第4話「おもてなし」
桜智さんとの一件から一か月が経ち、平穏な日々を送っていた。街はすっかり春の装いでトレンチコートや薄手の上着を着ている人が目立つ。
今日は休日で、夕飯に桜智さんを招待することになっている。事の発端は、桜智さんが大学の帰りに天路さんに言った一言から始まった。
「みんなで鍋パーティーしませんか!?」
「鍋、ですか?」
「ちょっと暖かくなってきましたけど、まだまだ夜は冷えるので、みんなで集まって温まるのはどうかと思いまして!」
桜智さんがキラキラした瞳で天路さんに説明する。彼女の綺麗に染まった金髪の長い髪がサラサラと揺れてふわりとシャンプーの香りがした。天路さんは少し悩んだ後に、ルームミラーの中に映る桜智さんを見つめながら口を開いた。
「私の一存では決められませんので、主に確認してみます」
「よろしくお願いします! 茉白からもお願いね!!」
「う、うん、私からも聞いてみるよ」
「ありがとう!!」
がしっと両手を掴まれて、更にキラキラした目で私を見つめて来る。彼女の必死さが伝わって来て、私は苦笑いするしかなかった。
「お邪魔します」
夕方十七時半、桜智さんが九条家にやって来た。彼女の少し派手な服装に、私はドキリとした。ベージュのオフショルダーニットワンピースに、白のスニーカーと恰好はラフなものだが、露出度が高い。同性の私でもドキッとしてしまうのだから男性もそうなのだろう。
「いらっしゃい。君が桜智さんだね」
九条さんはいつもと変わらぬさわやかな笑顔で桜智さんを招き入れた。桜智さんは靴を脱ぎ、綺麗にそろえてから部屋へと続く廊下を九条さんに案内されながら歩く。
「桜智さん、いらっしゃい」
「茉白、話には聞いてたけど、あんた凄い家に居候させて貰ってるのね」
「うん、私も最初は驚いたよ」
「桜智さん、いらっしゃいましたか」
キッチンに立っていた天路さんが、リビングルームにやって来る。桜智さんは、私の後ろに少し隠れるようにして天路さんに挨拶をした。桜智さんの方が、私より背が高いので、上手く隠れる事が出来ないのは解っている筈だ。それでも緊張しているのだろう。可愛らしいな、と思い私はこっそりと笑みをもらした。
「今日は無理言ってしまってすみません」
「いいえ、龍麻様も大歓迎という事でしたので、私も歓迎致しますよ」
「ありがとうございます」
「準備は滞りなく出来てはいるのですが、食材で足りないものを買い足しに行かなくてはならないのですよ」
「あ、だったらあたしも一緒に行きます」
「そうですか? ではお願いします」
桜智さんは荷物をソファの脇に置いて、急いで天路さんの後を追う。天路さん達は近くのスーパーへ行く旨を九条さんに伝えて出掛けて行った。
「さて、準備はほとんど檀がやってくれているから俺たちは残っている材料を切ろうか」
「はいっ」
「……俺には、よくわからないんだけれど」
「……はい?」
「神凪さんは、檀の事を想ってくれてる、のかな?」
「え、っとあの……よく、分からないんですけど、天路さんが桜智さんと話しているのを見ると何だか胸のあたりがざわざわするというか……」
「そうか、俺は二人お似合いだと思うよ」
「えっ!?」
赤くなる私をよそに、九条さんはてきぱきと材料を切り始めた。ぶんぶんと左右に首を振り気持ちを入れ替える。急いで九条さんの隣に立ち、白菜を手に取った。ずっしりと重たいそれは、見るからに美味しそうだ。私は包丁を手に取り白菜を手際よく切っていく。九条さんの方を見ると、肉団子の種づくりをしているようだ。
「私の家はいつも市販の物を買って来て入れていたので、なんだか新鮮です」
「うちは檀が来てからは手作りだね。あいつ、凝り性だから」
「そうなんです……痛っ」
手元を見ると、指先から赤い血が流れていた。よそ見をしていて切ってしまった。急いで冷水で手を洗う。「ちょっと待ってて」という九条さんは、棚の中から救急箱を取り出して来てくれた。
「指貸して」
「あ……」
九条さんは私の指を手に取り、切った箇所に絆創膏を巻いてくれた。その絆創膏を見て、私は目を疑った。なんと、可愛らしい猫のイラストがプリントされているではないか。
意表を突かれて、私は絆創膏と九条さんを交互に見つめた。それに気付いた九条さんは苦笑してこんな昔話をしてくれた。
