がなさ過ぎて、すこぶるソシャゲがやり易い。

 クラスメイトが「ソシャゲやってる時の通知ウゼェ」とか騒いでいたが、とんと身に覚えがない。


 さて、本日のログインボーナスも頂いたし。

 もう一回寝るか。

 と思った時にばあちゃんがやってきた。


昇太しょうた、起きてるかい」

「ああ、今起きた」


 嘘である。一時間前には起きていた。


「よかった。お使いを頼まれてくれないかい」

「いいよ。てかじいちゃんは?」

「腰が痛くて瞬間移動テレポート出来ないんよ」


 それは初耳だ。腰痛だと瞬間移動テレポート出来ないのか。


「ほら、着地が足腰にくる年頃だから」


 なるほど、そういうことね。

 ちなみに、ばあちゃんは瞬間移動テレポートは出来ない。その代わり、千里眼と念話テレパスがある。ただそれも、千里眼は老眼鏡が必要だし、念話テレパスは相手に声を送る事しか出来ない。


「はい、これ」

「ん?」


 渡されたのは、一冊の本。


「図書館に返して来ておくれ」

「わかった。どこの図書館?」

「デンマークの王立図書館だよ」

「え、マジ?」

「嘘だよ、中央図書館だよ」


 あービックリした。

 じいちゃんならデンマークもあり得るからな。


「雨降りそうだから、気をつけなさいよ」

「あいよ」


 まあいいや。中央図書館なら自転車ですぐだ。

 そう。自転車なら、雨が降る前に十分間に合うだろう。




 やっぱり用事は先に済ませるべきだと悟った。

 家を出たのは、お昼前。

 どうせだから、図書館近くでコッテリしたものを食べようと思ったのだ。

 とはいえ、頼まれ事を後回しにするのは気がひける。

 サクッと本を返して、スマホで調べてあったお目当の洋食屋へ向かう。

 が、その途中で雨に降られた。天気予報では夕方からだったのに。


 ずぶ濡れになって、自転車を漕ぐ。雨足は弱くなるどころか、一層激しさを増す。くそっ、風まで出てきた。

 もう限界だ。

 通りすがりに見つけたのは、小さなアメリカンな喫茶店。そのアメリカンな軒下で、雨宿りをさせてもらおう。


 しかしさすがに無許可という訳にはいかない。お店の人の許可を得るべく、木枠のドアを開けた。

 右手にカウンター。左手には幾つかのテーブル席。そして、正面には、天井まで届く大きな書棚が鎮座していた。

 その迫力に圧倒されていると、男性に話しかけられた。


「いらっしゃい」

「い、いえ、その」


 おっと、先制パンチを食らってしまった。

 さあコミュ障の高望たかもち選手、打つ手はあるのか。


「急に雨に、降られて、その」

「ん、なんだい?」


 おっとぉ、パンチが届かなかったぁ。

 足元がふらついているぞ、大丈夫か、高望選手。


「ああ、雨宿りね」


 グハァッ!

 カウンターパンチをもらってしまいました高望選手。

 情けない、情けないぞ高望選手。

 Tシャツもパンツもぐしょぐしょだ、高望選手。


「はい、タオル。とりあえずこれで拭いて」


 おっとぉ、ここでタオルの投入だぁ!

 大人の優しさにメロメロだぞ高望選手!


 ──はぁ、タオル借りよ。


「ありがとうございます」

「いいさ。ま、テキトーに座ってて」

「あ、いえ、服、濡れてるので」

「ハハハ、ウチの椅子は、全部ビニール製だ。安くて水に強いんだ」


 思わず頬が緩む。

 さりげない気配り。負い目を感じさせまいとする心配り。

 カッコいい大人だなぁ。椅子は本当にビニールだったけど。


「お兄ちゃん、あんまり人と話すの得意じゃないみたいだね」

「は、はあ、すみません」

「謝ることはないよ。それも一つの個性だ」


 お兄ちゃん、と気さくに話し掛けてくるマスターらしき人に自分を肯定される。

 初めての体験だった。

 だいたいにおいて、初対面で人を褒めることは無い。

 それが出来るということは、人を見抜く直感力があるか、社交辞令の使い手だ。


「個性、ですか」

「個性ってのはね、叩いて叩いて平らにして、それでも目を引くのが本当の個性なんだよ」

「へえ」


 あまりピンとはこない。

 けれど実際そうなんだろうなぁ、とは思える。


「ウチにもお兄ちゃんと同じ年頃のバイトがいるけど、結構ポンコツだぞ。可愛いから許しちゃうけど」

「それも個性、ですか」

「ハハハ、そうさ。立派な個性だ」


 陽気なおっちゃんだな。

 俺は陰キャでコミュ障だけど、決して会話が嫌いな訳じゃない。こうして気さくに話しかけてくれれば、やはり嬉しいのだ。


「はい、熱いから気をつけて」

「え」


 目の間に置かれたのは、無骨なステンレスのマグカップだ。その中では、濃い琥珀色の液体が湯気を立てている。


「それ飲んで温まって」

「え、でも、お金ない、です」

「ハハハ、初回サービス特典だよ」


 呆気にとられる俺の前に、砂糖とミルクのポットが置かれる。


「冷めないうちにどうぞ。気に入ったら、また客として来てくれればいい」


 不思議である。

 さっき会ったばかりなのに、初対面なのに。なぜこの人はここまで出来るのか。

 その疑問は、コーヒーの香りにかき消された。


「すいません、いただきます」


 マグカップに口をつける。

 美味い。コーヒーの味は詳しくないけど、美味いことは分かる。

 雨に打たれて冷えた体が、じんわりと熱を取り戻していくようだ。

 その最後の一口を飲み干した時、入口のドアが鳴った。


「おはようございます」

「お、噂をすれば何とやらだ。おはよう、えりかくん」

「凄い雨ですね。これではお客様もいら……え?」


 傘をたたみながら入ってきたのは、最近よく見る顔──宮坂えりかだった。


「よ、よう」

「た、高望たきゃもちくん!?」


 人の名前を噛んだ宮坂は、何故か赤面して固まった。これは相当昨日の件が尾を引いている感じだ。


「ん? 二人とも知り合いかね。清水は狭いねぇ」


 にこにこしながらコーヒーカップを磨くマスターを他所よそに、俺と宮坂はしばし固まったままだった。

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