第10話

 10 謎の美少女(大)赤堀


「ぼんじょ!」


 たったかと走って来て、テーブルの向こうに座った少女の第一声が、これだ。

 隣に座る若干伏し目がちな市川の腕を引っ張って、耳元で問う。


「なんだ今の。まさか流行はやってるのか」

「い、いやぁ……本人に聞いて」


 巻き込まれたくないとばかりに、全力で目を逸らして言葉を濁す市川を捨て置く。

 視線を少女に戻せば、そこには満面の笑みがある。その雰囲気は、まさにパリピ。人気者感を存分に振りまいている。

 まあ実際に人気者なのだろう。

 茶髪の髪型は、ナチュラルショートとでもいうのだろうか。

 耳には小さなイヤリング、制服のネクタイは適度に緩められて、堅苦しい雰囲気を消している。

 てか大きいな。何がとは言いにくいけど、走って来るとき超揺れてたし。

 もう少し胸元に慎みをお持ちください。


 さて。初っ端のヘンな発言に戻ろう。

 当然のことパリピ女子は、変な事を口走った自覚は無いらしい。


「あの」

「ん? 何かな何かな?」


 言葉をかけてみると、少女は目をキラキラと輝かせて、身を乗り出してくる。てかテーブルの上に胸を置くのはやめて。目の毒だから。あとそこ何かの聖地になりそうだから。

 やはり重いのだろうか。

 もう見るからに大きいし。養護教諭の草壁先生といい勝負だ。

 てか十代でこんなんなら、三〇代ならどんだけ大きくなるんだろ。

 思考が逸れた。さて本題。


「ぼんじょ、って、なに?」

「え」

「え」


 訊ねた俺を含めて、三人が順に固まる。正面のパリピ女子は「あたし何かヘンなこと言った?」という顔だし、横へと視線を向ければ「うわ、こいつマジで言いやがった」的な驚愕の市川がいる。

 俺は俺で、やっちまった感を出してしまい。

 結果として、三人とも石化した。

 その中で、いち早く石化が解けたのは、正面のパリピさん。


「あ、あいさつだよっ」

「え」

「え」


 あいさつ……?

 おはよう、こんにちは、こんばんは、ぼんじょ。

 いやいや違和感ありまくりですって。


「イタリア語だよ。ボンジョルノ!」

「あ、ああ、イタリア語ね」


 そうかそうかイタリア語か。なら──って、その説明で納得するとでも?

