第5話「運命の相手」
桜の季節がやって来て、また新しい一年が始まった。
大学では相変わらず新入生を獲得しようと、各サークルが鎬を削っている。二十以上あるサークルは、美大だけあってどれも個性豊かだ。私も入学当初はどのサークルに入ろうか、とても悩んだのを覚えている。
迷いに迷った結果、私は茶道サークルに入部した。抹茶は昔から好きだったので、日本文化に触れてみたいという思いもあったからだ。
茶道サークルは週に二回、専門の先生を講師に招いて、着物を着付け、本格的に抹茶を立てる。その厳かな雰囲気も、凛とした空気感も私はとても好きだ。
新入生にもこの楽しさを味わってほしい、そう思って今回初めて新入生呼び込みを志願した。
けれども、やはり私では他のサークルの人たちの声にかき消されてしまい、勧誘することさえ困難に思えた。どのサークルの部長も皆、臆することなく新入生に声を掛けている。
サークル勧誘に敗北してしまった私は、人の波から抜け出して、ベンチで一人溜息をついた。
「あの、茶道サークルの方ですか?」
「え、あ、はい!!」
「見学、いいすか?」
金髪に染めた髪の毛に、こげ茶色の大きな瞳、まだあどけなさの残る童顔の彼は、少し困った様に小首を傾げた。その仕草が小動物――とくに小型犬――を連想させる。
その仕草に私の緊張も解け、自然に笑みがこぼれた。
「案内するよ、こっち」
「ありがとうございます!」
彼は、服飾学科に今年入学した
彼のコロコロと変わる表情に癒されながら歩いていると、すぐにサークル活動をする部屋の前についた。私は部屋の鍵を開けて彼を中に通す。
部屋の中は八畳ほどの畳が敷いてある。これは、茶道サークルが出来た頃に、OBの方たちが、無機質なコンクリートの床だった上に畳を敷き詰めて作ったお手製の和室だ。
この手作り感が私はたまらなく好きだ。先輩たちの愛情を感じることができ、お茶と真剣に取り組んでいた姿が容易に想像できるから。
「これ、入部届、渡しとくね。無くてもいいんだけど、しきたりとして入部希望者には全員お願いしてるから」
「解りました! 今書いてもいいですか!」
「え? うん、構わないけど……」
サークル活動の内容など聞かなくていいのだろうか? そんな事お構いなしに、柏木君はスラスラとペンを走らせる。そうしてそれを書き終えると、私に手渡してくれた。
「ありがとう。じゃあこれは受理しておくね」
「あの、先輩!」
「え?」
急に柏木君が私の両手をきゅっと握りしめて来る。
「あの、一目惚れしました!!!! 好きです!」
「っえぇぇ!?」
あまりに急な展開に頭が着いて行かず、しかし咄嗟に捕まれていた手を引っ込めた。ビクビクする私に柏木君は、不安そうな顔をして手を左右に振る。
「ご、ごめんなさい! 怖がらせるつもりじゃなかったんです! あの、本当に俺神凪さんの事好きになっちゃって……急でスミマセン」
「あ、その、私ビックリして……えっと……」
「俺、誰かを好きになったのって神凪さんが初めてで。好きだって思ったら言わなきゃ伝わらないと思って……だから、キモイとか思ったら全然言ってくれていいんで……」
「そんなことないよ。好きって言われるのは嬉しいよ。ただ、まだ出会ったばかりだから貴方の事もよく解らないし」
じゃあ、と柏木君が大きなこげ茶の瞳をキラキラさせる。
「俺にもチャンスあるって事ですよね! 良かったぁ~」
手汗かいちゃいましたよ、と安堵したように笑う。こういう風に、素直に感情を表現できるのは素敵だな、と思った。
私も、彼のようにもっと自分の気持ちを周りに伝えられるようになりたい――そう思った。
「神凪さん、今度俺と出掛けてくれませんか!」
「え? どこに?」
「それは俺に任せてください! ばっちりエスコートして見せます!!」
こうして私は、柏木君と出掛ける約束をした。その後は、サークルの説明をざっとして今日はもうお開きにしようという事になった。