「昔ね、檀が俺にこれと同じ絆創膏を巻いてくれた事があってね、あの時の檀は可愛かったな」
クスクスと笑う九条さんは、凄く懐かしそうに話してくれた。とても大切な思い出なのだろう。まだ同じものを持っているなんて、と可笑しそうに笑った。
「……煖の気持ちは解らないけれど、神凪さんのその気持ちは大切なものだから、焦らずに育てていけばいいと俺は思うよ」
「! はい、ありがとうございます……」
「さて、続きをやってしまおうか」
それから私たちはすべての材料を切り終えて、カセットコンロや食器の準備を終えた。タイミングよく、天路さん達が帰って来る。
「龍麻様、只今戻りました」
「あぁ、ありがとう。準備委をしておいたよ」
「! すみません、急いで残りを準備しますので……」
天路さんは急ぎ足でキッチンへ向かう。桜智さんは先ほどから何もしゃべらない。どことなしか元気がないように見える。
「桜智さん、どこか具合悪かったりする?」
「え!? 大丈夫だよ、意外と荷物が多かったからちょっと疲れたのかなー」
「そう? 少し休む?」
「平気平気―! 天路さんの鍋楽しみだなー!」
明らかに空元気だ。けれど、私にはそれ以上追及することは出来なかった。暫くして天路さんが残りの材料が入った皿を持ってリビングへとやって来る。
私たちは、九条さん、桜智さん、私の順にソファーに座り、私の隣に天路さんが腰を下ろした。
シャツの袖をまくって、天路さんが次々に材料を鍋の中へ入れていく。その表情は真剣そのものだ。私たちは何もする事がなく、ただただ天路さんの様子を見つめる。
「檀は鍋奉行だからね」
ふふっと笑う九条さんに、天路さんが当然ですとでもいう様に誇らしげな顔をした。
昔、九条さんに鍋を任せたら大参事になってしまった事があるらしい。それ以来、鍋を仕切るのは天路さんの役目になったようだ。九条さんは、どうやら料理はあまり得意ではないらしい。檀さんが手を動かしながらも、九条さんの失敗談を次々と語ってみせ、その度に私たちの笑い声がリビングに響いた。
「さぁ、召し上がりください」
「いただきますー!」
天路さんが取り分けてくれた皿を受け取り、それぞれ食べ始める。皆で食べる鍋はとても美味しかった。
一人暮らしが長かった私は、こうして大勢で食卓を囲むという事がなかった。だから、“みんなで食べる”という行為そのものが初めてで、こんなに美味しく感じるものなのだと知る事が出来た。その事がとても嬉しいと感じた。また、次もあれば良いな、と思いながらこのひと時を楽しんだ。
パーティーもお開きとなり、桜智さんを送り終えた天路さんが帰宅した。
「お帰りなさい、天路さん」
「茉白さん、只今戻りました」
「その、こんな事聞くのおかしいと思うんですけど、夕方の買い出しの時に桜智さんと何か、ありましたか……? 帰って来てから桜智さんなんだか元気がなかったから……」
「……その、この事は龍麻様には秘密にしておいてほしいのですが……」
「はい」
「スーパーの帰りに、彼女から、軽い感じで告白をされまして。彼女なりに色々と考えての事だったと思います。しかし私は龍麻様にお仕えする身なので、はっきりと断らせて頂きました。……私には、恋人を作る資格はありませんので」
「それってどういう……」
「それに、私には、貴女を守るという役目があります。今は貴女の事だけに集中したいのです」
真っ直ぐな瞳で私を見つめる天路さんに、思わず胸が高鳴る。その顔は、その言葉は、ずるいと思ってしまう。そんな言い方をされては、期待してしまいそうになる……。
ゆっくりと、天路さんの手が私の頬に延ばされる。ほんの数センチで触れてしまう――……。
「檀、帰って来たんだね」
「っ、龍麻様、只今、帰りました」
「あっ……わ、私! 先に寝ますね! おやすみなさい!!」
九条さんに顔を見られるのが怖くて、私は急いで自室へと戻った。
「……吃驚したぁ……」
頬に手をやると、まだ熱い。私はベッドに寝転がり、頬の火照りを冷ました。
「……檀、契約違反だ。本当に大切だと思っているなら手を出すな」
「解っています……」
天路は苦しそうな表情を見せ、そう呟くのだった。
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