第2話「奇妙な関係」
「どうぞ」
花柄の高価そうなティーカップが目の前に置かれた。私はどぎまぎしながらカップに口を付ける。カモミールの良い香りがふんわりと鼻孔をくすぐった。ホッとする味だ。
落ち着きを取り戻した私は、ぐるりと部屋の中を見渡す。壁には有名な画家の絵画が飾られており、この家が裕福であると主張している。
私は今、九条さんの家のダイニングルームにいる。
事の発端は、昨日に遡る。私の家に怪しい男たちが押しかけて来て、天路さんとクローゼットに隠れやり過ごした後、九条さんが黒スーツたちをいとも簡単に倒してしまった。
――自分は探偵だ――
九条さんは、私に向かってそう切り出した。天路さんが黒スーツたちの後処理をしている間に九条さんが事のあらましを語ってくれた。
九条さん達に私を守るように依頼したのは、どうやら私の両親のようだった。
私の両親は海外生活をしている。父親は起業家で、IT会社を立ちあげて大成功を収めた。母はピアニストをしていて、コンサートがあれば世界各国を飛び回っている。たまに日本でもコンサートをする時は、家に帰って来て私と過ごす時間を確保してくれる。
私も両親と一緒に過ごさないか、と聞かれたがどうしても日本の高校や大学に通いたかったから今の生活スタイルを選んだ。
寂しくないと言ったら嘘になるが、もう慣れてしまった。
そんな訳で両親は私の事を心配して、面識のあった九条さんに仕事として私と過ごす事をお願いしたようだった。
「両親が九条さんに私の護衛を依頼した事は解りました。けど、あのスーツの男の人たちは一体……?」
「うん、どうやらお父様の仕事の関係で、お父様を快く思っていない輩が仕組んだようだ」
彼らは私を誘拐し、父を不利な状況に追いやるのが目的だったらしい。それも失敗に終わってしまったが。
「君を危険に晒したくない。これは、ご両親にも了承済みなのだけれど……」
そうして今に至る。両親は私を危険に晒さないために、九条さんの家に居候することを承諾してしまったらしい。年頃の娘が男の人と一緒に住む事への不安や、心配というものはないのだろうか。あの人たちはどこか抜けている所があるとは思っていたが、こうも簡単に決めてしまうなんて……。
「君が躊躇するのもよく解るよ。けれど、ご両親はあの家を引き払うと決めてしまっているらしくてね……」
九条さんも困った顔で私に訴える。それでは始めから私に拒否権はないではないか。
住む家がなくなってしまうのであれば、もう腹をくくるしかない。
「……解りました。その、引き払うのはいつ頃になるんでしょうか」
「再来週の土曜日と言っていたよ。君の引越しの費用だけど、ご両親から預かってあるから安心してくれて構わない」
「はい」
こうして、私は引っ越しの準備をし、各種手続きを済ませて、九条家の一員になることとなった。
私に宛がわれた部屋は、広くて収納スペースも多く、申し訳ない位だ。居候の身なのに恐縮してしまい、何か家事を手伝うと申し出たが、それは天路さんの仕事だからと止められてしまった。
「天路さんと九条さんはどういったご関係なんですか?」
「そうだね、僕たちは主従関係と言えばいいのかな。天路家は代々、九条家に仕えているんだよ」
「幼い頃より両親、祖父母に厳しく言われてきましたので、私は龍麻様にお仕えするのが幸せなのです」
「大げさだ」
困ったように笑って、九条さんは紅茶の入ったカップに口を付ける。その仕草だけでも、彼の育ちが良い事が伺えた。
この広い洋館は、どうやら九条さんが仕事用として数年前に買い取ったらしい。街中から離れた場所にあるため、人目にはつくが、悪目立ちすることなく仕事場としてうってつけとの事だった。
「九条さんの家って一体……?」
「フフ、九条
「えぇと……確か、有名な政治家の名前だったような……って、そういうこと、ですか?」
「そういうことだね」