大学の廊下を歩いていると、見知った顔を見付け、相手もこちら気付いて手を振ってきた。
「茉白、今サークル終わり?」
「桜智さん、うん、今終わった所。そっちは講義終わり?」
「そ。……てか、隣の小動物は何? 新しい付き人?」
「彼は新入生だよ。うちのサークルに入りたいって」
「へぇー! 茶道サークルになんて入る物好きいるんだね!」
それは言い過ぎだよ……。
そんな会話をしていると、柏木君が少し遠慮がちに話に入って来た。
「あの、俺神凪さんに一目惚れしちゃったんですよね、だから茶道のこと、本当は全くわからないんです。あ、でもサークルは真剣に取り組ませてもらうので!!」
「……あはははつ!! 何コイツ! 茉白目的!? ウケ、ウケる……いや、茉白は確かに可愛い顔してるし、いいと思うよ? てか、あたしはあんたみたいにドストレートな子嫌いじゃないわ!!」
バシバシと桜智さんが柏木君の背中を叩く。あまりの強さに柏木君が咳込むが、それを無視して桜智さんはニヤニヤと柏木君に近付き、肩に腕を回した。
「んで、返事はどーだった? まぁ、茉白の事だから馬鹿真面目に考えて答えたんだろうけどさ」
「ハハハ、まだ会ったばっかりだからって言われちゃいました」
「だろうねー。あたしも茉白とつるむようになってこいつは堅物だわって思ったもん」
「ち、ちょ、二人とも……」
周りの視線が痛かったので、そのくらいにしてもらおうと止めに入る。桜智さんは柏木君から離れて私のところへやって来て、あれはめげないタイプだよとこっそり呟く。
それならば、私も本気で彼と向き合わなくては、と身が引き締まる思いだった。
大学の正門前で柏木君と別れ、私と桜智さんは、天路さんの待つ駐車場へと向かった。
鍋パーティーの一件から桜智さんはだいぶ元気になっているようだったが、天路さんと話すのはどこかぎこちない様子だった。
桜智さんが天路さんに告白した事を私には話してくれていないので、私から聞くような事はしない。いつかきっと話してくれるだろうと私は思っている。
「では、また明日」
「ありがとうございました。茉白、また明日ね」
「うん、また明日!」
桜智さんを家まで送り届けて別れた後、天路さんはゆっくりと車を加速させた。
窓から見える景色が高速で流れていき、私は何気なしにそれを見つめる。高層ビル群がゆっくりと後ろに流れるのを眺めていると、天路さんが声をかけてきた。
「新入部員、入って来てくれて良かったですね」
「え……?」
まさか、指輪で会話をすべて聞かれただろうか、ドキリと心臓が跳ねる。何か悪いことをした訳ではないのに、言い訳を考えている自分がそこにいた。
「すみません、プライベートな内容を聞かれるのは嫌ですよね。ですが、これも仕事ですので……」
「……そう、ですよね。私は大丈夫です」
仕事。そう、天路さんにとっては、"私と一緒に居ること"が仕事なのだ。そう思うと、胸がぎゅっと締め付けられる。チクチク痛くて仕方がない。
もうはっきりと自覚してしまった。これは――恋だ。
私は、天路さんの事が好きなのだ――……。
「茉白さんは、ご自分に運命の相手がいるのでは、と思った事はありますか?」
「え?」
突拍子もない質問に、一瞬頭がフリーズする。運命の相手? 天路さんは何の話をしているのだろう。
訳が分からずにいると、天路さんは少し咳払いをして、続けた。
「私は、いますよ、運命の相手。ですが……」
「……どうしたんですか?」
「いえ、彼女との約束は守れそうにありませんから……きっと、私は運命の相手失格なのだろうな、と」
伏し目がちに話す天路さんがとても悲しそうに見えて、私はどう返事をしていいか解らなかった。
ただ、彼の運命の相手になりたいなと強く思ってしまったのだった。
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