第5話

 5.市川大樹という男


 放課後。

 既に大半の生徒が去った教室の窓際。そこにある自分の席から、俺は外を眺めていた。

 時折廊下から響いてくる声は、部活だのカラオケだの青春を象徴するものばかり。

 しかし俺の関心事は、窓の外にも廊下の声にも無い。

 脳内は、昼休みに出会った少女、宮坂が語った事で満ちていた。


 丁寧な言葉遣いからして、良家の令嬢なのだろうか。

  ほんのりと色香すら漂うその仕草は、憂いすら感じる程に美しい。

 結局俺は、宮坂の問い掛けに答えられなかった。

 何を答えても不正解だったろうから。


「何してんだよ高望たかもちクン、相変わらず暗いなぁ」


 声の主は、このクラスにおける唯一の話し相手、市川だ。

 この市川、陰キャな俺にも普通に話し掛けてくれるのだが、たいてい話題は異性の話だ。

 しかし、だからこそ。

 今は市川の存在がありがたい。


「なあ市川」

「ん?」

「宮坂さんって女子、知ってるか」


 今までの会話を分析すると、市川は中々にチャラい。

 顔は中性的で線が細い感じだが、オーラというか、女子と仲良くなりたい欲が溢れ出ている。

 そんな市川なら宮坂を知っていると思ったのだが、ビンゴだった。


「宮坂って……ああ、あのE組のマキナ姫か。惚れたのかい?」


 マキナ、姫?

 ああ、機械ってことか。てか命名したヤツ絶対中二病だろ。


「違う。ただ、どんな奴なのかと」

「ほほー、女子に興味を持つのは良いことだね」

「だから違うって」


 俺の否定は届かないのか、市川はニヤニヤしながら頻りに頷いていた。

 が、その表情が少し固くなった。


「だが、宮坂はやめとく方がいいかなぁ」


 いつになく真剣な面持ちで、市川は語り出す。


「宮坂はすごいらしいよ。成績優秀にして超絶美少女。感情を持たない鉄面皮ながら、その美貌にやられた男子たちは既に二桁に届くらしい。しかも全員、こっぴどくフラれてるらしいよ」


 いや、違うクラスの女子をそこまで知っている市川の方がすごい。てかキモい。


「噂だと、どんなイケメンに告白されても、無理難題をふっかけて振るらしいし」


 うわぁ。あの空を飛ぶくだり、まさか全員に言ってるのかよ。


「高望クンはさ、人付き合い苦手そうじゃん。どっちかというと陰キャだし」

「まあ、認める」


 歯にきぬ着せぬ物言いだが、悪口には聞こえない不思議。

 ひとつ訂正するならば。

 どっちかではなく、完全なる陰キャを標榜しているのが俺だ。だって目立ちたくないし。


「そんなお前がだよ、いきなり宮坂みたいな完璧美少女に行ったって、難しいと思うなぁ」


 突然の「お前」呼びかよ。一足飛びに距離を縮めやがって。俺を落としにかかってるのか。

 まあいいけど、優しくしてねっ、じゃねーよ。全然よくないわっ。


「だから、そんなんじゃないっての」


 思わず溜息が漏れる。同時に市川も息を漏らした。


「しかし、高望クンも男だったんだね」

「何を当たり前のことを」

「いや高望クンさ、入学してから女子と話してないじゃん。なんなら男子もオレくらいしか話してないし」

「別に話す用事は無いしなぁ」

「そんな高望クンがだよ。女子に興味を持ったのが嬉しくて」


 ダメだこいつ、聞く耳持たないや。


「おし。ここはひとつ高望の為に、この市川大樹いちかわだいきくんが、一肌脱いでやろう」

「あん?」

「練習しよう」

「どうやって」


 まさか、市川が女装して練習台になるとか。もしそうなら言ってくれ。ダッシュで逃げる。

 しかし、市川の提案は俺の予想の斜め上をいった。


「女の子、紹介する」

「いらねぇよ」

「まあまあ、遠慮するなって」

「遠慮じゃない。断ってるんだ」

「まあまあ、遠慮するなって」

「だから遠慮じゃなくて」

「まあまあ、遠慮するなって」


 こいつ、ハイと答えるまでエンドレスなNPCかよ。


『一年C組、高望たかもち昇太しょうたくん、至急保健室までくるように』


 NPC市川のエンドレス攻撃を遮ったのは、校内放送での呼び出しだ。


「なぁんだ、先客かよ高望たかもちクン」

「は?」

「だってぇ、保健室といえばアレだよ、アレ」

「あれ??」


 NPCエンドレス市川はジェスチャーを駆使して、自身にはあり得ない巨乳をブレザーの胸に再現させる。


「ダイナマイトなバディの持ち主、養護教諭の草壁くさかべ先生さ」

「へー、じゃあな」


 一人で勘違いして盛り上がる市川との意思の疎通は不可能と判断して、俺は独り教室を出た。

 後ろから「草壁くさかべ先生によろしくなー」とか聞こえたが、まるっと全部気のせいだ。


 それよりも、今は保健室に向かわなければ。まあ、嫌な予感しかしないけれど。

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