10月・巨人、大鵬、卵焼き
長い様で短い40日ほどの夏休みはあっという間に終わり、中学生活の最後の夏休みは瞬きをするかのように足早に通り過ぎて行った。
秋という季節は中学3年生にとっては 2学期の中間試験が終われば、実力テストに高校受験の模擬試験と 高校進学に向けての学校選択の時期が迫り来る日々で、友人たちと話しても進路の事や、テスト結果の話など殺伐とした話題ばかりが多くなってしまい、心が滅入るような毎日だった。
10月に入り スポーツの世界ではプロ野球の巨人が9年連続の日本一を達成できるかどうかが大きな話題となりスポーツニュースを盛り上げていた。
テレビではその動向に一喜一憂し、王、長嶋のON砲と言われるスーパースターたちの活躍は例年の様に日本中を熱狂させてはいたが、今シーズンに限っては 大阪の阪神タイガースの頑張りが巨人の優勝の前に立ちふさがり、プロ野球はこれまでにない様な緊張感を見せていた。
地元の中日ドラゴンズファンの旋にとっては この阪神タイガースの活躍は率直にうれしい出来事とは言えなかったが、にっくき巨人に9年連続のセリーグの優勝と日本一の座を渡して盛り上がるのならば、阪神タイガースに優勝してほしいと思う自分も居た。
愛知県の野球のファンは 地元の中日ファンと共に、子供のころから黄色いYGマークの野球帽をかぶり、「巨人、大鵬、卵焼き」が日本の常識として語られ、テレビアニメの「巨人の星」に触発された熱狂的な巨人ファンに二分され、試合の翌日は一喜一憂しそれぞれのファンが向かい合う日々が続いていた。
旋の3年4組でも17人ほどの男子生徒の内 中日ファンが8人ほどで巨人ファンが7人 無関心派が3人とクラスは分かれて、毎日の試合にそれぞれのグループが激を飛ばし合うような日が続いていた。
10月20日。
世紀の一戦と言われる中日と阪神の試合がやってきた。あと1勝で優勝を達成できるところまで来た阪神はこの日に行われる名古屋の中日球場での試合に勝てば念願のセントラルリーグの優勝を勝ち得る事ができるのだった。 試合会場となる中日球場周辺の盛り上がりは夕方のニュース番組などでも伝えられ 旋達、中学生の間でも大きな話題となっていた。
デーゲームで行われた 対、広島カープ戦で巨人が敗れたために 中日球場で行われる 阪神 対 中日の試合で 阪神が勝てば優勝が決まるところまで来ていて、巨人の8年連続の優勝を阻止することが出来る野球界最大の試合が一刻一刻と迫り運命の日は大きな盛り上がりを見せていた。
夕方から始まったテレビ中継放送での試合展開を 旋は隣に住む同級生の近藤正志とともに大騒ぎしながら見つめていた。正志は大の巨人ファンで 毎年のように秋になると巨人の優勝を自慢し、中日ファンの旋はいつも卑下されて中日の事を馬鹿にされるのが癪に触っていたが、今年だけは正志に一矢を射る事が出来ると試合を見ながらワクワクしていた。
中日の先発はエースの星野仙一、巨人キラーの球界の暴れん坊として有名であったが、星野としては自分が阪神を破ったとしたら また巨人が優勝してしまう可能性に悩ましい事態であったであろうと思われた。
「いいぞ いいぞ 星野様、様じゃん!」
正志は星野の好投を前にして歓声を上げていた。
いつもなら 巨人キラーとして大嫌いな星野の存在が この日だけは逆に阪神の前に立ちはだかる大きな岩のように見えたのだ。
「田淵は何やっとんだ。仙ちゃんも今日だけはブチに打たせてやればいいのに・・・」
いつもなら中日を応援する旋が 中日ではなくて阪神を応援し、正志が中日を応援するといったちょっと変わった光景は通常ならばあり得ないことだった。試合展開の中で星野が阪神打線を手玉に取って 優勝の確定に仁王立ちする中日球場の後方では、
「デーゲームで負けた巨人の選手たちを乗せた新幹線ひかり号が通り過ぎて行きます。」
と野球中継のアナウンサーが絶叫したテレビ画面を 巨人ファン、阪神ファン、そして中日ファンたちはどんな気持で見ているのだろうかと思われる状況がすぎていった。
試合は 中日ドラゴンズが勝利して 巨人は首の皮一枚で9年連続の優勝の可能性を残す事となった。 結局、翌々日の巨人対阪神の直接対決で 阪神は巨人の前に敗れ去り、巨人はセントラルリーグ優勝を成し遂げて 日本シリーズでも南海ホークスを撃破して、日本シリーズ9連覇達成というプロ野球での金字塔を打ち立てて絶頂期を迎えたのだった。
「巨人 やったね! 9連覇ですよ!!」
