第6話

 6 銃を構えた猫


 放課後というより、もう夕暮れである。

 俺は保健室に呼び出されていた。

 無事である事は、今朝一番で報告に行ったのだが。

 その放課後に再び呼び出しとは、養護教諭の草壁くさかべ先生はそんなに俺が好きなのか。

 ありもしない可能性を探りながら、背を丸め、昇降口へ向かう生徒たちの波に逆らって歩く。


 帰りたい。

 用事が無い場所にいる事は、ストレスになる。

 いや厳密にいえば用事はあるのだが、それは草壁先生の用事であって、俺の用事ではない筈だ。


 考えながら歩くうちに、保健室の前に着いてしまう。

 入口の引き戸に手を掛けたところで、手を止める。


 中から話し声がした。


 なんだー、先客かー。

 きっと忙しいだろうし、また出直すことにしよう。


「構わない、入って来なさい」


 引き戸の磨りガラスに影が映ってしまったか。

 今度からはスパイの様に慎重に行動しよう。


「失礼、します」


 中に入ると、夕陽のオレンジが目に眩む。

 目を細め、徐々に焦点を合わせいく。


 事務机には草壁くさかべ先生が。

 その向こうには、オレンジの逆光をまとった宮坂えりかが、座っていた。


 宮坂は、俺を見て、微かに微笑んでいる。

 少なくとも、俺にはそう見えた。見えてしまった。


 ──綺麗だと思った。


 普段は表情を見せない宮坂が、微笑んでいる。

 その表情が夕陽のオレンジと相まって、柔らかくも神秘的な美麗さを感じさせる。


 一方、ふと数時間前──昼休みの会話を思い出してしまい、ほんの少しの気まずさを得てしまってもいた。


「こんにちは、高望たかもちくん」


 初手を迷っていると、宮坂が先に口を開く。

 数時間振りに見る宮坂えりかは、屋上で会った時よりも少し幼く見えた。隣に座る草壁くさかべ先生が余りにも大人の魅力を振り撒き過ぎるせいもあるのかもしれない。

 その草壁くさかべ先生が、俺を促す。


「ほら高望、挨拶は」

「あ、ああ。こんにちは」


 曖昧な返事を返すと、草壁先生が笑い始める。


「見ろ、宮坂。キミよりコミュニケーション能力が低い奴がいるぞ」

「ですから先生、それは個体差の問題と先程から……」


 個体差って。フォローのつもりですかね、それ。


「で、何の用ですか。体調の報告なら、今朝済んでいると思いますけど」

「まあまあ、いいじゃないか。どうせ暇なのだろう」


 人の予定を決めつけるのは良くないですよ、先生。

 たしかに用事はありませんがね。今日も明日も明後日も。


「そうだ高望、宮坂にお礼は言ったか?」

「草壁先生、その話は」

「ん、いいじゃないか。実際にキミは高望を助けたのだから」


 そうだ。

 俺は、ただ何もなく階段から落ちた。対外的にはそういう事にして欲しいと、昼休みに宮坂に頼んだばかりだ。

 ならば、俺は宮坂にお礼を言って然るべきなのである。


「ありがとうございました、宮坂さん」


 表情を見られないように、深々と頭を下げる。


「ふむ。で、理由を聞こうか。高望、それに宮坂。何故あの時、屋上にいた」


 決して詰問ではない。けれど、草壁くさかべ先生の目からは、虚偽を許さぬ強さを感じた。

 仕方なく、俺は「俺の真実」を話す。


「俺、いつも屋上で昼メシ食べてるんですよ」

「宮坂と、か?」

「ふえっ!?」


 意地悪な笑みを浮かべる、草壁くさかべ先生。その横では、宮坂が変な鳴き声を上げた。

 確かに、学年随一とも言われている美少女様からすれば、俺みたいな陰キャと一緒に昼メシを食べていると思われるのは心外だろう。


「冗談でしょう。常に一人ですよ、俺は」

「今は二人じゃないか。いや、私を含めたら三人か」


 冗談のつもりなのだろうか。草壁先生は、肩と胸を揺らして笑っている。


「揚げ足取りは勘弁してください。他に用事が無いなら、これで」

「まあ待ちなさい」


 俺を引き止めた草壁先生は、椅子を指して着席を促す。

 仕方なく座ると、草壁くさかべ先生は立ち上がり、奥の戸棚へ向かった。


 とりあえず、状況を把握したい。


「宮坂さん、どういう事なんだ?」


 なるべく普通の表情を作って問いかけるも、宮坂は俯いてしまった。

 そうですか視線を合わせるのも嫌ですか帰っても良かですかね。


「宮坂は、私が呼んだのだよ。キミのことを聞きたくてね」