なるほど、だからこんな豪邸を買える訳だ。それにどうやら探偵の仕事も軌道に乗っているらしい。
「そうだ、神凪さん大学の時間は大丈夫かい?」
「え? あ……!」
腕時計に目をやると、13時半を過ぎていた。次の講義は14時からだ。
「すみません、行ってきます!」
「あぁ、行ってらっしゃい。檀、頼んだよ」
「かしこまりました」
自室に戻って準備を済ませ、急いで玄関へと向かう。ドアを開けると、そこには黒塗りの車が一台エンジンを掛けたまま停止していた。
「茉白さん、お乗りください。大学までお送りいたします」
「え、でも……」
「急いで」
「は、はい……」
助手席に座り、シートベルトを締めた。車はゆっくりと走り出し加速する。
横目で天路さんの様子を盗み見る。やはり、横顔も綺麗だった。男性にしては少し長めな髪に、切れ長の目、整った鼻筋、見ればみるほど綺麗な顔立ちの人だ。
「私の顔に何かついていますか?」
小さく笑って、天路さんがこちらをチラリと見る。琥珀色の瞳と目が合って私は思わず視線を逸らした。
「い、いえ、すみません」
大学に着き、車から降りる。天路さんも一緒に車を降りて、私の隣に並んだ。
「講義中は一緒におれませんが、茉白さんの事は見ておきますのでご安心ください」
「あ、ありがとうございます」
その場で別れ、私は講義室へと向かった。中に入ると、見知った顔がこちらを見てまた友人との話を再開させた。いつもの席に座り準備をしていると、急に声を掛けられた。
「ねぇ、神凪さん。ちょっといいかな」
二、三人の女子を引き連れたリーダー格の彼女―名前は確か、
「何か私に用、ですか?」
「ちょっと付き合って」
頭の中で警報が鳴った。嫌な汗が背中を伝う。しかし、ここで拒否してしまえば周りの女子に攻め立てられるだろう。いずれにしても私に選択肢などないのだ。
桜智さんたちと一緒に女子トイレへと向かう。お決まりのパターンだな、と思いながらも胃が痛い。
「ねぇ、この間から一緒に大学来てる人、何? 彼氏?」
「え、違……」
「地味なアンタがあんなかっこいい人彼氏にするとか何したの? あ、もしかして体で誘ったとか? アハハ! やらしー!!」
ゲラゲラと笑う彼女たち。そんな事する訳ない。否定したいのに怖くて声が出ない。
「ムカつくんだけど? あ、私が別れさせてやろっか?」
「か、彼氏なんかじゃ、ない……」
「じゃあ何でお前みたいな眼帯根暗女と一緒にいるんだよ!」
桜智さんは声を荒げる。後ろで何かやっていた取り巻きたちが、私の目の前に立ち、勢いよくバケツに入った水をかけてきた。
服も、髪もずぶ濡れになり、私は訳が分からず固まる。
「アハハハッ! そっちの方が似合ってるじゃん!」
そう言い残して、桜智さん達は去っていった。
一人残された私は、その場にしゃがみ込み、濡れた体を抱きしめる。
泣きたくないのに涙が次から次へと止め処なく流れてくる。
「っ、……う、……ひっ……」
嫌がらせをされるのは慣れていた。けれど、こんな風に実害を受けたことは無かった。大体、無視されるか、陰口を言われるかのどちらかだった。ここまで悪意を向けられたのは初めてだった。
ただただ悲しくて、悔しくて、怖い。次もあるのではないかと不安になり、体温が下る。嫌だ、嫌だ、怖い……!
どうにか立ち上がり、服と髪の水を絞って私はトイレを後にする。私を見た学生たちは驚いた顔をするが、誰も話しかけようとはしない。
「茉白さん……!」
振り向くと、天路さんが酷い顔をしていた。まぁ、私も人の事は言えないが。
「あま、じ……さ……」
また、涙がこぼれた。天路さんは自分の着ていたコートを私にかけてくれた。
「帰りますよ、講義どころではありません!」
そのまま有無を言わさず、天路さんに肩を抱かれ私は大学を後にした。
天路さんの手の温もりがやけに暖かく感じた。
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