第3話「君の帰りをいつでも待っている」

「落ち着きましたか?」

「……はい、ありがとうございます」


 九条家に戻りシャワーを浴びた私は、天路さんが入れてくれたアップルティーを飲んで少し、落ち着きを取り戻した。


「すみません、その指輪から会話は聞こえていたのですが、如何せん女子トイレだったものでどうすることも……」


 九条さんからもらったエメラルドグリーンの指輪は通信機になっていて、会話が聞けたり、天路さんの付けている指輪と対になっており会話が出来たりする。

 申し訳なさそうに頭を下げる天路さんに、私はぶんぶんと手を左右に振った。


「いえ、まさかこんなことになるなんて思わないですもんね! 仕方ないですよ」

「明日からどうしますか? 私が彼女たちに一言言った方が……」

「大丈夫です! 自分で何とか出来るので、ほんと、大丈夫です……」

「そう、ですか? 辛くなったらいつでも言ってくださいね」

「はい」


 言ってはみたものの、中々言葉に出来ずに数日が経っていた。その間にも、彼女たちの嫌がらせはどんどんエスカレートしていく。

 講義中に鞄の中に絵の具をぶちまけられたり、私の描いた作品を切り刻んだり……。

 私は心身共に困憊していた。


「それでは出席確認をします……」


 講義中、講師の教授が淡々と学生たちの名前を読み上げていく。


「神凪茉白さん」

「は……」

「あ、彼女今日お休みです」

「解りました。では、佐々木さん……」

「!? ちょ、桜智さん!?」

「神凪さんはお休みなんだからさっさと帰れば?」


 クスクスと彼女たちが笑う。さすがに、単位に影響する事だ。やめてくれと、嫌だと言わなければ。口を開き掛けたとき、指輪から小さく声が聞こえた。


『茉白さん、大丈夫ですか』

「っ! は、はい、大丈夫です」


 小声で指輪に向かって話す。天路さんが心配して声を掛けてくれたようだ。

 私たちは一旦落ち合う事になった。こっそりと講義室を後にする。チラリと桜智さん達を見たらニヤニヤと笑っていた。

 大学の駐車場まで行くと、天路さんが心配そうに私を見つめた。


「やはり、私がどうにかするべきです」

「その気持ちは有り難いです。でも、自分でどうにかしないとこういうのって収まらないと思うんです。……まだ、勇気が出なくて……心配かけてすみません」

「貴女は、強いですね」


 そう言って天路さんは私の頭をポンポンと撫でる。その優しさに思わず涙が出そうになったが、ぐっとこらえて天路さんを見上げた。


「頑張ります。だから、見ててください」

「……はい、でも無理はしないでくださいね」


 約束して、講義室へと戻った。


「すみません! 神凪茉白です! 遅くなりました!!」

「神凪さんね、講義開始時間には遅れたけど、そんなに時間経ってないから出席扱いにしとくよ」

「! ありがとうございます!!」


 急いで近くの席に座る。幸い、桜智さん達とは離れていたので私はほっと胸を撫で下ろした。寛大な先生で助かった。私は心の中で彼に敬意を払う。

 彼女たちの方を見ない様にして、講義に集中した。


 数日後、今日は土曜日で大学は休みだった。九条さんの仕事も今日はお休みらしくダイニングルームで鉢合わせした。


「やぁ、大学の方はどうだい?」


 天路さんから報告を受けている様で、九条さんは私の今の状況を把握している。


「現状維持、ですかね」

「……そう」

「でも、やっぱりこういうのは慣れているにしてもキツイですね」


 茶化すように言ってのけたが、九条さんは真剣な表情になる。


「怖かったら直ぐにこの家に戻ってくればいい。俺達は君の事を笑ったり、蔑んだりしないよ。君の帰りをいつでも待っているからね」


 微笑んで、私に優しい言葉をくれる。この人たちはどうしてこんなに私によくしてくれるのだろう。

 仕事だから? 両親に頼まれたから?

 それでもいいや、と思った。彼らの優しさは本物なのだ。


「ありがとうございます。勇気、出ました。今度こそ頑張ります」

「……お茶にしようか」

「はい!」


 その日、私は早めに大学に行き桜智さんを待った。彼女は大きめのピンクのニットにスキニ―パンツという。ラフな格好でやって来た。


「桜智さん、ちょっと話良いかな」

「……いいよ」


 大学に備え付けられているカフェテリアは、一般の人にも開放されていて人気だ。今はお昼時を過ぎているのでガランとしていた。

 私たちは窓際の奥の席に腰かけて、それぞれ注文を済ませる。


「それで? 話って?」

「……どうして私に嫌がらせするの?」

「……ムカつくから」


 一対一で話すと、彼女はとても冷静な女性だという事が解った。私は構わず話を続ける。


「私、何か桜智さんの気に触る事したかな?」

「……っ、あの人、彼氏なんでしょ?」

「天路さん、の事だよね? 前にも言ったけど、違うよ」

「嘘。じゃあ何でいっつも大学に送ってもらってるのよ」


 私は今までの経緯を掻い摘んで彼女に説明した。


「だから、天路さんは私の護衛をしてるだけで、全然そういう関係じゃ、ないの」


 自分で言ってみて、何故か胸がツキンと痛んだ。桜智さんはしばらく考えてから、思い切り私に向かって頭を下げた。


「ごめん!! 今更許してくれなんて虫が良過ぎるけど……ほんとごめん……」


 彼女は涙をポロポロ流して、私に許しを請う。


「ちょっと今、家がごたごたしてて……イライラしてて……貴方にぶつけてる部分もあった……ほんと、あたし最低……」

「あ、あの、顔上げて……」


 店員がオロオロしながら商品を届けてくれた。私はお礼を言って、また桜智さんに向き直る。


「ほら、パンケーキ来たし……食べよう?」

「……ん」


 桜智さんは鼻を啜って、フォークとナイフを手に取った。


「最初はただ、ちょっと調子乗ってるって話してただけなんだけど……いつの間にかエスカレートしてた……自分でも止められなかった」

「……あの、じゃあもうやめてもらえる、のかな……」

「うん、勿論だよ。今までホントごめんね。……それで、あの、こんな事言うの厚かましいと思うんだけど……」

「……え?」


 今日のすべての講義を終えて、私は天路さんと合流した。私の隣には桜智さんがしおらしく立っている。


「無事に話し合いが終わったようで何よりです。……まぁ、これ以上茉白さんに手を出すようでしたら本当に私が出ようと思っていましたけどね」

「ひっ……」


 鋭い眼光で天路さんは桜智さんを見つめた。桜智さんは恐怖のあまり身を縮める。けれども、天路さんはすぐにいつもの柔らかい笑顔に戻り、後部座席のドアを開いた。


「お二人ともお乗りください。桜智さんは家までお送りします」

「え……?」

「茉白さんのご友人、なのでしょう? でしたら私も貴女をご友人として対応させて頂きますよ」

「は、はい……!」


 私たちは後部座席に座り、天路さんはハンドルを握るのだった。


 ――あたし……その、天路さんに一目ぼれしちゃって――


 桜智さんのその言葉が,頭の中でリフレインしていた……。

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