第2話

 2 病院にて


 ──消毒液の匂いがした。

 直後、眩しさを感じて目を開ける。


「──した?」


 柔らかな声音が、耳に心地よい。


 寝たまま視線を動かすと、クリーム色のカーテンが見える。

 そして俺を見つめる美少女──え?


「気がつきました?」


 ええっ!?

 なんだ。なんだこの状況。

 跳ね起きて、辺りを見回す。

 カーテン、美少女。

 ベッド、美少女……は?

 ど、どういう状況だ。


「ここは病院ですよ。もしかして、覚えていないのですか?」

「え、病院?」


 あ。

 そうだ!

 俺は階段から落ちて……あれ?

 何処も痛くない。

 それどころか、ケガすらしていない。てか、おめめパッチリ、頭スッキリ!


 ……ははーん、さては俺、寝てたな。


 ならばやることはひとつ。


「──おはよう、ございます」

「えっ、は、はい……おはようございます」


 上体を起こして、ベッド脇の、名も知らぬ美少女にペコリと挨拶をする。挨拶は人間関係の基本らしいからね、聞いた話だけど。

 さてさて。まずは現状の把握からだ。


 俺氏、階段から落ちる。

 意識を失って病院に運ばれるも、幸いなことに無傷。


 ……で、誰だこの女子。


「あ、あの、どちら様でせうか」

「なぜ歴史的仮名遣いを……」


 あ、そっちに食いつかれた。やはり乙女心は難解ですわニャンコ先生。


 ふわりと風が起きて、ベッドを囲っていたカーテンが勢いよく開けられた。

 一瞬ビクッとなりかけたが、そこは持ち前の明るさで乗り切……あ、絶対的に明るさ不足でしたね。


「なんだ、驚かないのか」


 開いたカーテンの向こうに立っていたのは、白衣の女性だった。


「私は修練を積んでいるので大丈夫です。ですが、ベッドの彼はビクッと」

「してない。断固として驚いてなんかいないから」


 なんなんだこの女子は。洞察力が鋭すぎる。さては同類、ボッチだな?

