探偵が恋に落ちるまでの430日

奏 ゆた

第1話「探偵と絵画」

 彼との出会いはとても珍妙だった。その出会いをきっかけに、私の生活は一変する事になる。


 街の人々が、もこもこと厚着をし、寒さを耐える二月中旬。私は大学の講義の一環で美術館を訪れていた。都内一の大きさを誇るその美術館には、一階から三階にそれぞれコンセプトの異なる絵画や美術品を展示する展示室が設けられている。二階と三階にはカフェとレストランがそれぞれあり、一日中滞在しても飽きることは無いだろう。

 クラスメイト達はそれぞれ、グループになり展示室を回っているけれど、私はその輪に入れずにいた。

 それは、私―神凪茉白かんなぎましろ―の外見が奇妙な為だろう。

 私は、産まれつき右目の視力が著しく弱い。右目の筋力が弱く、上手く目を開けられない。その為左右の目の大きさが非対称に見えてしまう。それがコンプレックスで、幼い時から右目を眼帯で隠しているのだ。元々右目の視力は無いに等しいのでなんの問題もなかった。

 人は自分と違うものには不信感を抱く。それは良く解る。なので、私は人から避けられることが多い。だからと言って、自分から大勢の輪に入る勇気も、今の私には持ち合わせていなかった。

 人気の少ない展示室に入り、作品を見つめる。抽象画が有名なその画家の作品は目を奪われる魅力があった。作品を見入っていると、右側から来た人にドン、とぶつかってしまった。


「す、すみません……!」

「いえ、大丈夫ですよ」


 私がぶつかってしまった男性は、スラリと長身でビジネスカジュアルなスタイルがよく似合っていた。エメラルドグリーンの瞳がとても印象的だった。少し急いでいる様で、焦った顔をこちらに向ける。軽く会釈をして男性は急ぎ早に立ち去った。私は引き続き展示品に集中する。

 私の通う大学は所謂美大というやつだ。今回の美術館見学も授業の一環で、課題が出る。なので、生徒たちは必死になって作品の説明文をメモしたりしているわけだ。

 三十分ほど経っただろうか、別の展示室へ向かうか、少し休憩してカフェに入るか悩む。

 暫く考えて、少しメモした内容もまとめたいので休憩がてらカフェに入ることにした。

 同じフロアに併設されたカフェの看板には、「ロンド」と書かれていた。私はそれを横目にカフェのドアを開け中へと入る。香ばしいコーヒーの香りが鼻孔をくすぐり、少しだけ気分が上がった。席に案内されて注文をする。パウンドケーキセットを頼んだ。待っている間にメモ帳を開き、先ほど見た絵画の説明や感想を書き込んでいく。


「こんなところ、かな……」


 一段落したときに、頼んだケーキセットが運ばれてきた。ショコラのパウンドケーキにコーヒーの良い香りが食欲をそそる。私は一口、ケーキを口に運んだ。このカフェにして正解だったなと顔が緩むのが解った。


 軽食を終えて別の展示室へとやって来た。この部屋は現代作家の作品をまとめた展示室の様だ。ぐるりと見渡して、ある一点で私の眼は釘付けになった。タイトルは『翔』。背中に羽のある少女が今にも飛び立ちそうな絵だ。その絵には希望や幸福といった感情が読み取れるが私には、逆に悲哀や哀愁を感じてしまった。何故、そう感じたのかは私には解らない。絵画に目を奪われていると、隣から声を掛けられた。


「僕の知り合いの作品なのですが、どこか儚げな作品ですよね」

「そうですね……」


 先ほどぶつかった男性が私に声をかけてきた。美術関係の仕事をしている方なのだろうか。


「急にすみません。この作品に足を止めてくれる方は少ないので嬉しくて、つい」


 困ったように笑いながら、彼がそう言った。


「美術関係の仕事をされているのですか?」

「そうですね、依頼があれば何でもしますよ」

「……?」


 含みのある言葉を残し、彼は絵画の話を続けた。私なんかよりも詳しくて、彼の話を聞きながら私はメモ帳にペンを走らせた。

 暫くそうしていると、辺りが騒がしくなってきた。何事かとメモ帳から顔を上げると、男性が私の手を取り、柔らかく微笑んだ。


「これを、持っていてください。貴方にとって、とても大切なものです」

「え?」


 それは、エメラルドグリーンの指輪だった。こんな高そうなもの貰えるわけがない。私は彼に返そうとしたが、それよりも先に彼が先程の絵画に手を振れた。それと同時に絵画が真っ二つに割れて、更に絵画が飾ってあった壁にぽっかりと穴が開いたのだ。

