7月・日本沈没
「『東京ナイト・フレンド』サタデーナイト、今日も始まるよ!」
りょうたんの明るい声で7月第2週の週末の放送が始まった。
「このあいだ ベストセラーの『日本地没』を一晩徹夜して夢中で読み切ってしまいました。もう読んだ人も多いんじゃないかな?」
「日本が沈没して消えて無くなってしまうなんて 本当に起きたらすごいこととなるんだけれど、この小説は切実感がありますね。」
大ベストセラーになっているこの「日本沈没」というSF小説は中学校の友達の間でも話題になっていて、日本に大災害が起きるかもしれないと言う物語と 地震学者たちが盛んに口にし始めた 東海大地震発生の予言の現実とも重なりあった、社会的にも大きな波紋を投げかけている物語だった。
太平洋戦争中に発生したという東南海地震から30年ほどが経ち、次に大地震が起きるなら静岡県沖の駿河湾が危険だと言い放つ地震学者もいて、この「日本沈没」という小説が未来予測の小説だと解説するテレビのワイドショーや特集番組もつくられ、噂では今年の冬には映画化もされるとのことで、昭和48年の最大の話題作であることは間違いなかった。
「日本が沈没なんてことになったら 日本人はどこに逃げるんだろうね。小説のストーリーを話すとネタバレになってしまうから結末を話す事は出来ないけれど、すご~~~く考えさせられましたよ。」
りょうたんの興奮した声は聴いているリスナー達を引き付けて、旋もこのベストセラー本を読んでみたいという気持ちに呼び寄せられた。
「リスナーのみんなが今年読んだ本でみんなにも読んで欲しいと思った本があったら是非紹介してください。お便り待ってるよ!」
「それでは、今日の1曲目はチューリップの「心の旅」でいって見ましょうか。ぜひ好きな物語を読んで、君の心の旅を初めて下さい。では、どうぞ!」
日本沈没とチューリップの「心の旅」の関係性を旋は感じ取ることはできなかったが、大好きなチューリップの曲には思わずラジオのカセットテープに手が伸びて録音ボタンを押してしまった。今週のヒットナンバーベストの選曲がまた増えたことに心が躍るのだった。
1週間が過ぎるのは早かった。
「先週の日本沈没の小説の話題に対して みんなが『読んだよ』って葉書が多く届いています。う~んやっぱりみんな興味あるよね。」
りょうたんは先週に盛り上がった日本地没の小説の話題と東海地震の発生の噂についての多くの思いが寄せられ、放送内容もこの話題に集中して番組が進む事となった。
「都内の『井の頭のタッキー』君からのお手紙です。」
「日本が海の中に沈没すると言う事はあり得る事だと思います。
アトランティス大陸も海の中に消えたのでしょう? 日本みたいな小さな国が海の中に引き込まれることは 夢物語ではないですよきっと!!」
「ほ~~ 日本沈没の肯定派の人の意見が盛り上がってきましたよ。もう一人 日本沈没の肯定派の人の意見です。」
「『ウルトラの星からやってきた ウルトラナイン』さんからのお手紙です。」
「東海大地震は絶対に来ます。私たちはその日に備えて 対策をして行かねばいけません。日本という国がどんな状況になったとしても、日本から逃げ出す為のパスポートや避難先の外国の友達を今から作っておきましょう。」
「早くも 日本から逃げ出すための方法を考えている人もいますね。僕は嫌だな、たとえ日本に天変地異が襲ってくるとしても、俺は日本に残って、最後まで日本人として立ち向かって行きたいけどな。」
「それでは 日本沈没の否定派の人からのお手紙も・・・」
「常連さんの『秘密のメロディー』さんからのお手紙です。」
「日本という国が沈没してしまうなんて、私は嫌だな。春、夏、秋、冬という素晴らしい四季のある日本という国は 世界で一番、美しい国だと思います。そんな日本にはいつまでも住み続けたいと思っています。日本は大丈夫。絶対に沈没なんてしません。」
「僕も秘密のメロディーさんの考えには賛成だな。」
「日本には沈没してほしくは無いし、これからもみんながこの綺麗な国で平和に暮らしてほしいと思うな。」
りょうたんは意外にも日本が沈没すると言う事には否定的であることが語られた。
「それでは 秘密のメロディーさんからのリクエストで、カーペンターズのイエスタディーワンスモアです。どうぞ。」
発売間もない曲で 洋楽ヒットチャートのトップに躍り出たカーペンターズの最新曲がラジオに乗って流された。
旋はまだこの話題作を読むこともなく、ラジオの中での会話に勉強をしながら耳を傾けていた。翌日の土曜日は高校受験用の模擬試験が予定されていて、テスト前だと言うのに午前3時まで深夜放送を聞いていてよいのかという自己反省をしながらも、やはり深夜のおしゃべりの魅力には逆らえず、ながら勉強という誘惑の中で試験問題のテキストをこなしていると言うのにちょっと気が引けていた。
実際のところは問題集に回答すると言うよりも 巻末の模範解答とテスト問題を見比べていると言った方がよく 勉強というよりも問題集をやって、解答を見比べていると言う自己満足だけなのかもしれなかった。ラジオから流れるカーペンターズの イエスタディーワンスモアのリズムに乗りながらの勉強は ただ勉強をしている振りをしていると言うのが正解で、旋には高校受験まで残り半年というのに、ほとんど受験生としての自覚はなかった。
夏休みに入り、中学時代の3年間夢中になってやってきたバレーボール部の部活動も 市の地区大会では早々と敗退して、3年生としては退部の時を迎えた。担任の音楽教師 山村からは部活動を終えて中学3年生として心機一転、目標に向かって勉強をするようにとの指導をされてはいたが、正直なところクラスの仲間たちも受験生というピリピリした感覚は少なく、部活動も終わった後では毎日が手持ちぶたさの中で 何もすることも無く、のんびりとした夏休みの日々が過ぎ去っていると言うのが本当のところだった。
風の噂では 遊び仲間だった数人の友達は 夏休みから学習塾に通い始めたという話も聞こえ始めてはいたが、旋にとっては学習塾通いという日常は思い描くこともできなかった。だらだらとした暑い1日を乗り切る唯一の方法は 友達を誘いだして 勉強をすると言う名目で図書館通いをするか、小学校の時からの遊び中で近くの矢作川に釣りに出かける事が時間を過ごしていく方法だった。
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