 いや待て、はやまるな。

 こんな美少女がぼっちな筈は無い。きっと百人の友だちとお山の上でおむすびを食べているに違いない。


「ふむ。もっと大きなリアクションをしても良かったんだぞ?」


 白衣の女性は、つり上がった口角を見せつける。

 嫌です遠慮します。階段から落ちて搬送された上に熱々のおでんとか無理ゲーです。あとその笑顔は怖いです羅刹みたいで。

 が、その恐怖の笑顔は、不意に消えた。残ったのは、柔らかな笑み。


「では、あらためて──気がついてよかった」


 落ち着いた声音とともに、白衣の女性の背中でカーテンが閉まる。

 薄い口唇に、銀縁の眼鏡。その奥に光るは、理知的な瞳。

 見た目だけならインテリジェンスの塊みたいな女性だ。さっきの羅刹の笑みを見る前なら、間違いなく好印象を抱いていただろう。


 白衣の女性は、ペンライトをひねって俺の目に向けてくる。眩しさに思わず顔を背けると、頬に手を当てられて、柔らかくたしなめられた。

 余談だけど、白衣から覗いている女性の象徴たる双丘の迫力がすごい。本当に余談だった。


「状況は、分かるかね?」

「いえ、あ、えーと」

「ふむ、少し顔が赤いな」


 何も返せずに、視線だけを逸らす。

 決して、顔が赤いのはあなたが不用意に触ってきたり胸元のスライムを揺らしたせいだよ、などとは言えない。

 恥ずかしくなって再度顔を背けると、ベッドの脇に腰掛ける美少女と目が合う。こっちはこっちで可愛いなオイ。このまま直視し続けば、おいらの眼球丸焦げさ。


「君はな、高望たかもち


 ベッドに座る俺の目線、その高さに合わせるように、白衣の女性は屈んで顔を寄せてくる。奇しくも豊かな胸元をより強調する姿勢だ。


「旧校舎の、屋上へ続く階段の踊り場。君はそこに倒れて、いや、寝ていたのだよ。そうだな、宮坂」


 宮坂──そうだ、思い出した。今俺から視線を逸らした女子は、屋上で男に言い寄られていた女子か。

 それを猟師が鉄砲で、もとい俺が能力ちからで助けようとしたんだ。結果はご覧の通りだけど。

 ま、見る限り、ケガなどは無いようだ。

 てか露骨に視線を逸らされると、いくら陰キャの俺でもちょっとだけ泣きたくなる。

 泣かないけどね、男の子だし。

 まあいい。どうせ俺にとっては、違う世界の住人だろう。

 その異界の民たる美少女は、咳払いひとつ、説明を始めた。


「はい。この男子は階段の踊り場で、それはもう、すやすやと健やかなる寝息を立てていました」


 ちょっと待て。健やかだと勝手に決めつけないで欲しい。極めて健康体だけど。

 というか。

 そういう設定なのかな。

 あくまで俺は、階段の踊り場で惰眠をむさぼっていた、ヘンなヤツと。


 安心しなされ。我輩わがはいはそこそこカンのいい男だ。

 きっと大事おおごとにしたくないのだろう。それはむしろ望むところだし、テレパシーこそ持っていないが、その程度の口裏合わせくらいはお茶の子さいさいである。


「それにしては、あの時の宮坂の慌てっぷり、いや、壊れっぷりは……」

「そ、その話はどうか御内密に……」


 なんか今、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。

 この宮坂さんが慌てて、壊れてた?

 どういうことだ。

 繋がらない。点と点がてんでバラバラだ。


「で、だ。高望昇太。とりあえず異常は無かったようだが……念の為に明日は休みなさい。担任には伝えておくから」

「はい……え」

「ん、どうした」


 どうした、じゃないやい。担任に連絡って、最近の病院はそこまでサービスしてるの?


「いや、病院のお医者さんが、そこまでしてくれるとは思わなかったもので」

「──どうして私を医者だと決めつけていた?」

「いや、だって、病院で白衣着てたら、どう考えてもお医者さんでしょ」



 あ、あれ。


「ふふふ……残念でしたっ」


 白衣の女医は、仁王立ちに腕組みで、固いベッドに横たわる俺を睨む。

 その端正な顔立ちが、次第にニヤけてゆく。


「私は、県立清水総合高校の養護教諭、草壁真弓。趣味はサバゲー。ちなみに彼氏募集中だ」


 は、はい?

 学校の先生?

 てか趣味とか彼氏募集中の情報、今いる?


「ったく、春の身体測定の時に顔を合わせてる筈だぞ。それとも何か、こーんな美人のお姉さんの顔を忘れたのか?」


 いや、いやいや。

 全然まったく微塵も覚えてない。なんならずっと下を向いてた記憶しかない。

 しかし、草壁先生か。胸元は全然壁じゃない。特に下から見上げると……げふんげふん。


「高望。キミは今、何かすごーくよこしまな事を考えてなかったか?」

「い、いえ。特には」


 嘘である。俺の視線はバッチリ草壁先生の胸元を捉えていた。むしろその胸が草壁先生の本体なのではと考えているほどだ。


「何年も青少年たちの相手をしているとな、なんとなく考えが透けて見えるのだよ。ま、こーんな美人のお姉さんだから、仕方ないけどなっ」


 あっ、わかった。この先生面倒な人だ。

 でも、まあ美人なのは事実だから仕方ないか。


「先生、そろそろ……」

「ん、ああ、そうだな。じゃあな高望、お大事にな」


 草壁先生に続いて、宮坂という女子がカーテンの向こうへ退出する。

 二人を視線で見送った俺は、固い枕に頭を落として、天井を見上げる。


 しかし、宮坂って女子。

 客観的に見ても容姿は整っていた。結構あの手のトラブル、多いんだろうな。

 まあ陰キャの俺には関係ない世界だけど。


「あの」

「ひゃい!?」


 あー、びっくりした。なんだ、さっきの宮坂って女子じゃないか。


「忘れ物か」

「いえ、その、これを」


 宮坂という女子は、胸に抱いていた何かを押し付けて、くるりときびすを返した。

 呆然とする俺に宮坂という女子は、長い黒髪のかかった肩越しに、微笑みを向けてくる。


「では、また」


 帰りしなに宮坂が押し付けていったのは、屋上で俺が飛ばしたのと同じ、ペットボトルの中のメロンソーダだった。


「宮坂、か」


 少しぬるくなったペットボトルを一口飲むと、少しだけ余計に甘く感じた。


 ──てか能力ちからバレてんじゃん!?

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