 草壁くさかべ先生は、俺にコーヒーカップを差し出して笑う。


「で、宮坂から話を聞いていたのだが……どうせなら本人を呼び出してしまおうと思ってな」


 どうやら草壁くさかべ先生と宮坂は、普段から会話をする仲らしい。

 にてしもだ。何故その話題が俺なのだろう。

 まさか、やはり草壁くさかべ先生は俺を……と思うほど俺は単純ではない。


「だが、キミがどういう人物か、なんとなく解ったよ」


 そういう草壁くさかべ先生の笑みは、宮坂に向けられた。

 宮坂は、所在無さげに身を縮こませて、両手でコーヒーカップを抱いて俯いている。


「いやぁ、初々しいなぁ。コンチクショー」


 高笑いを上げた草壁くさかべ先生の言葉は、とても教師のそれとは思えない。

 何となくバツが悪くなって、手持ち無沙汰の解消にコーヒーを啜る。

 うげ、苦げぇ。

 炭酸も甘みもない、黒い液体。こんな物をよく大人は好き好んで飲むものだ。

 現に、草壁くさかべ先生は美味そうにコーヒーを飲んでいた。

 俺ももう一口、コーヒーを飲んでみる。

 やっぱ苦げぇ。


「先生、お砂糖を」

「あ、ああ、すまん。高望たかもちはお子ちゃまだったか」


 宮坂によって出された助け舟のおかげで、スティックシュガーをゲットだぜっ。

 口を千切って、スティックシュガーを二本ばかりコーヒーにぶち込むと、ようやく飲めるようになった。

 それを笑って見ていた草壁くさかべ先生は、事務机の一番下、大きな引き出しを開ける。


「ほら、これをやろう」


 取り出したのは、ノート。

 猫が銃器を構えたキャラクターが描かれた、男子高校生が持つとは思えない、微妙なノートだ。


「どうだ、かわいいだろう」


 確かに猫のイラストは可愛らしい。しかし何故銃器を持たせる必要があるのだ。


「平和の象徴である猫が、ブラックライフルを構えている。何とも可愛らしいじゃないか」


 すみません、そのセンスまったく分かりません。

 何故、草壁先生がドヤ顔を向けてくるのか全然理解できない。


「いや、俺こういうのは使わないです」

「いいから、持って行きなさい」


 はあ、どうしよう。

 とりあえず開いてみると、中のページ一枚一枚にもライフルを構えた猫がいた。


「どうだ、中々に凝っているだろう。表紙で構えているのはアーマライト製のARー15だがな、次のページではM16A2を」

「わかんないので結構です」


 ドヤ顔で語りだす草壁くさかべ先生を遮って、ノートを閉じる。草壁くさかべ先生は、ちょっと悲しそうだ。


「これ、何の教科につかえばいいんですかね」

「何でもいいさ。自由に使えばいい。例えば日記とか」


 日記、ねえ。

 このSNSが溢れ返るご時世に、なんてアナログなモノを。


「宮坂さんにあげればいいじゃないですか。きっと似合いますよ、こういう可愛らしいの」

「いえ、私は……」

高望たかもち、これはキミのモノだ。一行でもいい、毎日何かを書いてみなさい」

「書いて、どうするんですか」


 俺は、草壁くさかべ先生の目をじっと見る。草壁くさかべ先生も、俺をじっと見ている。

 見る。見ている。

 見る。見てい……あ、目を逸らした。

 よし勝った。じゃなくて。


「ま、まあ、とにかくだ。キミは絶望的に他者とのコミュニケーション能力が欠如しているからな。まずはこのノートに、日々あった事、感じた事を書いてみなさい」


 うわーこの人、言いにくい事をズバリと言ったよ。


「いや先生、俺はそもそもコミュニケーションはとらない主義でして」


 コミュニケーションなんて、挨拶が出来れば十分だ。俺の場合、その挨拶をする相手もいないのが難点であり、利点だな。


「自分の足跡そくせきを残す事は、案外大事だぞ」

「はあ……」


 まあ、とりあえず受け取っておこう。自由に使えってことは、別に使わなくてもいいということだ。


 区役所のスピーカーから、午後五時を報せる放送が流れる。西日も弱くなっている。

 この機を逃さんとばかりに、保健室からの脱出を試みる。


「じゃあそろそろ俺は」


 ノートをしまい込んで、保健室を辞去しようとした俺を呼び止めた草壁先生は、ひとつ咳払いをする。


「よし、じゃあ……宮坂を送ってやってくれ」


 え、なんで?

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