第6話「大泥棒現る」
けたたましい非常ベルの音が辺りを包んだ。周囲の人々は、何事かと逃げ惑う。眼前には仮面の男が立っていた。私はこの人をどこかで――……。
「茉白さん、起きてください」
「……ん」
「家に到着しましたよ」
「っわ、私寝てましたか!?」
「お疲れのようですね、幸い明日は休みなので今日はゆっくりお休み下さい」
そう言って、天路さんは後部座席のドアを開け、私に手を差し出す。やっと少し慣れて来たこの行為にも、彼の上品さが見て取れて、私は頬を赤く染めるのだった。
家に入ると何やら九条さんが慌ただしくどこかに電話を掛けていた。私たちが帰ってきたのも気付かない様子で、電話の相手と真剣な話をしている。
邪魔にならないよう、私は自室へと向かった。
鞄を机の上に置き、一息つく。ここ数日は深夜まで勉強をしていた。試験の日が近付いているからだ。
すっかり自分の色に染まった部屋を見渡して、私はこの部屋へやって来た時の事を思い出した。がらんとした部屋で、ベッドと机以外何もなく、殺風景で物悲しく感じたのを覚えている。今ではぬいぐるみや画材道具、教科書など様々なものがこの部屋を占領していた。
コンコン、とノックの音がしたので何事かとドアを開けた。
「神凪さん。お帰り先ほどは悪かったね」
「いえ、お仕事中だったんですよね。大丈夫です」
「君にも一応話しておきたいからリビングへ来てもらえるかな?」
「? はい」
私がリビングへ向かうと既に天路さんがいてソファーに腰かけていた。私は天路さんの隣に腰かけ、目の前の九条さんを見つめる。
九条さんは一枚の封筒を机の上に置いた。中身を取り出すと、そこにはパソコンでフォントを様々に変えた文字でこう書かれていた。
≪今宵、二十三時
花江泰斗の絵画を頂く 怪盗Ark≫
怪盗Ark――その名前には、なんとなく聞き覚えがあった。確か、数年前にテレビで特集が組まれた大泥棒だ。彼が盗む物は、必ず正しい持ち主の元へ戻るという内容だったと思う。それに、仮面から覗く瞳がとても印象的で、一時期写真集が発売され、女性ファンが殺到したとニュースになっていた。
「最近は形を潜めていたようだけれど、また現れるようだ」
「どうして九条さんの家に手紙が?」
「……ちょっと彼とは因縁があってね」
「花江泰斗というと、現代美術を代表する方ですよね?」
「……ふふ、神凪さんはさすが美大生だね。彼の作品は絵画がとても有名だ。その作品はオークションでも高値がつくほどで、高価なものが多い」
「何故、Arkは花江泰斗の作品を……?」
天路さんが腕を組んで考え込む、それを横目に九条さんは小さく笑った。
「俺への宣戦布告としか思えないな」
「宣戦布告……?」
「まぁ、これは俺と彼の問題になりそうだ。とりあえず警察には連絡も入れてある。今晩は帰れそうにないだろうね」
「あの、私も着いて行っていいですか?」
九条さんと天路さんは顔を見合わせた。
午後十時三十分。国立美術館三階展示室――……。
私と九条さん、天路さんは予告のあった絵画の前で立ち止まった。辺りは厳重な警備が敷かれ、ネズミ一匹通さない程だ。
私は今回盗難予告された絵画を見つめる。初めて九条さんと会った時に見ていた絵画だ。あの時、九条さんは作者である花江泰斗を知り合いと言っていた。という事は、彼もここへ来るのだろうか。九条さんに尋ねてみたが、要領を得なかった。
「お早い到着だな、龍麻」
「張間警部、お久しぶりですね」
張間警部と呼ばれた男性は、無精髭を生やし、銜え煙草を吹かしながらこちらへと近づいてきた。体格がよく、背も高い。九条さんより背の高い、天路さんと並んで同じくらいだから百八十はあるだろう。年も四十代前半といった所だろうか。
「そちらの嬢ちゃんは?」
「彼女には今回から仕事を手伝ってもらってる俺の助手ですよ」
「初めまして、神凪茉白です」