 穴の先は通路になっていた。彼は当たり前のようにそこに進み、先ほどと同じようにキラキラとした笑顔で内緒ですよ、と言い通路の奥へと消えていった。それと同時に穴も絵画も元の形に戻る。

 呆気に取られている私の後ろでバタバタと数人の足音が聞こえた。


「くそっ、ここにもいないか……」

「どこへ行った、あの野郎……」


 黒スーツにサングラスをかけた男性数人が口々にそう言う。怪しい事この上ない。私はビクビクしながら後ろを振り返る。


「この男がここに来なかったか?」


 スーツの中の一人が私に先程の男性が写った写真を見せて来た。


「し、下のフロアで見たかもしれません……」

「そうか。おい、行くぞ」


 男性たちがいなくなり、私は安堵の溜息を漏らす。安心したのも束の間、別の男性が私に声をかけてきた。


「神凪茉白さん、ですか?」

「え……」


 返答に困っていると、私を安心させるように男性はニッコリと笑った。


「ある方からの依頼で貴女をお守りするようにと言われました。初めまして。私は、天路檀あまじだんと申します」

「あ、神凪茉白、です……」


 天路さんは私の持っていた指輪を私の手を包むようにして持ち上げ、唇近くまで持って行った。その仕草があまりにも自然で、じっと見つめる私に笑いかけながら、天路さんは指輪に向かって話しかけた。


「ターゲットと接触しました」

『よくやった。詳しい説明は後日彼女の空いている時間にしておけ』

「かしこまりました」


 指輪から聞こえた声に驚き、私は天路さんを見つめる。大丈夫だと言わんばかりに天路さんはふふっと小さく笑った。


 数日後、私は自分の部屋でそわそわと落ち着きがなかった。あの後、天路さんは常に私と行動を共にしてくれたのは良かったが、周りのクラスメイトの目が痛かった。

 はぁ―っと何回目か解らない溜息をつき、ベッドに腰かける。

 この数日だけで、ドッと疲れてしまった。周りの視線が痛いのもあるけれど、天路さんがあまりにも整った顔立ちなので気が休まらないのだ。

 今日は詳しい話をしてくれるという事で、天路さんたちが家に来てくれることになっていた。約束の時間は十四時。あと十分ほどで約束の時間になる。

 あぁ、もうどうにでもなれ――……!


 ガシャーン、と誰も居ない筈の一階から物音が聞こえビクリと体が震えた。何だろう。

 見に行こうとドアノブに手を掛けた所で、部屋の奥の窓ガラスが規則正しく音を立てた。振り向くと、そこには天路さんの姿があった。

 私は急いで窓を開けて天路さんを部屋へ入れる。


「説明は後です! とりあえず、そこのクローゼットに……っ!」


 言うや否や、部屋の明かりを消して、私の腕を取りクローゼットの中へと飛び込んだ。狭い空間に二人が寄り添い合う。吐息が掛かりそうな距離に天路さんの顔がある。これは……すごく、近い。天路さんは私の腰に手を回し、抱きしめる形になってしまう。体温が上昇し、一気に顔が熱くなるのを感じた。どくん、どくんと、鼓動がうるさい。


「先日のスーツの男たちです。暫くここに隠れて出ていくのを待ちましょう」


 耳元でそう囁かれる。頭がくらくらした。

 ドタドタと男たちが私の部屋に入ってくる音がする。


「くまなく探せ! ここにいるはずだ!」


 男たちは私の部屋を隅々まで探す。クローゼットの前に人の気配がした。

 だめだ、見つかってしまう――……っ!


「がっ……!?」

「!? 何……」


 クローゼットの外で、男のうめき声が聞こえた。驚いて思わず声が出る。そんな私を宥める様に、天路さんに頭を撫でられた。

 心臓が、持ちそうにありません……。

 ゆっくりとクローゼットが開かれて、私は思わず目を瞑る。


「大丈夫ですよ、茉白さん」

「え……あっ――!!」

「……間に会ったみたいだね。さすが檀だ」

「抜かりはありませんよ」


 ニッコリと微笑むのは、先日、美術館で出会ったあのエメラルドグリーンの瞳を持つ、不思議な男性だった。

 彼は私に手を差し出す。それにぎこちなく手を添えて、私はクローゼットから抜け出した。


「さて、自己紹介がまだだったね。僕の名前は九条龍麻くじょうたつま。――探偵をしている」


 エメラルドグリーンの瞳が、私を真剣に見つめていた――。

 これが、私と九条さん達との出会いだった。

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