第4話

 4.病み上がりの屋上


 大事をとって一日安静にした翌日の木曜。

 

 今日は、登校した瞬間から大変だった。

 階段から落ちたことで、いろんな奴に声をかけられた。こんなことで騒げるのは世間が平和な証拠である。

 しかし、そんな騒ぎも午前中まで。

 昼休みになると同時に、俺が脱兎の如く逃げ出したからである。


 落ち延びて往くは、いつものみち

 教室のある新校舎から、渡り廊下の先の旧校舎へ。

 手には、毎度おなじみのナポリタンドッグとメロンソーダが入った、コンビニ袋。栄養バランスなんて気にしない。


 親許を離れた俺は、現在じいちゃんで暮らしている。

 朝夕の食事は、ばあちゃんが作ってくれる。けれど煮物煮魚中心の和食は、やはりパンチに欠けていた。

 ばあちゃんの料理は美味いけど、やはり脂っこいものや洋食が食べたい。

 つまりナポリタンドッグとメロンソーダの組み合わせは、現在圧倒的に足りない洋食と脂質を安価で補える、現状で最強の昼食なのだ。


 意気揚々と屋上へのドアを開けると、初夏の風に乗って涼やかな声音こわねが運ばれてきた。


「──こんにちは」


 宮坂、だったかな。てか人の顔や名前覚えるの、苦手なんだよ。

 とはいえ、さすがに宮坂の顔は覚えざるを得ない美貌びぼうだけれど。

 てか、なんでこの女子がいるんだよ。今日もどっかの男子に呼び出されてるのか。美人ヒマなしだな。

 さて、どうすっかな。

 気持ちは回れ右したくてウズウズしているけれど、あちらさんから挨拶をされてしまった。


 挨拶は人間関係の基本とは、どっかの誰かが数話前に言った言葉だ。数話前てなんだよ。


 自慢ではないが、俺はこの数年間、異性との交流は皆無。同性すらほぼ交流が無い。

 つまり、挨拶を返すきっかけが作れない。いや普通に返せばいいのだろうけど、その普通が分からない。

 結果。


「コ、コンニチハ」


 ヘンなカタコトになった。宮坂はといえば、小首を傾げるだけで、その端正な顔には表情は無い。

 まあいい。あの時病院で見た「笑顔」だって、きっと見間違いなのだ。

 そもそも宮坂は、赤の他人。挨拶を交わしたとはいえ、あとは通り過ぎて関わらなければ、どうということは──


「お昼はいつも屋上なのですか?」


 ──おっと、回り込まれた。逃げられないとは、こいつ魔王かよ。

 しかし、会話って相手に話を振ってもらえると非常に助かるよな。それがイエスノーで答えられる二択なら、もう最高。

 というか、断じて宮坂と話したい訳じゃないけれど。


「まあ、ここが一番人がいないから」


 我ながら哀しい理由だが、真実だから仕方がない。


「そう、ですか」


 おっと、会話が終了してしまった。ちっとも残念には思っていない。

 仕方なく、いつものポジションである給水塔の陰に向かう。


一昨日おととい……」


 背後から聞こえた宮坂の声で、足が止まる。

 これは、やばいな。


 もしあの時、瞬間移動テレポートを見られていたら。


 誠心誠意話したところで、人は聞きたい言葉、都合の良い言葉しか耳に入らない。

 説得は可能かも知れないが、俺はまだ宮坂という人間をよく知らない。

 そしてあの告白の時のかたくな態度を見る限り、現状での説得は難しい。

 恐る恐る振り向いた俺に、宮坂は相変わらずの無表情、真顔だ。


「大丈夫でしたか?」


 まっすぐ俺を見据える宮坂の目が、怖い。

 やはり、見られていたのだ。


「──あなたが」


 宮坂が一言発する度に、解放的な屋上の空気が張り詰めてゆく。

 冷や汗が出る。鼓動は速くなり、目が眩む。


「ドアの陰から、ペットボトルを投げてくれたのでしょう?」


 ふっ、と空気が緩んだ。

 心なしか、宮坂の表情も柔らかく感じる。


「どうやったのかは解らないけれど、そうなのでしょう?」


 あれ。


 バレて、ない?

 しかしそんな疑問は、どうでもよくなってしまった。

 ここはもう、宮坂の発言に乗るしかないのだ。


「あ、ああ。そう、だな」

「──やっぱりそうだったんですね」


 納得したように目を伏せた宮坂は、背筋を伸ばす。

 そして、流麗な所作で、頭を下げた。


「ありがとうございます。おかげで助かりました」


 顔を上げた宮坂は、まるで恋愛映画のヒロインのような、なんとも柔和にゅうわな笑みを浮かべていた。


「……無感情じゃねぇじゃん」


 うっかり口走って、後悔する。

 気にしているのかもしれない。いや、十中八九気にしているだろう。


「わ、悪い……」

「いえ。慣れてますから」


 謝罪を受容じゅようされるも、その言葉とは裏腹に宮坂の表情はどこか悲しそうだ……ん?

 悲しそう?

 やっぱり感情あるんじゃん。なんなら感情の変化は多い方かもしれない。

 なら、何故「無感情」などと呼ばれているのか。


「とりあえず、座りませんか」


 ほんの少しの疑問。

 それを抱いてしまった俺は、宮坂の誘いを断れなかった。


 さて、座ったからといって自動的に話題が降ってくる訳ではない。

 無言の時間が続く。


「本当に、ありがとうございます」

「もう聞いたから」


 横目で宮坂を見つつ即答すると、宮坂は俯いてしまう。

 あー、こういう時にどうすればいいのか。誰か手本を見せてくれ。


「ま、まあ、単に俺が階段から落ちた、だけの話だ」

「それは、どういう事でしょう」


 こちらを向いた宮坂の瞳は、不安げに揺れて見えた。

 だけど、すまない。

 俺は平穏に過ごしたいのだ。


「余計なことは言うな、ってことだ」

「意味が分かりません。高望たかもちくんは、私を助けてくれました。何故それを隠そうとするのですか」


 立ち上がった俺は宮坂に背を向け、階段室へと向かう。


「高望くん」


 階段室のドアを開けた時、呼び止める宮坂に、ただ一つの思いを叩きつけた。


「面倒なんだよ」

「それはどういう事──」


 なおも食い下がる宮坂の声音は弱く、か細い。

 だが、俺にも譲れないものはあるのだ。


「平和に、静かに過ごしたいんだよ」


 それきり宮坂の声は無く、俺は屋上から去った。

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