「あぁ、俺は張間だ。龍麻が助手を雇うなんて珍しい事もあるもんだな」
「まぁ色々ありましてね」
「今日こそアークの野郎を捕まえてやるからな! お前も頼むぞ」
「解っていますよ。張間警部のアーク熱は相変わらずですね」
刻一刻と時間が近づいてくる。その間にも、美術館前には野次馬がどんどん殺到していた。張間警部が言うにはネットで情報が漏れ、それを見た人達が集まってきているのだろう、という事だった。
中には、Arkの熱狂的ファンである女性達――通称“Arker”――も駆け付けていて、警察は、彼女らの警備にも時間を割かれている。あっという間に犯行時刻である二十三時三十分になった。
張間さんの近くに警察の人が駆け寄り、何やら耳打ちをした。張間さんは苛立ちを隠さずに舌打ちをして、銜えていた煙草の火を携帯灰皿でもみ消した。
九条さんにこの場を任せると告げ、張間さんは展示室を後にする。残されたのは数人の警察官と、私たちだけだ。
「さて、そろそろ正体を明かしていいんじゃないかな?」
「え?」
九条さんはそう言って、警備の警察官一人を見つめた。彼は花江泰斗の作品に一番近く配置されている。警官が素早く絵画を壁から外す。するとすぐにけたたましい防犯ベルの音が美術館全体を包み込んだ。
「やはり九条龍麻、君は油断ならないな。けれど、俺の勝ちだ」
「なっ……!?」
Arkは警察の服装から一瞬にして黒スーツに身を包んでいた。顔は仮面で隠してある為、窺う事が出来ない。そうして、一番近くにいた私を人質に取り、じわりじわりと窓際へ移動する。
「……茉白さんを離してください」
九条さんよりも早く、天路さんが動いた。天路さんの長い脚がArk目掛けて飛んでくるがArkはそれをひらりと交わし、私を抱きかかえる。
「わぁ、とっても軽いね」
そう微笑まれて、私は思わず赤面した。彼の瞳に既視感を感じたが、どこでそれを見たのか思い出せない。
「もう少しお姫様との時間を満喫したいけれど……これを、届けなくてはいけないから。またね、俺のお姫様」
そう言って私の手の甲に口付ける。それは一瞬の事で、私はただ彼が去って行った窓を見つめる事しか出来なかった。
「茉白さん大丈夫ですか!?」
天路さんが心配そうにこちらに駆け寄ってくる。私の両手を取り、怪我がないか確認してくれた。
「私のせいで絵が盗まれてしまって……ごめんなさい……」
「貴女が無事なら私はそれで……っ」
「今回は彼にしてやられてしまったけれど、次はそうはいかないさ」
九条さんは感情の読めない表情でそう呟いた。
部屋の外からは、張間さんの怒号が聞こえる。今回もArkを逃してしまった事を悔しがっているようだった。
私は天路さんに肩を抱かれ、展示室の外の椅子に腰かける。九条さんが自販機から暖かい紅茶を買って来てくれて私に手渡してくれた。
「大丈夫かい?」
九条さんが心配そうに私を除き込む。私は頷いてもらった紅茶のふたを開けて一口胃に流し込んだ。ホッとするその味に、安堵の息を漏らす。
「……檀、少し頭を冷やして来い。酷い顔をしてるぞ」
「ッ……すみません、龍麻様……行って参ります」
天路さんはフラフラと男子トイレへと歩いて行った。
「天路さん、大丈夫でしょうか?」
「……奴も、色々抱えているからね、それが君に重なったんだろう」
「そう、なんですね」
辺りは警官が行ったり来たりして忙しない。けれど、私と九条さんを包む空気はどこかゆっくりしていた。九条さんは先ほどから私の前で跪き、私の顔を除き込んでいる。恥ずかしくて視線を合わせる事が出来ない。
「あの、もう大丈夫ですから、その……」
「……君は、Arkを知っているのか?」
エメラルドグリーンの瞳が、私を鋭く見つめていた。
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