 でもいいや。なんか面倒めんどいし。


高望たかもちクンごめんね。こいつ、悪いヤツじゃないんだけど、ちょっと変わってて」

「それひどくない? ちょっとはフォローしてよ、幼馴染なんだから」

「はん、誰がお前なんか」


 普段の、女子に優しい市川らしくない、キツい物言いだ。

 市川がそっぽを向くと、目の前に放り出された巨大プラントの持ち主は、咳払いで場を区切る。

 そして、すでに俺の脳内は「めんどくさい」一色だった。


「あ、あたしは赤堀あかほり……そこのダイキの幼馴染やってまーす」

「下の名前はどうしたよ」

「い、言いたくない」

「言わなきゃ自己紹介にならないだろ」

「ど、どーしても?」

「ああ、どうしても」


 赤堀と名乗った巨大スライム二匹の飼い主は、何やらモニョっていたけれど、項垂れて口を開く。


「うう……あ、赤堀あかほり……香恵かえ

「香恵と書いて?」

「ゔぅぅ……あろま」

「ぶっ」


 噴き出したのは市川である。俺は反応すら出来なかった。


「な、なによ!」

「いや、何度聞いてもヘンな名前だな。なんだよ香る恵みであろまって。コーヒーかよ」

「もー、だから嫌だったのにー」


 赤堀という女子は、あからさまに不機嫌な顔をする。

 まあ、市川がここまでの軽口を叩けるのは、幼馴染のなせる技か。

 スゲえな幼馴染。

 俺は幼稚園の時に引っ越したから、そんな存在いないし。

 だが、なんとなくこのままではいけない気がして。


「でも、いい名前だと思い、ます」


 ちょっとだけフォローをしてみた。異性の話し相手がばあちゃんと宮坂しかいない俺にすれば、かなりの大冒険である。

 それに、単純に「あろま」って、「あらま」みたいで面白いし。


「ありがとー、てかなんで敬語? 同級生って聞いてたけど」

「高望クンは人見知りだからねー」


 ゴリゴリのコミュ障な俺を、人見知りとは。市川って案外良い奴なのかも知れない。

 しかし、なるほど。

 この女子の人となりはなんとなく分かった。となると、次の疑問が湧いてくる。

 この赤堀という女子。見た目からして陽キャだし、客観的に見てスタイルも良いし、かなり可愛い。きっとさぞかしモテることだろう。

 でだ。

 そのモテモテ陽キャのパリピさんが、なぜ男子を紹介して欲しがるのか。

 あと市川に問いたい。

 よりによって、なんで俺なんだよ。


「ダイキ、期待通り、ううん期待以上の男子だよっ」

「え」


 ちょっと待て。意味が分からん。分からんが、悪い予感だけはプンプン匂ってくる。


「こいつさ、いま陰キャにハマってるんだと」


 市川は、頰杖を突いたまま伝えてくる。その頬杖の横には、ストローの紙で作ったヘビがいた。

 てか、陰キャねぇ。やっぱ市川はひどい男だった。

 けれど、真実だから文句は言えない。

 失礼極まりないけれど、妥当な人選だと言わざるを得ない。

 借り物競走のお題が「陰キャ」だったら、俺ですら迷わず俺を選ぶだろう。


 しかしこのパリピ女子。

 何故よりによって陰キャなんぞをご所望なのか。観察日記でもつけるのだろうか。

 だいたい寝てるし、変化も成長もしないから面白くないですよー。


「あのね、たまたま見た深夜アニメでさー、主人公の男の子が陰キャなんだけど、チョーかわいいのっ」


 おい待て。理想通りに作られた二次元と生身の人間を比べるなよ。

 二次元は、二次元の中でこそ輝けるのだ。それを現実に求めるなぞ、愚の骨頂。

 陰キャ歴十年、深夜アニメとお友達の俺が訥々とつとつと語ってやろうか。

 いやしないけど。案外気が合いそうで怖いし。


「ねーねー、LI○E交換しよー」


 おっと。話飛んだなぁ。かなりの飛距離だぞ、今のは。

 視線を向けると、既にスマホを取り出して満面の笑み。

 まるで、自分が拒否されるとは夢にも思っていない顔だ。

 しかし。


「いや、出来れば遠慮したい」

「えっ、なんで? なんで?」


 そもそもLI○Eなんて使っていないのだ。交換しようが無い。

 それを説明しようと言葉を組み立てていると、市川が口を開いた。


「お前なぁ、さっき高望クンは人見知りだって言ったろ」


 いや、そういう理由じゃなくてだな。


「で、でもLI○Eくらい」


 だからそのLI○Eをね、使ってないの。


「何回も言ってきたけどな。人にはな、それぞれのハードルの高さがあるんだ。それを自分の尺度で決めるなよ。悪いクセだぞ」

「わかってるよっ」

「いーや、わかってないね」


 ……驚いた。

 幼馴染というのは、ここまで踏み込んだことを言い合えるのか。

 しかしそれ以上に驚いたのは、俺に対して市川が思いのほか気を使ってくれることだ。

 初めは、不躾ぶしつけな奴だと思った。次に抱いた印象は、女好き。

 しかし、今ここにいる市川は、それらにまったく当てはまらない。

 やっぱ良い奴だったな市川よ。


 まあ、冗談はさて置き。

 市川は大人だ。なんか、そんな雰囲気を持っている。

 空気は読めるし、気も遣える。

 その大人に市川が、俺に対して頭を下げた。


「悪かった、高望クン」

「い、いや、その……こちらこそ」

「こいつさ、マイペースなんだよ。でも、悪い奴じゃないから」


 それは分かる。

 赤堀さんがどうというよりも、市川を見れば赤堀さんが悪い人間ではいことは明白だ。


「だから、もうちょっと仲良くなったら、こいつとLI○E交換してやって?」


 ナイスパスだ市川。

 俺はこのチャンスを活かすべく、満を持して宣言する。


「じ、実は俺、LI○E使ってないん、だけど」

「「ええっ──!?」」


 市川と赤堀の驚きの声が、ユニゾンとなって店内に響いた。

 そんなに変なのか。メールで十分だろ。

 迷惑メールくらいしか来ないけどさ。


「マジか高望たかもちクン」

「別に不便は無いし」

「まあ、高望たかもちクンらしいか」


 またしても市川に、大人の気遣いを発揮させてしまった。

 ならば、俺も市川への譲歩は必要だろう。


「なら──」

「じゃあさ、勉強会やろーよ高望たかもちクン」

「へ?」


 妥協案を口にしようとしたら、市川から新たな案が提示された。

 すぐ代案を思いつくとか、デキるサラリーマンみたいだな。


「ま、まあ、それくらいなら……」

「おし、決定ね。あろまもそれでいいな?」

「えー、勉強とかしたくないしー」

「お前、こないだのテスト何位だった?」

「──黙秘権を行使しますっ」

「まあ、オレも似たようなもんだ。つーわけでさ、高望たかもちクン」

「あん?」

「オレらに勉強、おせーて」


 非常にいい提案だ。勉強は学生の本分だし、複数人数でいても自分の勉強に逃避出来る。

 さすがデキるサラリーマン市川。

 だが彼は知らない。


「俺、平均点。教師役は無理っぽいぞ」


 斯くして我らの勉強会プロジェクトは、立ち上げた途端に暗礁に乗り上げた。

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