想像していた通り 東京ナイト・フレンドのりょうたんの放送も 野球で巨人が優勝したと言う話題が持ちきりで放送が進められていた。大の巨人ファンを自称している パーソナリテーのりょうたんにとって、とにかく巨人の優勝は今年最大のニュースともいうべきものだった。中日ファンの旋にとっては巨人の優勝を祝う多くのリスナーたちのコメントには複雑な思いが強かったが、来年こそは我が中日ドラゴンズが巨人の10連覇をきっと阻止してくれると信じて疑わなかった。
しかし、東京発のラジオを聞いていると日本中に如何に巨人ファンが多いかがわかってくる。愛知県では地元の中日ファンの方が多い様に感じられたが、子どものころからテレビ中継では、毎日のように巨人の野球中継が伝えられ、ホームランキングの王と スーパーヒーロー長嶋が居て、キャッチャーの森や盗塁王の柴田、ショートストップの守備のかなめ黒江がいて、ピッチャーにはエース高橋や怪童堀内等のキラ星のようにスター選手がそろうチーム事情は簡単なものではないと考えるしかないものだった。
我が中日ドラゴンズと言えば、根性の闘魂 星野に高木、木俣、谷沢、島谷と地元では魅力的だと感じる選手がそろってはいたが、全国的に見ればローカルスターでしかなく その人気度や粒の大きさから言えばどうしても名古屋だけの選手と言った感は否めず 東京のラジオ放送に対して 「来年こそ 中日が巨人を破って見せます!」 と葉書で啖呵を切るにはちょっと気がひけてしまうのは正直なところで、東京の巨人ファンたちが ラジオを通して盛り上がっているのを 指をくわえて聞いているといった状態が続いていた。
地元のテレビ局などは中日ドラゴンズを野球界の主役の様な位置づけで放送することは多かったが、テレビのネットワークを牛耳っている東京の放送局は 一にも二にもプロ野球の中心は巨人であり、中日を始めセリーグ、パリーグの残りの11球団はどんなに目立とうとしても地方のローカル球団という位置づけは動かしようがなかった。
旋にとって時折、東京ナイト・フレンドに登場し常連のリスナーとしてメッセージが読まれると胸がときめいてしまう 秘密のメロディーの存在は、こうした巨人ファンが多い東京のリスナーの中では非常に珍しいと思われる、大洋ホエールズという川崎市を本拠にする セントラルリーグの中では毎年Bクラスのお荷物球団のファンだと言う事で、かってに連帯感や親近感を覚えるところがあった。
なぜ 秘密のメロディーが大洋のファンになったのかはわからなかったが、横浜在住という地元愛だけで首都圏では珍しい大洋のファンになったとは思えなかった。何か別の理由を持っているかもしれないと考えるしかなかった。
「みんな、巨人が優勝してよかったね。私の応援している 大洋は今年も5位に終わってしまいました。 あ~~、いつかはは巨人を破って優勝できることなんてあるのかな・・・。」
秘密のメロディーの葉書がりょうたんに読まれたのはそんな時だった。
「東京ナイト・フレンドのリスナーの中には、人数は少ないかもしれないけれど 巨人ファン以外の人もいるよな。」
「東京には太洋やアトムズのファンも確かにいるよね。」
「そういえば アトムズがヤクルトスワローズって名前に変わるらしいね。スワローズってツバメだよね。国鉄スワローズの伝統の名前に戻るらしいけれど、大洋もヤクルトも来年は少しは強くなって巨人の前に立ちはだかってくれるのでしょうか? 楽しみだね。」
「巨人のファンとしては 来年の10連覇は確実だと思うけれどね。他の球団のファンの人たちも腐ることが無いように頑張って応援してくださいね!」
旋にとってはりょうたんの巨人ファンの代表の様な上から目線の言葉にはカチンとくる点もあったが、実際に今の巨人と他チームとの戦力差や人気を見ると返す言葉もなかった。
「それでは 秘密のメロディーさんたち アンチ巨人ファンの人たちに 沢田研二、ジュリーの最新曲『胸いっぱいの悲しみ』を捧げましょう。ごめんな。」
パーソナリティーのりょうたんの選曲は、大洋、ヤクルト、中日のファンなどアンチ巨人と言われる、巨人ファン以外には本当に胸にしみる様な題名の曲だった。
旋にとって テレビやマスコミが作り出した「アンチ巨人」という言葉そのものが納得いかない言葉ではあったが、巨人ファンこそが正統なプロ野球のファンで、そのほかの球団、チームを応援する人たちは社会体制への反逆的にも聞こえる この言葉こそが巨人中心で語られている今の野球の現状を示しているようで、その言葉を聞くことは複雑だった。
愛知県や名古屋地区ではそのファン層はむしろ中日ファンの方が多いのではないかと旋は感じていたが、今年も巨人が優勝する中で 学校のクラス内でも巨人ファンたちの高らかな笑い声や雄たけびに返す言葉はなかった。
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